1: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)17:05:37 ID:mfc
何の気なしにSNSでそう呟いた、それだけのことだったのに。
単なる電気信号の送受信だけでとどまると思って、そう呟いたのに。

その日から世界は、病院食のように味気なく、また薄いものとなってしまった。

9: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)17:11:04 ID:mfc
そうは言っても、別に私の声帯がちぎれたわけでもないし、全人類が言語を操れなくなったわけじゃない。

国語の授業はいつも通りだし、テレビから流れる情報もいつも通り。
むしろ今までよりも分かり易く、簡潔に、そしてストレートに伝わるようになったのだ。


――それなら別に悪いことじゃないじゃん?


当初の私もそう思っていた。
この「言葉が薄くなる」ことを自覚し、認識していた人間は私以外にはいないようだった。
ただ世界中を探せば一人くらいはいたのかも。

13: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)17:16:55 ID:mfc
「平成女子の心を歌い上げる大人気歌姫、東野カナさんで~す!」

にこやかに歌い、歓声を浴びる歌手。
クラスでももちろん人気で、私もアルバムを何枚か持っている。
彼女の持ち味は「ストレートな歌詞」だそうだが、はたしてそれは魅力たりえるのか?
この現象が始まってから半年ほどで、私は首を縦に振れなくなっていた。

思い返せば、私は彼女の言葉の何に共感し、涙を流していたのだろうか。
それがさっぱりと、分からなくなっていた。

別に東野カナだけじゃない、日常生活でもそうだ。

15: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)17:23:10 ID:mfc
「おはよー、お……前髪切ったの? かわいいじゃ~ん!」

「あはは、分かる?」

「分かるよ~! ウチら親友じゃん?」


反吐が出る、息をするようにそんな言葉が吐けるお前に、反吐が出る。
半年前までは、本当に親友だと思っていた、それは嘘じゃない。
何度も相談し、慰めて慰められて、登下校も一緒にするのは当たり前だった。
そして、「そのような関係が親友である」という根拠のない自信に裏打ちされた関係性を、私以外の周囲もまた、親友の定義として扱っていた。
つまり常識だったのだ。

だけど今、こうして言葉の価値や奥深さが損なわれていることに気づいた私は、一歩ひいて考えるようになった。
そして、自問する。
「その常識は誰に教えてもらったのか」と。
答えは出せなかった、出したくなかったのかもしれない。
自分自身の考えや、中身がないということを認めることになるから。

16: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)17:28:42 ID:mfc
所詮、私たちは言葉でつながっているに過ぎない。
当然だ、心は見えないし感情は聞こえない。だから言葉に全てを託し、相手へ届ける。

いつからか、私はその行為を感情表現のための道具としてではなく、メイクに使う道具のように扱っていたように思うのだ。
本心が濃縮された言葉、それらは本当の重みを持って相手へと届けることが出来るが、本心でない言葉はとても軽い。
だから言葉を重ね付けて重みを増していた、まさにメイクのように、装飾して飾って、完成品を献上していた。


今だからそれが分かったけれど、半年前までは私もそれに無自覚のまま生活していた。
今考えればおぞましい限りだ。
それでも、その事実を心のどこかで感じていたからこそ、SNSにあのような書き込みをしてしまったのかも知れない。
真偽の程は定かではないけれど。

18: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)17:35:02 ID:mfc
「……どしたの、浮かない顔して? 珍しく考え事?」

「珍しくってなによー」

「あはは、でもほんとに浮かない顔してる。 どうしたの?」

「なんでもないよ、大丈夫」

「……そう、何かあったら言ってね?」

「……うん」


こんなやり取りを無意味だと思ってしまう自分は、捻くれ者なのだろうか?
今までならもっと素直に、盲目に信じていられた言葉も、嘘くさくて、まるで言わなければいけないノルマをなぞっているようにしか受け取れなくなっていた。


そもそも、本心を言葉にすることなんて可能なのだろうか?
さっきも言ったとおりに心は不可視で、あいまいなもの。
それを形あるものとして言葉に写すことなんて、本当に可能なのだろうか?

19: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)17:35:42 ID:mfc
私は、ある実験を試みた。

21: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)17:44:12 ID:mfc
まず、ひとつ。
何でもいいけど、感情を一つ選ぶ
そして、どのような言葉を選べばより深く、その感情が届くのか。

それを知ることこそが言葉に心を込める方法をより効率的に知れると考えた。

そして、実際に私が言葉を発したところで、「私」というバイアスがかかってしまう。
バイアスは0にはできないが、出来るだけ少なくした方がいい。
だから、「有形の言葉」として「公的」なものの最たる例である「音楽」を使うことに決めた。

22: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)17:53:08 ID:mfc
詳細……というほど難しい話ではないけれど、詳しい実験内容を。
その前に、一つ感情を選ぶのだけれど、私はいたってシンプルに「好き」という感情を伝えられるか試すことにした。

そして実験の内容だけれど、同じ「好き」という気持ちを綴った音楽を聞き比べてもらうというもの。
ただ、「もっとも表現を凝らしている」と思ったものと「もっとも簡略化され、ストレート」だと思ったもの、その両者を同時にだけれど。

また、それらの楽曲を選ぶ際にもまた私というバイアスがかかってしまうのだが、こればっかりは不可抗力なので、仕方がない。
まず、「もっとも簡略化され、ストレート」だと思う楽曲から、友人に聞かせることにした。

24: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)18:00:38 ID:mfc
「…ねえ、言葉に甘えて一つだけお願いしてもいい?」

「いいよー? 100円くらいまでなら貸せるけど!」

「それも魅力的だけど…ちょっとこれ聞いてみて?」

「おお、おすすめの新曲でも聞かせてくれるの?」

「……まあ、いいからいいから」

https://www.youtube.com/watch?v=y1KqtVpmh1s



「……どう?」

「どう、って……今更聞かれても答えづらいけど、まあ聞きなれたよね」

「好きーって気持ちは、伝わる?」

「震えるくらいだから伝わるんじゃないかな?ww」

「……」

「わ、わかったから睨まないで…! 好きって気持ちは伝わるし、あー分かるわー……って思うけど、まあそんくらいだよね」

「そっか、ありがと」

「え、それだけ?」

「まっさかー」

「まだ何かするの……?」

「次はこれを!」

26: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)18:06:16 ID:mfc
https://youtu.be/63S2yjB-BOg


「……どう?」

「なんというか、うーん」

「本家は中島美嘉なんだけど」

「ああ、なんか分かるかも」

「比べてみると、どう?」

「題名がショッキングだけど……」

「けど?」

「深く好きすぎて、生死まで持ち出されるし、前半の歌詞なんて自殺願望つらつら言ってるだけかと思ったんだけどね」

「うん」

「それらの描写があるからこそ、こんなに好きになったのかなぁって想像して、全然共感できないはずなのに、なんていうのかな……」

「好きになるってこういうことかーって思う?」

「うん、そんな感じかな……なんというか、凄い歌だね」

「だね、ありがとう。 付き合ってくれて」

「良いって事よ、親友じゃん」

「……うん」

30: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)18:19:11 ID:mfc
結果から言えば、後者……「もっとも表現を凝らしている」言葉で綴られたものの方が強く心象に残ったそうだ。
そして、ここから先は私の考察になるけれど、多分、両者が行っていることは同じなのだ。

書き手、歌い手側が、聞き手や受け手の共感できうるであろう物事を血眼で捜し、相手の立場で考えたうえで言葉を作る。
そうしてできた言葉の羅列は、単なる文字ではなく、本質としての「好き」をお互いに共有する「手がかり」として吸い込まれていくのではないか、と。
私はそう考えた。

そして、もしそうであったならば、ストレートな言葉とは手がかりにふさわしいのか。
それは使いどころに拠るのではないか、という結論が出た。

31: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)18:28:25 ID:mfc

例えば家族会議で「息子の進学について」話している際に、ストレートな言葉以外は必要ないと思う。
逆に「子が親の真意を探る」際において、感情をそのままにしたストレートな言葉はかえって真意を掘り進めることを難しくすると思う。

その両者の違いとは。
つまり相手の心がむき出しかどうか、に限ると思う。
前者は統一され、明るみに出ている「息子の進学」という事象について全員がむき出しの心で臨むのに対し
後者は相手の心をむき出しにしなければならないというワンクッションが必要になる上に、
相手が何故心を隠しているのか、その理由まで含めて無視できない事象になるために、おいそれと本心をぶつけることはできない。
それは思いやりであり、言葉を扱う際のマナーであると私は思う。
……脱線したけれど、続ける。


言葉を「本質を共有する手がかり」として定義するのであれば、その言葉が複雑か簡略かはむしろどうでもよい、ということになる。
ひとことであらわすのであれば、ケースバイケース。
むしろ言葉を操ることよりも、そのケースを見極めることこそが大切であり、そのケースにあった言葉選びこそがコミュニケーションの最大の難関であるとも言える。
それは実験として使った両者にも言えることで、薄いとか濃いとか、深いとか浅いとかではないのだと思う。
本心がむき出しの自分には「もっとも簡略化され、ストレート」な楽曲を。
本心が分からずぐちゃぐちゃの自分には「もっとも表現を凝らしている」楽曲を与えて、さまざまな共感を呼び起こしてみる、とか。

受動的な音楽に限って言えば自分から、現在の自分に合った楽曲を選びに行かなければならないけれど、それは対人でも同じなのだ。
自分の本心を分からずに相手の本心なぞ分かるわけがないのだから、まずは自分の心をコントロールしなくてはならない、と思う。
その上で対人でも、ケースを見極めてさらに言葉を選ぶことができたのならば、言葉が薄かろうが濃かろうが、伝わってくれる。

32: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)18:35:02 ID:mfc
「……ありがとう」

「え!? おいおいどうした本当に、悩みでもあるのか?」

「いや、お礼言っただけなのにそんな驚かなくても……」

「さっきだって『僕が死のうと思ったのは』なんてブラック過ぎる曲名でびっくりしたんだよ? いじめダイヤルに電話しそうになったもん」

「……ふふ、なにそれ」

「心配してるんだよ! 今日ずっと思いつめた顔してるし……それに…」

「それに?」

「…んー、と。 半年前くらいからかな? あんたずっと調子おかしいじゃん?」

「……ぇえ? いや、そんなことは……」

「あるよ、分かるもん」

「……どうして、聞かなかったの? 変だよー、とか……」

「聞いて欲しかった?」

「……ううん」

「じゃあそういうことだよ」

「……ありがと、えっと…!」

「いいよ、伝わってるから。 もう大丈夫なの?」

「……うん、おかげさまで!」

「そっか、じゃあまた後で。 帰りカラオケいこーね!」

「……うん!」

33: 名無しさん@おーぷん 2015/12/22(火)18:37:05 ID:mfc
言葉は不思議なもので、いつから覚えたのか、もう忘れてしまっている。
けれど死ぬまで使うであろう事は分かっている。

そのくせ、その原理を知らずに今日まで私は生きてきていた。
言葉が心を作るのなら、もう少しだけ、気を使ってみてもいいのかもしれない。



――私の言葉は、皆さんにどれだけ届きましたか?


引用元: JK「はぁーあ、言葉なんて無くなっちゃえばいいのに」