1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 17:31:35.52 ID:I50tBb/f0
楓「……恋って、なんなんでしょう?」


ふと、口からこぼれた言葉。

お酒を飲んでいる最中に自覚なくつぶやいてしまったそれに、少し志乃さんは驚いたような顔をしているようでした。


志乃「……急に、難しい質問ね。どうしたの?」


でもすぐに、いつもの優しい表情に戻って私の話を聞く体勢に入ってくれました。

やっぱり志乃さんはすごい。正しい大人の女性というのはこういうものなんだろうと思います。


少なくとも、こんな私よりはずっと――人生の吸いも甘いも知っているでしょう。


だから、聞いてもらうことにしました。この胸の中の不思議な感情を。


楓「私、変なんです」

2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 17:35:57.11 ID:I50tBb/f0
志乃「……変? どんな風にかしら」


必要以上に深くは踏み込まず、けれど言えばどんなことでも受け止めてもらえる。

その包容力は、自分が無意味に年をとってしまったんじゃないかと自分を恥じてしまうほどで。


これまでも、何度か悩みを相談したことはありました。

そのたびに、くだらないこともまじめなことも、一緒に真剣に考えてくれた志乃さん。

この人には、いくら感謝しても足りないぐらいです。


楓「胸が、辛いんです」


だから。今の、自分の気持ち。思っていることを素直に口に出しました。

うまく言葉にできないあれこれを、続けることはできませんでした。

5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 17:42:33.40 ID:I50tBb/f0
志乃「……そう」


志乃さんは、ワインをひとくち飲むと静かに続きの言葉を待つようにうなずきました。

私が自分自身でもこの気持ちを理解できていないのだと、察してくれているのでしょうか。


志乃「――相手は、誰?」


言葉が続けられずにいると、静かに質問を投げてくれました。


そう、きっと察しはついているはずなんです。

でも言葉にして初めてわかることがあるということなんでしょう。

ただ何も言わずに私を見つめる志乃さんに、意を決して自分の気持ちを告げることにしました。


楓「プロデューサーの、ことなんですけれど……」


この年にもなって、ずいぶん乙女なことを思っているとは自覚があるんです。

それでも、こんな気持ちは初めてで。今まで感じたことのないものが胸の中でもやもやと渦を巻いているようで……

6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 17:47:41.08 ID:I50tBb/f0
私を、アイドルにしてくれるといってくれたあの人に。

感謝以上の感情を持っているのかもしれないと気付いたのは最近のことです。


あの人はとても優しくて、それで頼りになって。

私とそう年が変わらないのに立派に何人もの人をプロデュースしています。


下は一桁の年の子から、上は志乃さんのような30を超えたような人まで。

全員にアドバイスを的確にしている姿は本当に頼りになって、慕っている子も少なくありません。

そして、私もきっとそう……でも。


志乃「……どう伝えたらいいのか。そもそも伝えていいのかがわからない……ってところかしら」


心の中を見透かされたようで、ドキッとしました。

志乃さんは静かに、またひとくちワインを含むとこちらを柔らかな視線で見つめています。


楓「……はい、私は皆のようにはなれませんから」

8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 17:52:49.41 ID:I50tBb/f0
事務所の若い子達の中には、プロデューサーにもわかりやすく好意を露わにしている子も少なくありません。

手作りのお弁当をあげたり、お菓子を持ってきたり。


けれど、私はもうそんな年じゃないなんて思ってしまうのです。


私と同年代や、少し上の人達は彼のフォローをうまくしていて。

仕事のパートナーとしても自分をアピールしています。


けれど、私はそんなに器用なことはできません。


あの人に声をかけてもらって、アイドルとして輝きだして。

私が知らないことが思っていたよりも多いんだ、と驚きました。


志乃「皆のように、ね……」


志乃さんが、なにか思うことがあるように遠くを見つめながら、ふぅ、とためいきをつきました。

9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 17:57:33.19 ID:I50tBb/f0
楓「……おかしいことでしょうか」


思わず聞いてしまいました。

だって、私にとっては重要な問題ですから。


けれど、志乃さんはいつものように柔らかに笑っているだけ。

馬鹿にしているわけではないんでしょうが、なんだか胸がもやもやとします。


楓「志乃さん、あの……」

志乃「あぁ、ごめんなさい。馬鹿にしたわけじゃないのよ。かわいらしいなぁと思ってね……」


もう一度聞きなおそうとした時、志乃さんから謝罪の言葉が帰ってきました。

――かわいらしい? またからかわれているんでしょうか。


一度、志乃さんとの話でピンクのツチノコの話題になったことがあります。

その時は真剣な顔で見たことがある、なんていうから……少し信じてしまいました。


冗談、だったそうなんですけれど。

11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 18:04:51.15 ID:I50tBb/f0
しばらく、沈黙が続きました。

私は話をするのも好きなんですが、静かなのも嫌いじゃありません。


とはいえ、相談は始まったばかり。アドバイスどころか、まともにこちらから話をしてすらいません。

頭の中を整理してもう一度言葉を口に出しました。


楓「……その、アドバイスが欲しいのですけれど」


結局、どういう風にいったらいいのかがわからないまま。

どう返して欲しいのかもわからない質問をすることになってしまいましたが。


志乃「そうね……じゃあ、どうして好きだと思ったの?」


志乃さんは少し考えるようなそぶりをした後、私にひとつ質問をしました。


好きだと思った、理由。

それは少し、いえ、とてもくだらないことでした。

14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 18:11:28.16 ID:I50tBb/f0
私はだじゃれが好きなんですけれど……

センスがおじさんみたい、ってよく言われるんです。


この前、アイドルの衣装を着せてもらった時。

コンセプトは囚われのお姫様ということだったんですけれど……


とても綺麗で、スカートは少し短めで……足元がすかすかっとするような感じだったんです。

そんな衣装だったんですが、鏡で見た時にふと、思ったんです。


あぁ、この衣装の胸元ってキャベツに似てるな、って。


くだらないことだと思うでしょうか。私もそう思います。

でも、それにプロデューサーは同意してくれて。今度飲みにでも行きますか、なんて誘ってくれました。

塩だれキャベツっておいしいですよね。


……話がそれました。

16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 18:16:44.59 ID:I50tBb/f0
そんな私ですけれど、プロデューサーはキチンと対応してくれるんです。

それで、気がついた理由なんですけれど……


嫉妬、です。


ふふっ、おかしな話ですよね。

恋に気付いた理由が、恋した乙女がするようなことって。


ある日、お仕事の内容をプロデューサーに確認しようとした時のことです。

凛ちゃんがプロデューサーのネクタイをなおしているところを見てしまいました。


あの人は仕事はしっかりしているのに、自分のことは結構抜けているんです。

この前だって、髪に寝ぐせついたままで事務所にきていたんですよ。ふふっ……


……また話がそれてしまいました。

17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 18:18:28.17 ID:I50tBb/f0
そう、あの人のネクタイを凛ちゃんがなおしている時の話です。

それを見て、仕方ない人だなぁって思う以上になおしている凛ちゃんがうらやましく感じてしまって。


それで、思ったんです。これってひょっとしたら、って。


そう話すと、志乃さんはまたワインをこくりとひとくち。

グラスの中はもう空っぽで、答えを待っている私みたいだなって思いました。


からっぽから、ぽっと答えが出たらいいのに。

そんなだじゃれが浮かんできました。


志乃「……楓ちゃん?」


あぁ、いけない。ぼーっとしてしまったんでしょうか。

志乃さんが心配そうにこちらを見つめていました。

25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 18:34:43.01 ID:I50tBb/f0
心配ない、ということを志乃さんにいうと、少し考えるようなそぶり。

私はさっきまで思っていたことを、少し補足として付け加えました。


私よりも魅力的な子がいると思っていることも、全部。


志乃「そう……」


志乃さんは空っぽのグラスに視線をやると、一息ついてから質問をひとつしました。


志乃「それで、楓ちゃんはどうしたいのかしら?」


私がしたいこと。

それは――


楓「……いっそ、割り切って忘れてしまえれば楽だと思います」

26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 18:43:24.81 ID:I50tBb/f0
志乃さんはまた、ゆったりと笑うと含むところがあるように
「そう……」とだけ言いました。

また、しばらく沈黙。

先に口を開いたのは志乃さんでした。


志乃「それは本心かしら?」


本心、そのはずです。

でもじっと見つめられているとなんだか自分でも気付かない部分を見透かされそうで、
少し上ずった声で「ええ」と答えることしかできませんでした。

また、思うところがあるようにグラスに視線を落として一息。

グラスの中に注ぎなおされたワインが、いくらか志乃さんの中へと消えて行きました。


志乃「それじゃあ、なんで――」


ふと、志乃さんが顔をあげ、こちらを見つめます。


志乃「――泣いているのかしら。楓ちゃん?」

27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 18:51:23.43 ID:I50tBb/f0
楓「えっ?」


思わず頬に手をやりますが、雫はついていません。

志乃さんはくすくすと笑っていて、からかわれたのかとも思いました。


でも志乃さんはまたこちらを見つめなおすと諭すようにいいました。


志乃「あぁ、ごめんなさい。例えよ……でも、泣いているように見えたわ」


泣いているようにだなんて、そんなことないって……

……また、場違いなダジャレが浮かびました。でも、実際にそんなことはないはずです。


楓「そんなこと、ありえませんよ……泣いてなんて、ないって……」


……さっきまでとは種類の違う沈黙が流れました。

お酒が入っていると自制ができなくてダメですね。

28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 18:59:14.85 ID:I50tBb/f0
志乃「……楓ちゃん? 本当にプロデューサーさんのことを諦めたいのならそれでもいい。力になるわ」


何事もなかったように志乃さんが話を始めました。


志乃「でも、もう一度だけ考えてみてほしいの。あなたがどう思っているかを」


どう思っているか、そんなの決まっています。

私とあの人は、アイドルとプロデューサー。許されるはずがありません。

それに、事務所に所属している他の子達だって彼のことを慕っていて、私には彼女たちほどの積極性も特技もないのに。


楓「……あ、れ……?」


気がつくと、目から涙がこぼれていました。

ゴミが入ったわけではないみたいで、拭っても止まりません。


志乃さんがハンカチを貸してくれて、しばらくたってようやく涙は止まりました。

30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 19:04:26.02 ID:I50tBb/f0
志乃「楓ちゃん、改めて聞くわ。あなたはどうしたいの?」


落ちついてきたころ、志乃さんは改めて質問をしました。


あの人といっしょに歩いてきた道はとても暖かくて、まぶしくて。

くだらないことにいっしょに笑えて、笑ってくれて。

そして……彼が他の人と話をしているときに、胸の奥がじりじりと焼けるようで。


その気持ちの濁流が、衝動になって……そして


楓「私は――」

35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 19:13:29.83 ID:I50tBb/f0
楓「――私は、あの人の傍にいたいです」


今はただ、そうとしか言えませんでした。

それ以上何がしたいというのが浮かばなくて、というのもあるんですけれど。

それ以上というものが、よくわからなくて。


志乃「そう、傍に……ね。あなたがそう思うのなら、今はそれでいいと思うわ」


志乃さんは満足げにうなずくと、少しだけおぼつかない足取りで立ち上がりました。


志乃「もう夜も遅いし、お開きにしましょう?」


時計を確認してみれば確かにもう、いい時間です。

志乃さんと飲んでいると時間を忘れてしまいます。

伝票は既に志乃さんの手の中。私も払うといったのですけれど……


志乃「いいのよ。やっぱり楓ちゃんと飲むって楽しいわぁ」


いくらかのアルコールが入って、頬が赤く染まった志乃さんは綺麗でした。

37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 19:21:42.58 ID:I50tBb/f0
家に帰るためにタクシーを拾って、目的地を告げて。

窓の外へと目をやると、決して満天とはいえないような星空が浮かんでいました。


あぁ、綺麗だなぁ、なんて思うほどでもなく。

かといってまったく何も見えないわけでもなく。

中途半端に、ちゅうぶらりんな私の気持ちのようで。


……星空を欲しいぞ、なんて。

いつだったかの温泉ロケで見た空は本当に綺麗でした。


楓「……」


あぁ、なんだか風が吹いているみたい。

ひゅうひゅうと、からからと。

39: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 19:28:16.12 ID:I50tBb/f0
家についてもまだ、風がやみません。

自覚してしまえば、衝動は大きくなっていく一方で。


酔っているせいもあるのでしょうか、無性に人肌恋しくなってしまって。

会いたいと思ってしまったんです。――あの人に。


シャワーを浴びている最中も、ざあざあという水の音の中に一緒に雨に降られた日を思い出し。

布団の中に入れば、そのやわらかさに物足りなさを感じてしまい。


今、改めて自覚をしてしまいました。


私は、プロデューサーのことを好きなのだと。

胸の中が、彼のことでいっぱいです。

42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 19:36:54.30 ID:I50tBb/f0
早く眠って明日になれば、事務所でプロデューサーには会えます。

でも、今こうして思っている時もまた、なんだか切ないけれど幸せで。


これがきっと、恋というものなんでしょう。


会えない時に、その人のことを思っているだけで。

その瞬間が永遠にも、一瞬にも感じられるような、気持ち。


楓「――プロデューサー」


あの人を思うだけで、幸せにも、不幸せにもなれるような、気持ち。


布団の中から、天井へと手を伸ばして。

ゆらゆらとゆらしているとだんだんと眠気が襲ってきました。

44: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/08/22(水) 19:43:31.97 ID:I50tBb/f0


希う。こい、ねがう。


あの人に、想いが伝えられる勇気があればと。


恋して、願う。恋願う。


この切ない夜に、さよならしたいと。


恋の願いを、希う。

踏み出す勇気を、くださいと。



素敵な恋よ、こっちに来い。なんて。


明日からはもう少しだけ。

あの人のことを近くで感じていたいと、思いました。



おしまい

引用元: 高垣楓「恋って、なんなんでしょう?」