2: ◆U.8lOt6xMsuG 2018/05/09(水) 18:30:22.08 ID:6+uFeMGE0
とある場所、とある駅前。強くなりかけている日差しを避け、俺は木陰で人を待ち続けていた。腕時計を見ると、約束の時間まであと3分程だと言うことが分かった。
「お、お待たせしました!」
それから10分ほどしてから、荒木比奈はやって来た。緑のワンピースの裾を揺らし、汗を額に滲ませながらやってきた。
「待ってねえよ」
「え、でも約束の時間はもう…」
「俺も遅刻したから」
嘘を吐いた。比奈は疑っているような表情で俺を見ながら、汗をタオルで拭っている。いつもより何割か増してボサボサな髪で、比奈が寝坊をしたことが分かった。
「で、どこに行くんだ?」
比奈に何かこれ以上問い質されるのも面倒なので、話を切り上げ別の話題を出した。すると比奈は、眉をひそめながら鞄から手帳を取り出し、付箋の貼ってあるページを開いた。それから、近くにあったバス停を指さす。
「そうっスね、あそこでバスに乗ってから…」
比奈に言われるまま、バスに乗り込む。俺が通路側、比奈が窓側に座った。肘と肘が触れ合うくらいの距離で、発進するまで落ち着かなかった。
3: ◆U.8lOt6xMsuG 2018/05/09(水) 18:30:57.40 ID:6+uFeMGE0
きっかけは、3日前の比奈の言葉だった。
『今度描く漫画に資料が欲しくて…で、プロデューサーさんにもいくつか手伝って欲しいんスよ』
荒木比奈の趣味は漫画を描くこと。それが趣味であれ、比奈の力になれるのならと承諾した。
そして今、二人のオフが重なったこの三日後に俺たちは待ち合わせをすることにしたのだった。
……しかしまあ、比奈を待っている間から思っていたのだが。漫画の資料を集める、と言う名目はあるが、こう男女が二人きりで出かけると言うものはどうしても、あの言葉を意識してしまう。が、それを口には出さなかった
アイドルとプロデューサーという関係上、それを口にすると本当にそうなってしまうようで、口に出せなかったのだ。
ついでに、睡眠不足からくるあくびも出さないように口を横一文字に結んだ。
4: ◆U.8lOt6xMsuG 2018/05/09(水) 18:31:31.70 ID:6+uFeMGE0
「ここか?」
「はいっス」
バスに揺られて暫くして。俺たちは郊外のキャンプ地にいた。ロッジやアスレチック、ボート乗り場などがあり、今日が平日のせいか人影は少ないが、休日ならば多くの人で溢れていそうだ。
「ボート!ボートに乗りましょ!」
比奈が瞳をきらきらとさせ、ボート乗り場を指さす。片手にはスマートフォンが握られていて、資料を撮る気が溢れかえっていた。
ボートは昔ながらの足こぎ式で、普段運動していない俺と、運動がどちらかと言えば得意ではない比奈では進む速度は遅かった。
8: ◆U.8lOt6xMsuG 2018/05/14(月) 23:32:28.59 ID:5KJnBoXG0
「じゃあお願いしまス!」
湖の真ん中辺りに行くと、ボートの中で、比奈はいろんなポーズをとる。手の角度や顔の向きなどを何パターンも試し、次はここから撮って欲しい、次はこの角度からとお願いされる。漫画のことになると人が変わるな、と改めて思いながら写真を撮り続けた。
少しの間比奈をとり続けて、それからスマートフォンを返した。
「……こんな感じになったけど、どうよ?」
「どれどれ……最高っス! ありがとうございまス!」
「そっか、よかった」
「じゃ、次はプロデューサーの番っスね」
「あ?」
比奈がこちらにレンズを向ける。
「ヒロイン分は撮りましたし、次は彼氏役の分も」
「え? 俺も?」
作画資料は、比奈の写真だけじゃないのか?
「協力してくれるって言ったじゃないっスか~。お願いしまス!必要な資料なんっス」
戸惑う俺を押し切るように比奈が両手を合わせ、頭を下げた。
「……ああ、分かったよ」
「本当っスか! ありがとうございまス!」
実を言うと写真を撮られるのは苦手なのだが、もうこの際どうでもいい。協力すると昔の俺は行ったのだから、今の俺がそれを反故にする訳にはいかないだろう。
比奈に言われるとおりポージングを決める。体勢的にキツイものも多くあって、決して楽に終わるものでは無かった。
10: ◆U.8lOt6xMsuG 2018/05/20(日) 22:28:26.17 ID:ZjkY0w+m0
◆◇◆
「あぁ゛~…」
体の節々が痛む。こりゃ明日は筋肉痛だ。そう思いながらベンチに座って、空を見上げていた。見上げていると、手にソフトクリームが垂れてきた。
「早く食べないと溶けまスよ」
隣の比奈がチョコレート味のソフトクリームを舐めながら、そう言ってくる。俺は手についた分をティッシュで拭って、それからがぶりと噛みついた。バニラの味が広がった。
湖の近く、ベンチに並んで座る。心地よい涼風が、ペダルをこいで火照った体を冷やしてくれた。比奈は、スマホの画面とにらめっこをしていた。きっと、資料に使えるかどうか、写真を厳選しているのだろう。
と、思ったら時折口角を引きつらせていた。ほほえんでもいるのだろうか。
11: ◆U.8lOt6xMsuG 2018/05/20(日) 22:29:00.12 ID:ZjkY0w+m0
ソフトクリームを食べ進める。ふやけたコーンも口に入れて、飲み込んだ。
時間の流れが穏やかで、比奈の隣は心地よくて。俺はつい
「デートみたいだな」
と、ポツリと溢した。言わないでおこうと思ったことが、つい口から漏れ出した。
瞬間、心臓がバクバクとうるさくなった。本当にそうなってしまったかのように思えた。
頭の向きは変えず、横目で比奈の方を見る。まだスマートフォンの画面をのぞき込んでいた。チョコソフトはもうなくなっていた。
聴かれていなくて良かった、と一人胸をなで下ろすと共に、風でも冷えないほどの熱が、俺の中に溜まっていった。
そしてそれは、この一日が終わるまでなくなることはなかった。
12: ◆U.8lOt6xMsuG 2018/05/20(日) 22:29:36.81 ID:ZjkY0w+m0
一通りの資料を集め終え、バスに乗り、乗り過ごして、歩いて駅まで戻ってきた。
「じゃあな、また明日からは仕事で」
「はい、お疲れ様っした!」
駅のホームへ消えていく比奈の背中を見送って、ようやく一息つく。
高校生男子かよ、って思うくらいにドキドキしてた自分が情けなかった。
明日、比奈と会うまでにまた心の準備が必要みたいだ。
13: ◆U.8lOt6xMsuG 2018/05/20(日) 22:30:19.08 ID:ZjkY0w+m0
◆◇◆
電車に揺られながら、私は彼の写真を眺めていた。眺めていたら、またにやついてしまった。他の人に変な目で見られないように、帰ってからにすることにした。
今日は、楽しかったなぁ。こうのんびりした一日は久しぶりだったかも。ただだらけるだけの日もいいけど、こういう動く日もいい。
それに、二人っきりでお出かけとか、なんかデートみたいだったし……。
またにやついてしまったので、顔をうつむかせて他の人には見せないようにした
スマートフォンを握りしめながら、電車に揺られる。
ああ、きっと良い漫画が描けるぞ、この体験は絶対形にするぞ、と一人意気込んだ。
そうだ、明日、彼にネームを見て貰おうかな。そうしよう。頭の中にあるものを書き出して、彼に見せたい。その衝動に私は駆られていた。
明日が楽しみだ。
14: ◆U.8lOt6xMsuG 2018/05/20(日) 22:31:24.94 ID:ZjkY0w+m0
引用元: ・荒木比奈「世界の真ん中」
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