1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:02:41.69 ID:uON2Klq60
その日はたまたま帰りが遅くなった。
生徒会室を施錠してふと窓の外を見る。……最悪だった。

「ひどい雨……」

それはバケツをひっくり返したような……という形容詞がぴったりなくらいのどしゃ降りだった。
生憎、傘なんて持っていない。
だって朝は気持ちのいいくらい快晴だったから。


溜息を吐きながらも下駄箱へ向かう。
外はもう夕焼け色に染まり、校内に残っている生徒は自分以外にいそうにない。
仕方ない、そう思い職員室に向かおうとした時、誰かに肩を叩かれた。

「傘ないの?」

2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:03:45.90 ID:uON2Klq60
青い瞳に見つめられ、一瞬思考が止まった。
それより、どうしてこんな時間まで学校に残っていたのかが知りたかった。

「な、なんでここにいるのよ」

「居残り」

「……はぁ?」

「この間のテスト見ただろー?あれの追試させられてこんな時間」

不満気に唇を尖らせた彼女は、鞄から一つの傘を取り出した。

「でも、綾乃ラッキーだったね」

「どういう意味よ」

彼女が手にしていた赤い傘が開かれる。

「私がいたじゃん」

彼女の笑みが私に向けられた。
それがどういう意味なのかなんてわかっている。
傘を持っていない私が、傘を持っていたあなたに偶然会えたということ。

3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:04:30.17 ID:uON2Klq60
「……べ、べつに嬉しくなんかないわよ」

「もう、つれないなぁ。綾乃は」

「……えっ、ちょっ、待って」

「相合い傘~」

急に手を引かれてバランスを崩した私を彼女は事も無げに支えてみせた。
そして無邪気に笑いながら「綾乃とデート」なんて言っている。

私が好きなその笑顔は今、とても近いところにある。
だけど私が隣を見る余裕なんて、ない。

「……」

「綾乃……?」

「……」

「ご、ごめん。迷惑だった?!」

恥ずかしくて何にも言えない私を彼女は盛大に勘違いした。
ここで「そう、迷惑よ」なんて言えば彼女はどんな表情を見せてくれるのだろう。

興味はあるけれど、そんなことはしない。
しない、じゃなくて「できない」のほうが正しいかもしれない。

――だって、私は。

4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:05:10.25 ID:uON2Klq60
「め、迷惑なんかじゃないわよ……」

思い切って隣を見れば、丸くなった青い瞳と目が合った。

「……よかったぁ」

心底安堵したような表情を浮かべた後、彼女はにっこりと笑った。


――そう、私が見たかったのはこの笑顔のほうだ。

6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:06:44.38 ID:uON2Klq60


時々、ふと考えることがある。
好きになったきっかけとか、ドキドキする仕草とか。
だけど結局答えは出ないまま、いつも時間だけが過ぎてゆく。

「寒くなったね」

「そうね」

「寒くない?」

「うん……大丈夫」

不意に見せてくれる優しさもそうだけれど、きっとそれだけじゃない。

「ねえ、歳納京子」

「んー?」

間の抜けた声も、その大きな瞳も。
全部、歳納京子のものだから。

「……好き」

私の歩が止まる。
コンクリートを激しく叩く雨音に私の声は掻き消された。

8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:07:45.32 ID:uON2Klq60
同時に、その方が都合がいいと思っている自分がいた。

こうやっていつも彼女と向き合うことを避けてきた。
いつまで逃げればいいんだろう――自分の弱さに少しだけ、視界が滲んだ。


止めていた歩を進めると、肌が濡れた。
振り返ると、赤い傘を差したまま立ち尽くす彼女がいた。
その状況を理解した私は頬を紅くして俯くことしかできなかった。

するとすぐに肌に当たっていた雨粒が遮られ、「ごめん、大丈夫?!」と慌てた彼女の声が聞こえた。
俯いたまま頷くと、濡れた前髪から雫が頬を伝った。
そしてその雫を拭うように、彼女の右手が私の頬に触れた。

「と、歳納京子……」

「……一つ聞いてもいい?」

彼女は普段のおちゃらけた声とは違う、極めて穏やかにそう尋ねてきた。
否定するという選択肢を忘れさせてしまうくらい、今の彼女には今の私を支配する力があった。

9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:08:48.31 ID:uON2Klq60
「何……?」

ずっと隠し続けていた、そしてこれからも隠し続けるはずだった気持ち。
その想いがたった二文字で、全て彼女に伝わってしまったのだ。

動揺と後悔で声が震えた。
私はただ、後に続く彼女の言葉を待った。
――そして、少しだけ覚悟をした。

「ねえ……」

聞こえてきたのは、まるで縋るような弱々しいほどの声だった。

「何でそんな悲しい顔するの……?」

彼女の声もまた、私と同じように震えていた。
驚いて顔を上げると、ゆらゆらと揺れる青い瞳があった。

10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:09:48.16 ID:uON2Klq60
「な、なんで歳納京子が泣くのよ……」

「だって綾乃も泣いてるじゃん……」

「こ……これは雨よ!雨のせいなんだから……」

二人を覆う傘にぶつかる雨粒の音が大きくなる。
二人の啜り泣く声はその雨音に紛れ込んだ。

「多分……もう一回言ってって頼んでも……綾乃は……綾乃はもう言ってくれないと思う」

「言わないわよもう……言えるわけないじゃない」

「だから……だから嬉しかったのに……!」

彼女は睨むように強く私を見つめた。
だけどすぐにその瞳から涙が零れる。

「嬉しかったのにっ……なんでそんな悲しい顔するの……?」

想定していなかった彼女の言葉に、返す言葉が見つからなかった。
その代わり、徐々に冷静さを取り戻した私は未だ子供のように泣き続けている彼女が、ずっと傘を差し続けてくれていることに気が付いた。

12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:11:46.40 ID:uON2Klq60

彼女の制服は酷く濡れてしまっていた。
対照的な自分の制服を見て、私はその理由に気が付いた。

こういうところ、本当にずるい。
だけど、私が彼女に対して抱いている想いはやっぱり確かなものだった。

「歳納京子」

彼女の手から傘を取る。

「……ありがとう」

そう言って笑ってみせると彼女は目を丸くした。
けれど、すぐに目頭を拭って「……うん!」と微笑んでくれた。
無垢な笑顔に再び泣きそうになったけれど、ぐっと堪えて歩き出した。

多分、私の『好き』は別の形で彼女に伝わったのだろう。

取り越し苦労だった――そう安堵する裏側で残念だと感じる自分もいた。
恋は、矛盾だらけだ。

13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:12:57.54 ID:uON2Klq60


しばらく歩いていると、水溜りに光が射していることに気が付いた。
傘を下ろすと、もう雨粒が肌に触れることはなかった。

「止んだみたい……」

「ほんとだ……」

さっきまでの豪雨が嘘のように辺りは静まり返っていた。
傘を畳み、彼女に渡そうとしたとき「あ!」と彼女は突然声を上げた。

「綾乃!見て見て、虹!」

私の右手に彼女の手が触れた。
彼女の手はさっきまでの雨のせいか、冷たく感じた。

「本当ね……」

夕焼け空にかかる虹はどこか幻想的に思えた。
隣を見ると、小さな子供のように目を輝かせる彼女がいた。

「すげー、雨が止むと虹が出るって本当なんだなー」

さっきまで泣いていたのが嘘のように、彼女も私も微笑んでいた。
それはまるで、今日の空模様と一緒だった。

14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:13:59.17 ID:uON2Klq60
ぼうっと空を眺めていると、隣から視線を感じた。
見ると、彼女がなぜか満足そうに笑っていた。
そして、ぽつりと言った。

「今日、綾乃と一緒に帰れてよかった」

「え……?」

「ありがと、綾乃」

ずっと繋がれていた手。
その手に少しだけ力が込められる。

「私……鈍感だから、たぶん、ずっと綾乃の気持ちに気付いてあげられないでいたと思うんだ。本当にごめんね」

「歳納京子……」

「だけど、ちゃんと伝わったよ。受け取ったから、私」

そう。彼女は酷く鈍感な癖に時々すごく敏感なのだ。
そうやっていつも私の心を掻き乱していく。

15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:14:36.55 ID:uON2Klq60
「私、まだそういう『好き』とか実感なくて……あんまりよくわかんないんだけど」

だけど、今日は少し違った。

「さっき綾乃の笑顔見たとき、ちょっとドキドキした」

夕焼けの中、彼女の頬が薄っすらと染まっているのがわかった。
それに負けじと私の頬も赤く染まる。

「だからもう泣かないで欲しいんだ。綾乃の笑顔、もっと見たいよ」

大きくて澄んだ青い瞳に見つめられた私は言葉をなくした。
ただ、想像していたよりも都合の良い展開にこの身が置かれているのは事実だった。

16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:15:21.26 ID:uON2Klq60
繋がれていないほうの手で、ぎゅっと頬をつねる。
痛覚は正常だった。

「痛い……」

「あはは、そりゃ痛いでしょー」

間伸びした彼女の笑い声がずっと近くにあった。
つられて笑うと「それそれ、その笑顔!」と彼女は再び満足そうに言った。

「私も……好き、なのかな」

そして誰に向けるわけでもなく、彼女はぽつりとそう零して空を見上げた。

私が彼女のその気持ちを肯定することは簡単だ。
彼女のことだから、きっと私の言葉を信じて「そうだよね」と頷いてくれるだろう。
だけど、そこに私の求めているものはない気がした。

18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:16:15.77 ID:uON2Klq60
「歳納京子」

「何、綾乃」

「私、待つのには慣れてるから」

繋いでいた手を解こうと力を緩めれば、それを拒否するように更に力が加わった。

「歳納京子?」

「じゃあ、綾乃にはそれまで側にいてもらうね!」

目を丸くして驚く私とは対照的に彼女はとても楽しげに笑っていた。

「ど、どういうことよ?!」

「この気持ち、ちゃんと確かめたいからさー」

私も綾乃と一緒だったら嬉しいな――そう言って彼女は再び私の手を引いて歩き始めた。

21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:26:29.88 ID:uON2Klq60
好きになったきっかけや理由は今もわからない。
ただ、今、隣で笑っているこの表情を見られることが本当に嬉しい。

別れ道に差し掛かり、二人の手のひらが自然と離れる。

「何か濃い放課後だったねー」

「そうね。泣いたり笑ったり、ちょっと疲れたわ」

「綾乃泣きすぎー、いくら私が好きだからって?」

「なっ……そういう歳納京子だって号泣してたじゃない!」

「綾乃が泣くからだろー」

「ひ、人のせいにするなんて、罰金バッキンガムよ!」

少し前まで冷たく感じていた彼女の手のひらは、もう充分すぎるくらい暖かかった。

23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:32:14.05 ID:uON2Klq60
「でも……」

言い掛けて思わず口を閉ざした。

もし、歳納京子が私と同じ気持ちになってくれた時には。

「……ううん、何でもない」

「ええー、気になるじゃーん!」

今まで素直になれなかった分、素直になりたいと思う。

「じゃあ……」

名残惜しさを押さえながら、私は口を開く。

「また明日ね。歳納京子」

彼女はそれに綺麗な笑顔で応えてくれた。

「うん。綾乃も気をつけて帰りなよ~」

私はその背中を見えなくなるまで見つめていた。
そして、しばらくして自分の腕にかかる僅かな重みに気がついた。

26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:41:36.45 ID:uON2Klq60
「傘……」

雨が止み、返すのをすっかりと忘れていた存在。
この傘は、彼女と私の距離を縮めてくれた。

放課後の一連の出来事を思い返し、私は傘の柄に触れた。

これを彼女がわざと忘れていったとは考えにくい。
だけど、もしそうだったら――。

「明日、返しに行かないと」

それは明日、彼女に会う口実。
そして、その明日を楽しみにしている自分に気付き、彼女への想いを改めて確信する。

27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/11/20(日) 10:42:45.69 ID:uON2Klq60

明日、会ったら何を話そう。
そして、彼女はそれに何と言って応えてくれるだろうか。


「好き……なのね」


彼女の笑顔が脳裏に浮かび、橙色の空が私の頬を隠した。



――今日、私が呟いたあの二文字に、偽りはなかった。






おわり

引用元: 綾乃「とある日の放課後」