1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 20:44:04.12 ID:R0ap0FHd0
紬「……zzz」スースー

梓「こんなチャンスは滅多にない!今こそこのノートを使うときが来た!」

梓「ええっと……ン、アー、ゴホン」パラッ

梓「『私とムギ先輩の一生(馴れ初め編)』」

4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 20:45:28.12 ID:R0ap0FHd0
時間というのは気まぐれなものです。
一緒に二人で過ごした時間はその二人を親密にするでしょうけれど、他人は無情に跳ね除けようとするのです。
二人だけをどこまでも固く結びつけるために、他の人はどこかへやってしまおうとするのです。

私にはお友達がいます。
唯ちゃんも澪ちゃんもりっちゃんも、みんな素敵な友達ですけれど、
その内の誰も私の"幼馴染"足りえないのです。
それを思うとちょっとだけ寂しくなる時があります。

ある秋の日のことです。
私は一人でお茶会の準備をしていました。
茶器とお菓子を机に並べて、席に座り一息を付いていると、秋陽が遠慮がちに私の手だけを照らして、
なんだかとても気持ちが良かったのを覚えています。
こんな風に日が差し込んでいたら、眠くなっちゃうなと思ったものです。

温まった手の甲にもう片方の手を置いたりして遊んでいると、時計のちくたく言う音が聞こえました。
ちくたく、ちくたく、と等間隔で時計の音はなります。
私はそれを聞いていると、せっかくの秋陽の優しさも冷たくされてしまったように感じて、ちょっと悲しくなりました。

恨みがましく時計を見つめていると、がら、とドアが開きました。
私はそちらをちらと見て、微笑んだのです。
小柄な私の可愛い後輩が、大きなギターケースを背負っていて、その見慣れた姿がなんだか可愛らしかったものですから。

「どうかしました?」

梓ちゃんが首を傾げると、長い黒髪が揺れました。
私はかわいいなあと思いました。自然と笑みが溢れるのを感じました。

「なんでもないわ」

8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 20:48:29.02 ID:R0ap0FHd0
梓ちゃんは私たちの一つ下の学年の子です。
軽音楽部員全員と、平等に一年半ほど過ごしてきました。
この平等に、というのが好きで、私は梓ちゃんのことを気に入っているのでした。

だって、梓ちゃんは私たち皆と同じくらい仲良しなわけですから、誰も寂しい思いをしなくて済むというものです。

「あの、やっぱりどうかしたんですか」

梓ちゃんが席に座って、さっきと同じ質問を繰り返します。
私もまた同じ答えを繰り返しました。

梓ちゃんは怪訝そうに私の顔を見つめています。
それで気づいたのですけれど、どうやら私は知らないうちに笑ってしまっていたようです。
私ははっと顔に手を当てて、なんとか勝手に出てくる笑いを抑えようとします。
けれどどうにもこうにも上手くいかないみたいです。

「なにやってんですか」

と梓ちゃんに言われてしまいました。

私がお茶を出すと、梓ちゃんは「美味しいですね」と言ってくれました。

それなり私も梓ちゃんも何も言わなくなって、二人の間には心地いい沈黙が、
紅茶の湯気と同じくらいおぼろげに漂うのでした。

けれど、ちくたくという時計の音は無機質に鳴ります。

それを聞いて、私ははっとします。
この沈黙は果たして、梓ちゃんにとっても心地のいいものかしら。

9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 20:49:59.57 ID:R0ap0FHd0
私は梓ちゃんの様子を注意深く観察します。
そうしたら、ああ、なんて情けないことでしょう。
私は自分一人浮かれていて気づかなかったのです。

彼女はそわそわと、どうにも落ち着かない様子でした。
時折ちら、と何か言いたげに私のほうを見ていました。

ちくたくと時計が鳴ります。

この様子から察するに、梓ちゃんはちいとも居心地よくなんてないのです。
そう思っていたのは私だけなのです。
それってなんて悲しいことでしょう。

私は慌てて梓ちゃんに尋ねます。

「あ、えっと、どうかした?」

「え、別になんでもないですけど」

さっき私がしたのと同じ答えを返されてしまいました。
私はしゅんとしてしまいます。

「……えーと、あの、紅茶美味しいですよ」

梓ちゃんなりに気を遣ってくれたのでしょうけど、その言葉は虚しく宙を漂って、
紅茶の湯気と同じように簡単にかき消えてしまいました。

そうして私が頭の隅でふと思ったのは、唯ちゃんやりっちゃん、澪ちゃんと二人きりでいる時でも、
梓ちゃんはこんな風に黙しがちなのかということです。

10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 20:52:08.41 ID:R0ap0FHd0
多分、違うんだろうな。
そんな答えがすぐに出てきて、私は胸に何かが溢れてくるのを感じました。

駄目です、こんなことじゃあ。
梓ちゃんは皆と同じくらい仲良しなはずなのです。

時間は平等に与えられていたのですから、その筈なのです。

りっちゃんが私より澪ちゃんと仲がいいのは、私より長い時間を一緒に過ごしたからの筈です。
唯ちゃんが私より和ちゃんと仲がいいのは、私よりずっと一緒にいたからの筈です。

そうじゃないと、私は不安と贅沢な寂しさに押しつぶされてしまいそうです。

「あ、梓ちゃん!」

私は自分でも驚くくらい大きな声を出して立ち上がりました。
梓ちゃんはびくりと大きく体を震わせて、

「は、はいっ!?」

と答えます。

「ちょっとこっちに来てちょうだい」

と私が言うと、彼女はおどおどとしながらも素直に私の前まで来てくれました。

14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 20:53:55.39 ID:R0ap0FHd0
たしかあれは去年の学園祭の時だったでしょうか。
唯ちゃんが風邪を引いてしまったときに、梓ちゃんはそれを大層心配していました。
それで唯ちゃんが風邪を治して学校へ来て、うれしさのあまり梓ちゃんに抱きつき、挙句き、きすまでしようとしたときには、
梓ちゃんはいやがってビンタまでしていましたけれど、こっそりと楽しそうに笑っていたのです。

私がしても、同じような反応をしてくれるでしょうか。
いいえ、してくれないと困るのです。

ちくたくちくたく、ちくたく、いつまでも鳴り続ける時計の音は、
私の思いつきをいつのまにか義務にしてしまったようです。
確かめなければ何かとんでもないことが起こるとさえ思えました。

「あ、あの、ムギ先輩……」

梓ちゃんがおずおずと、私を見上げて言ってきます。
私はえいと心のなかで掛け声をかけて、勢い良く梓ちゃんを抱きしめました。
むぐ、と梓ちゃんは呻き声を上げます。

期待に反して、梓ちゃんは唯ちゃんにするように、やめてくださいとあしらったり、
私を押しのけるようなことはしてくれませんでした。
ただ、顔をちょっと赤らめて上目遣いに私を見て、何かを言おうとして黙りこむだけです。

ちくたく。

私はいよいよ焦ってきました。
このままじゃいけない、このままであっていい筈がない。
何かに駆り立てられるようにして私は、そうっと梓ちゃんの顔に自分の顔を近づけていきます。

17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 20:55:42.73 ID:R0ap0FHd0
「あ……ムギ先輩」

梓ちゃんは目を大きく見開いてそう呟きました。
けれど、声はちゃんと外に出切る前に私の口に栓をされてしまって、くぐもった音になりました。

しばらくそうしていました。
ビンタが来るぞ、来て、来い、と半ば祈るようにして思いながら。

心臓がばくばく鳴って学校中に響いているような気がします。
それが時計の音と同期して、一層激しく私を苦しめるのです。

私が一人で苦しんでいると、梓ちゃんはするりと私の腕から抜け出しました。
あ、と短い声をあげることしか出来ない私を睨みつけるようにして見て、

「な……」

とだけ言うと俯いて黙ってしまいます。
そうして私が何か声をかけようとする前に、彼女はだだだと走って音楽室から出て行ってしまいました。

帰ってしまったのでしょうか。
怒らせてしまったのでしょうか。
嫌われてしまったのでしょうか。

私は床に膝をついて泣き出したくなりました。
けれど、駄目です。梓ちゃんに謝らないといけません。
どうして怒らせてしまったのかも私には良く分からないけれど、とにかく謝らないと。

どうやって彼女を追いかけよう。そう思案している私の目に、彼女の置いていった鞄が映りました。
占めた。私はそれを持って音楽室を出て、梓ちゃんを探しに行きました。

18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 20:56:26.74 ID:R0ap0FHd0
「梓ちゃーん……」

グラウンドや排水溝を探しても梓ちゃんを見つけられなかった私は、
今度はがさごそと植え込みをかき分けて梓ちゃんの名前を呼びます。
途中、割れた花壇のレンガ片に足をぶつけてしまいました。
それでも梓ちゃんは見つかりません。

「んなところにいるわけないでしょうが!」

後ろから怒ったような声が聞こえて、私は慌てて振り返ります。
走りまわったのでしょうか、肩で息をしながら、梓ちゃんが私のことを見つめていました。
私がなにか言う前に、彼女はずんずんと私に近寄ってきて、私が持っていた彼女の鞄をひったくりました。

「鞄返してくださいよ、帰られないじゃないですか」

そうしてくるりと踵を返し、来たときと同じ勢いで私から離れていこうとする彼女の肩を、私は急いで掴みます。
彼女は振り返って、また顔をちょっと赤くしました。

「な、あ、今度はなんですか」

しどろもどろになりながら、斜め下に視線をやって彼女は言います。
私は深々と頭を下げました。

「ごめんなさい……さっきは唯ちゃんの真似をしただけなの」

梓ちゃんははぁ、と気のない返事をします。
どうにも納得の行かない様子です。
唯ちゃんと同じように反応をしてもらうことがどれほど私に重要だったか、どうすれば分かってもらえるのでしょう。

19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 20:58:55.63 ID:R0ap0FHd0
「あのね、だから……」

「いえ、もういいです」

私を遮ってそう言うと、彼女は視線を足元に落としました。
どことなく腹立たしそうに見えて、私ははらはらします。
彼女は足元に落ちてあったレンガの欠片を足で少しずらして、ひょこんとその上に乗りました。
そうすると彼女の背丈は私と同じくらいになります。
私は見上げるでも見下ろすでもなく、真っ直ぐに彼女を見つめます。

彼女は私の頬に小さな手を添えて、赤みを増した顔を少しずつ近づけてきます。
音もなく、唇はふれあいました。
それが重なっている間、私は有機的な心臓の音がだんだんと大きくなるのを感じました。

最初のうちは、秋風に吹かれて飛んでいく枯葉が、アスファルトと擦れる音だとか、
虫が枯葉のそばで動いたときに鳴るかさかさ言う音だとかが聞こえていたのですけれど、
それもいつの間にか心臓の音にかき消されてしまいます。
どれほどの時間が立ったのか、時計の音と違って心臓の音は規則的でないから分かりませんけれど、
私には随分と長い時間が経ったように感じられた頃、梓ちゃんはつけた時と同じように音もなく唇を離しました。

「これで」

彼女は首を軽く傾けてはにかみます。

「チャラにしましょうね」

彼女は別に怒っていたんじゃないと知った私でした。
ちょっと顔が赤くなるのを感じる私でした。
付き合ってもいないのに、互いに互いからきすをした二人でした。

21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 21:01:05.77 ID:R0ap0FHd0
ある冬の日のことです。
その日も哀しいかな、友人たちは大切な幼馴染と勉強をするとかで私に構ってくれなかったのです。
それでふらふらと音楽室へ来てみたのですが、そこにも誰もいませんでした。

暇に任せて見渡すと、音楽室の一角に明るいばかりであまり空気を暖めない冬日が差し込んでいます。
私はそこにゆっくりと腰をおろしました。

あの秋の日からも私と梓ちゃんの関係は特に変わりはしませんでした。
あれ以降二人きりになることもありませんでしたし、私も彼女も強いてそういう状況を作り出そうとはしなかったものですから。
けれど前よりは、私は梓ちゃんと仲良くなれたんじゃないかな、と思うのです。

梓ちゃんが言ったようにチャラになっているかどうかと聞かれると、どうにもそうはなっていないようでした。
多分、私のほうが得をしちゃっているみたいです。

それを思うとなんとなくうふふと笑みがこぼれて、その声が情けないぼんやりとした日差しに溶け込む頃には、
だんだんと私の意識はまどろんでいきました……

22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 21:03:11.54 ID:R0ap0FHd0
ゆっさゆっさと体を揺すられます。
それで私は目を覚ましました。
ゆっくりと目を開けてみると、梓ちゃんが中腰になって私の顔を見下ろしていました。

「なにしてんですか」

梓ちゃんはちょっと呆れたように言います。
私はえへへと笑って、床の、窓の形に光が当たっているところをぽんぽんと叩いて言いました。

「お昼寝。西日が当たっていて気持ちがいいから」

おぼろげな日光でも、長いこと時間をかけて少しずつ物を暖めます。
そんなわけで、案外日向でお昼寝をしていると身体が暖まるのでした。

「そうですか」

彼女は気のない返事をして、背筋を伸ばします。
そしてあたりをぐるりと見回して、また中腰になりました。

「他の先輩たちは?」

私は部屋にかけてある時計を見て、ついでに腕時計で時間を確認します。
どうやら音楽室の時計のほうが少し時間が進んでいるようです。
もう大分遅くなっていますから、今からみんなが来るということもないでしょう。

「今日は来ないんじゃないかなあ」

「そうですか」

と、梓ちゃんは同じ返事を返しました。

23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 21:05:31.29 ID:R0ap0FHd0
ちっくちっくと時計の針は鳴っています。
けれどそれもあまり正確ではなく、遅くなったり早くなったりしているのだということに、
いまさらながら気づいた私は何だかほっとするのでした。
少しだけその音が暖かみを帯びた気がして、私は彼女に微笑みました。

「お茶、準備しましょうか……」

けれど彼女は、立ち上がろうとした私の肩を押さえてじいっと私の目を覗き込んできます。
彼女は私を見下ろしたまま、真面目な顔で何かを言おうと口を動かします。
しかし上手くいかないのか、一人でううと呻いた後に、そっと私の頬に手を当てました。

私は動きません。
動かずに、だんだんと早くなっていく心臓の鼓動に耳を澄まします。
しんしんとした冬の空気の中でその音は響いて、私の耳の中で時計の音と同期します。
それもすぐに追いぬいて、私の心臓だけが何よりも早くリズムを刻んでいくのです。

私の中だけ、どんどんと時間が過ぎていくような気がしました。
数時間にも感じられるくらいゆっくりと時間をかけて、梓ちゃんは顔を近づけてきます。

とん、と軽く触れ合ったとき、一気に時間は元に戻ってしまったようです。
梓ちゃんがそれを離すまでの時間は恐ろしく短く感じたのです。

27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 21:08:00.39 ID:R0ap0FHd0
呆けた表情で見つめる私に、梓ちゃんは首を傾けます。

「まだチャラになってないような気がしたもので」

年下のくせに、彼女は私を見下ろしてきます。
そんな彼女を頼もしいと思う私でした。

「それと……えっと……」

表情は変わらないくせに、しどろもどろになりながら、ちょっと顔を赤らめて彼女は言います。
きれいなピンク色の肌に、彼女の吐く息の白が重なってとても幻想的です。

「すきです」

「私も」

少し順序がおかしいけれど、告白は簡単に済ませてしまう私たちでした。
はにかみながら私を見下ろす彼女を、少し頼もしいと思う私でした。

28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 21:10:20.68 ID:R0ap0FHd0
ある春の日のことです。
私は卒業証書を持って、きりっと背筋を伸ばして歩いて行きます。

三年間と言う時間は、平等に私たちに流れました。
私は他の皆と同じようにその時間を過ごして、同じように大きくなったのでしょうか。
そんな筈はないのです。

今だってほら、待ち遠しい場所までの時間はやけに長く感じられて、私を焦らします。
漸くついたころに振り向いてみると、廊下はやけに短く感じられます。
そんなものです。

私は大きな音を立てて音楽室の扉を開けます。

音楽室では、梓ちゃんが一人、ぽつんと席に座っていました。

「あ……」

彼女はしまったと言うように制服の袖で目元を拭って、痛ましい笑顔を私に向けます。
私はきうと胸が締め付けられるように感じました。
できることなら卒業せずに、この学校に残っていたいとも思います。
けれど、時計の上で過ぎていく時間はやはり平等で、忙しなく私を追い立てるのです。

そして、梓ちゃんに不足した一年は、もうしばらくの間彼女をこの学校に縛り付けておきます。

「どうかしましたか?」

相変わらず情けない、弱々しい笑顔で梓ちゃんは言いました。

30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 21:12:55.97 ID:R0ap0FHd0
「なんでもないの」

私は努めていつもと同じように微笑みます。

色々と言いたいことはあったのです。
大丈夫だよとか、また会いに来るからねとか、在り来りな台詞をいくつも思い浮かべていたのです。
けれどいざ彼女を前にすると、何もかも吹き飛んでしまって、結局私は腕を大きく広げて、
そのくせ小さな声で一言だけ言いました。

「おいで」

彼女はためらわずに私のほうへ駆けてきて、どんと勢い良く私の胸に飛び込んできます。
私はその体重を足で受け止めて、彼女をぎゅっと抱きしめます。
彼女の髪に顔を埋めます。

ひっくと彼女はしゃくりあげました。
泣き顔を見られたくないのか、彼女は俯いたまま、涙で濡れた顔を私の制服に押し付けてきます。

私は彼女の頭を撫でました。
彼女は泣くのをこらえようとするせいで、次の瞬間には一層強くしゃくりあげてしまって、
もうどうにも行かない様子です。

とてもゆっくり、優しく、ともすると甘すぎるくらいにゆるやかに時間は流れていきました。
どれほどの時間が経ったのかなんて、私には気になりませんでした。

中毒性のある優しさは少しずつ感覚を麻痺させていって、なんとなく時計が目に入ったとき、私はちょっとびっくりします。
いつの間にか十分も時計の短針は進んでいたのです。

梓ちゃんはまだ泣いていました。

31: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 21:14:21.07 ID:R0ap0FHd0
時計を見つめて、私は優しく微笑みます。

「梓ちゃん」

彼女は俯いたままでした。
私は彼女の顎にかるく指をかけて、それをくいと上げます。

涙に濡れた情けない顔でした。
けれど、どんなにしっかりしていてもやはり彼女は年下なのだと確信させてくれるような、
あどけなくて可愛らしい泣き顔でした。

「むぎせんぱい」

彼女が発した言葉に引きずられるようにして、私はいつものように、いつものことをしました。
重ねあうと、彼女は少し暖かい息を漏らします。
心配性の私は彼女が逃げてしまわないように、彼女の頭を手で抑えます。

そのうち彼女のほうからも遠慮がちに押し付けてきて、私は嬉しくなります。
重なり合っているのはそこだけではなく、胸や、他の肌なんかも。
そうした部分が私の鼓動を彼女に伝えて、少しずつ同期していくように感じます。

32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 21:15:56.74 ID:R0ap0FHd0
どれだけ時間が経ったのか、それが終わった後で、もう一度彼女の頭を撫でて私は笑います。
時計をみて、一層笑いを大きくします。

「十秒も経ってないなんてね」

彼女は一瞬きょとんとして、直ぐに明るく微笑みます。
小さな手を私の手にからませて、少し恥ずかしそうに私を見上げます。

「そうですね……」

そうして彼女はふわっと、つぼみが花開くように優しく私の胸から離れていきました。
そうして私に人差し指を向けて言います。

「一年の差なんて、直ぐに追いつきますから、待っていて」

私は多分その通りになるだろうと思います。
だって、たった数十秒で、梓ちゃんはさっきまでの泣いていた梓ちゃんとはまるっきり別人になっていたのですから。

33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 21:18:20.16 ID:R0ap0FHd0
梓「『時間の流れなんて好きなように変えられるのです。そんな二人の関係でした。』」ペラッ

梓「『きっとあと一年もしたら私たちの間には、他の"幼馴染"たちが過ごした十年間よりもずっと素敵で、長い数年間が流れるのでしょう。』」パラッ

梓「『二人の間には、平等なんてなんのその、誰よりも長く濃い時間が流れて、私たちは互いに一番仲良しになるのです。』」

梓「『そう思って、彼女を見つめます。』」

梓「『泣きはらした目で私を見つめる彼女を、今までで一番頼もしく、愛しく思う私でした。』」パタン


紬「……zzz」スースー


梓「ふう……ムギ先輩が起きないうちに『二人しかいない結婚式編』まで朗読しないと!」フンス!


斎藤「何をなさっているのですかな」ヌゥッ

梓「ぴゃっ!?」

36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 21:19:52.61 ID:R0ap0FHd0
梓「ああああああああの、べつべつにににやましいことなんて」

斎藤「……人は寝ている間、現実と夢の境が朧気になるといいます」

梓「ギクッ」

斎藤「真偽は定かではありませんが、あるいは記憶や心情の刷り込みまで可能だとか」

梓「ギクギクッ」

斎藤「そういうことだと、解釈してもよろしいですかな?」ギロリ

梓「ちちちちちちちちがわい!このやろーいいがかりつけてんじゃねーですよぉ!!」


校内放送『エマージェンシーエマージェンシー!著しくお嬢様の未来を損なう行為がなされた!全員直ちに現場へ急行せよ!』


梓「違うもん!明るい未来をつくろうとしただけですう!!」ジタバタ


ガシャーン

黒服「フリーズ!」ガチャッ

梓「窓を破るなんて、なんてやつらだ!」

梓「でも私は逃げきって見せる!やってやるです……!!」ダダダ

斎藤「!換気扇から逃げたぞ、追え!」タタタ

37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/04/04(月) 21:20:35.19 ID:R0ap0FHd0
少し騒がしくなって私は目を覚ましました。
けれど不思議なことに、音楽室には依然私しかいません。

どうしたことかしら。

不思議に思っていると、どうにもどこかで音が鳴っているような気がします。
そっと胸に手を当ててみると、それが心音だということに気が付きました。
やかましいくらいに、こっちが恥ずかしくなるくらいに大きな音を立てています。

でも、誰に?

答えは音楽室を見回すとすぐに分かりました。
その人を見つめた途端に、とくんとくん、と胸は高鳴るのです。

「トンちゃん……」

私は一人はにかみながら呟くのでした。



おわり。

引用元: 梓「ムギ先輩が寝ていらっしゃる……」