2: ◆t6XRmXGL7/QM 2017/12/19(火) 01:44:37.00 ID:hX5AIh/50
今年の冬は早くにやってきて、しかも少し厳しい。何よりも乾燥が厳しかった。
風はカサカサと枯れ葉を運んできて、やがては私の体から水分を奪っていきます。

唇の裏側や親指と人差し指の間など、地味で目立たず地味に痛いところばかりが割れる。
クリームの消費は夏の日焼け止めと良い勝負なペースでした。

ちょっと塗りすぎたリップクリームを舌で舐め、苦みばしった味に顔を少ししかめる。
私、橘ありすは冬の真っ只中にいました。

今年の冬は厳しかった。
どんなに乾燥に気を配っても、唇が割れるのを防ぐことができなかったのです。
だからか、私の仕事から笑顔がどんどん消えていきました。
乾いていく唇。減っていく笑顔。

次第に私は本当に笑えなくなってしまいました。

笑顔はどんなだったか。

それすら、思い出せなくなってしまった。

3: ◆t6XRmXGL7/QM 2017/12/19(火) 01:46:03.68 ID:hX5AIh/50
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「笑顔はね、咲くものなんだ。ありすちゃん」

唐突に放たれた575を自覚するはずもなく、相葉夕美さんは私にそう言った。



「咲くもの、ですか」

「そう。種を植えて、ちゃんと育ててあげると、綺麗に咲くんだ」

「そうなんですか」

冗談みたいな真面目な話。この話が真面目なのは、夕美さんの顔を見ていればわかるつもりです。



「今のありすちゃんは、笑顔がちょっとしおれちゃってるから、元気にしてあげないと、だね」

「多分乾燥が原因だと思うんですけど」

「それはどうかな」

「えっ」

「人間は、無関係な事柄同士を因果関係で結んじゃうことが良くあるじゃない。

だから、乾燥が原因で笑えなくなっちゃった、というのは、少し違うんじゃないのかな」

「そういうものでしょうか」

「これも私の思い過ごし、だったらごめんね」

「いいえ」



笑顔がしおれているから、笑えないのだと言う。

しおれてしまった花は元には戻らない。

乾かして長持ちさせることで、その寿命を伸ばすことはできると聞きますが。



「ドライフラワー……」

「え?」

「いえ。嫌な連想をしてしまいました。」

雑念を振り払うために話題を切り替えた。



「新しい笑顔は、咲いたら私のものになるんですか?」

「ありすちゃんが丁寧に育ててあげたら、なるんじゃないかなあ」

「ありがとうございました。咲かせてみせます」

「咲いたら、私に見せてね」

「是非」


5: ◆t6XRmXGL7/QM 2017/12/19(火) 01:48:42.72 ID:hX5AIh/50
咲く笑顔。その種とやらがあるものなら、それがなんなのか、皆目見当はつかなかった。

夕美さんに聞けば教えてくれたと思うけれど、聞けなかった。



電飾が飾り付けられ始めた街中を1人で歩く。

1人で歩くと危ないのでやめろと両親やプロデューサーから言われているが、今日は守る気になりませんでした。

やがて向かいから1台のピアノが歩いて来る。

続いてティファニーの三角定規が、ダイヤモンドをいじめながら歩いてきた。

それらをたしなめるように体操服が包み込み、スプーンとフォークが体操服の上からスパゲティを絡めるように巻き取った。



おや、と思った。見る限りこれは明日の時間割だった。明日の献立はパスタ類だそうです。

そんなことは献立には書いていなかったはずですが。



私は思い込みが激しい。夕美さんが言うように、私も目の前の事象を何かしらの連関があるように思い込んでいるのかもしれない。

というより、夕美さんは私を暗に名指しで諌めてくれたのかもしれない。



思い込みの度が過ぎた悪ふざけが私にもたらした悪意を眦に、私は歩を進めた。


6: ◆t6XRmXGL7/QM 2017/12/19(火) 01:49:17.36 ID:hX5AIh/50
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事務所です。杏さんと2人きり。やることは決まっている。



そういえばきっかけは覚えていない。気づいたらこの行為に耽っていました。

杏さんは最初は嫌がったけど、今では平気な顔をして付き合ってくれます。



今日のお菓子はビスケット。チョコの味のクラッカーと、バニラ味のクリームがナイスな組み合わせの美味しいビスケット。

2人でしっぽり味わいあい、移し移されを経て完食した私たちは、いつもの行為を始める。



カッターで丁寧にバーコードを切り取り、切り抜いたら杏さんのおでこにペタッと貼り付ける。

杏さんの肌はモチモチできめ細かで、年下の私ですら嫉妬する美肌の持ち主です。

だからバーコードが簡単に転写できるのです。



鏡像に転写されたバーコードは意味を持たないことが多く、私のタブレットのバーコードリーダーを通すとビープ音を放って「エラー」と出ます。



杏さんはそれがたまらなく恥ずかしいらしくて、エラーの文字列を見ると決まって顔を赤くするんです。

おでこにバーコードを貼り付けたまま赤くなるその様子が可愛らしくて、私はついやってしまうのでした。



「エラーですよ、杏さん」

「うっさい、わかってる」

「音、鳴っちゃいましたもんね」

「言うなって」

興奮が行き過ぎて、こんな感じで   めすることもあったり。



「『ビーッ!』」

「似てるのムカつくな」

「私の声ですからあれ」

「嘘でしょ」

「嘘です」

冗談を言い合いながらいちゃいちゃ。

バーコードが介在していることを除けば、いたって普通の恋人同士のトークでした。



「じゃあ、舐めますね」

「はいよ。早くしてよね。毎回変なふうに舐めるからベトベトになるんだよ」

「でもお嫌いじゃないでしょう」

「嫌いじゃないけど面倒ではあるよね」

「むう」



唾液をたっぷり含ませながら、私は杏さんの額を舐っていく。

水音が卑猥に鳴る。

その音は響くことはなく、ソファに、壁に、天井に、吸い込まれて消えていった。



「ちょっと、垂れてる」

「垂らしてるんですよ」

「もー……」



目一杯、楽しんだ。


7: ◆t6XRmXGL7/QM 2017/12/19(火) 01:49:47.22 ID:hX5AIh/50
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お菓子がなくなってしまったので、今日は雑木林に寄ることにしました。

家の近くにある雑木林からはお菓子が取れることで有名で、私の事務所からもお忍びでお菓子採取に出かけている方もいるのだとか。

私もその例に漏れず、暇を見つけてはお菓子を取ってきていました。



「今日はガムと……ジュースも欲しいですね」



そう願うと、そのようになりました。視界に人が平均7人はいるような混雑ぶりの中で、私はジュースとお菓子を抱えて、雑木林を後にしました。



人。人。人。



この雑木林が燃えたらこの人たちはどうするのだろう。

そんな考えが頭をよぎった。

きっとまたお店で買うようになる。

思考を打ち切って、事務所へ急ぐ。



お菓子に紛れていつの間にか握っていた小さい粒たち。

これが笑顔のタネであることは明らかでした。



夕美さんに、渡さないと。


8: ◆t6XRmXGL7/QM 2017/12/19(火) 01:51:03.44 ID:hX5AIh/50
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9: ◆t6XRmXGL7/QM 2017/12/19(火) 01:52:03.40 ID:hX5AIh/50
屋上一面の真顔。

夕美さんはいつのまにか事務所の屋上に真顔畑を作っていたようでした。



「真顔が咲いてますね」

「違うよありすちゃん。まだ蕾なの。これから笑顔になるんだ」

「そうなんですか」

「うまくいけば、だけど」

「真顔のタネはいつ蒔いたのですか」

「花と違って、この子たちはいつのまにか咲くものなんだ。だから、タネはまだ持ってないの」



持ってないなんてはずはない。

なんでだろう。たしかに渡したはずなのに。



「どうやって咲いたんですか」

「それを突き止めるのが私の目標。ここからは、手探りだね」

「そうなんですか」



真顔を愛おしそうに撫でる夕美さん。

その顔もまた、真顔でした。


10: ◆t6XRmXGL7/QM 2017/12/19(火) 01:52:48.53 ID:hX5AIh/50
~~~~~~

「ひーまわりー。ひーまわりー」

夕美さんは相変わらず、一心不乱にひまわりを真顔に向けて唱えている。

薫さんからヒントを得たのだとか。



「笑顔です。笑顔です。笑顔です」

シンデレラプロジェクトのプロデューサーさんは淡々と名刺を笑顔畑の土に挿している。

所狭しと咲き乱れる笑顔の中から隙間を目ざとく見つけて、そこに迷いなく名刺を差し込む。



「何をやっているのですか」

「笑顔の、管理です」

「何故名刺を」

「私が笑顔にアプローチできる、唯一の方法ですから」

「効果はどうですか」

「……あまり効いているようには見えません。何故でしょうか」

「私にわかれば苦労はないですよ」

「そうですか」

プロデューサーさんはまた名刺を土に挿し始めた。



「笑顔です。笑顔です。笑顔です」

「ひーまわりー。ひーまわりー。ひーまわりー」



屋上は一面の真顔に、3人だけがぽつねんと居るだけでした。


11: ◆t6XRmXGL7/QM 2017/12/19(火) 01:53:20.06 ID:hX5AIh/50
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12: ◆t6XRmXGL7/QM 2017/12/19(火) 01:54:14.49 ID:hX5AIh/50
「これが、私の笑顔」

「綺麗に咲いてるよ、ありすちゃん」

「私、笑顔を忘れていました」

「思い出したんだね」

「はい」



夕美さんも、笑顔でした。



表情筋が勝手に笑顔をつくる。口角が上がり、唇が引っ張られる。

ぴし、と、音が聞こえるほどの勢いで唇が割れた。

そんなことにも構わず、私は笑っていた。微笑まずにはいられなかった。

唇の裂傷は広がり、ついには血が流れ始めた。





「ありす、血が……」

「いいんです、杏さん」



杏さんを見ると、杏さんも唇から血を流していました。

今日のキスは、鉄の味。

黒と肌色のしましまは、そこにはない。





夕美さんも、広角から血を流していた。





プロデューサーさんは、汗をかいていた。





いい男から水が滴るなら、いい女からは血が滴ったっておかしくないでしょう?

私たちはいつまでも、とめどない鉄の味をかみしめていた。





風は乾いていた。











雑木林に火がついて、ボウボウと燃えた。













引用元: 橘ありす「お菓子のバーコードを杏さんのおでこに貼ってぺろぺろ舐める」