2: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:38:00.16 ID:EG40ecTM0

 喧噪が確かにあった。夏のそれではない、人工的なそれが。

 門の前のシュプレヒコールは止まらない。

 年端もいかない少女を戦地へ連れて行くな。人体実験反対。深海棲艦にも人権を。生物多様性の保護に努めろ。一般市民への安全確保が急務。よくもまぁ次から次へとお題目が出てくるものだと、辟易を通り越して関心すらしてしまう。

 俺は少しだけ開いていた磨りガラスを完全に締め切った。それだけで騒々しさはなりを潜め、ようやく手元の紙切れに視線を向けることができるようになる。

 呉を離れること。
 トラックに向かうこと。

 受け取った辞令には、ただそれだけが書かれていた。それが一般的な書式なのかどうかを俺は知らない。記憶を掘り起こせば所属決定の通達も、このような血の通っていない文章だった気もするので、公的書類とはかくあるものなのだろう。

3: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:38:38.69 ID:EG40ecTM0

 俺に辞令を渡したのは事務方の偉いお役人。店先に立っている陶器のたぬきに張り出した腹が似ていたなぁ、とぼんやり思う。

 A4のコピー用紙が狸親父の手から俺の手に渡ったとき、確かにやつはほっとした表情を見せた。弛緩。心がゆるんだが故の、体のゆるみ。

 厄介者をようやく追い出すことができたと、張り詰めていたものが途切れたに違いない。
 色々なものを通り越して腹立たしさすら忘れかけてしまいそうだ。そもそもトラックは、冬の深海棲艦の襲撃で壊滅状態にあるのではなかったのか。

 窓際送りですらない島送り。死刑宣告にも等しい。
 となると俺が一気に士官へ特進したのも、殉職の先取りなのかもしれなかった。

 くそ。

 いっそのこと燃やしてしまおうかとも思うが、今更、だからなんだというのだ。俺に残された道はただ二つ、軍人として海の向こうへ渡るか、市民として遠い地でひっそり暮らすか。

4: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:39:19.95 ID:EG40ecTM0

 それ以外の選択をする自由は依然として俺の手元にあるものの、生憎俺はマゾヒストではなかった。自由が必ずしも栄光とイコールではないのは、栄光が即ち自由とセットでないことからも明白だった。

 だから俺はこんなにも不自由を強いられている。 

「やってらんねぇな」

 苛立ち紛れに煙草を取り出すけれど、ライターをなんど擦っても火は起きない。ガスはまだ残っているのに。
 まるで紛れないどころか火に油すら注ぐ結果。自販機に据え付けられていたゴミ箱へと放り込む。

「ち、百円ライターなんて買うんじゃなかった」

「あー、捨てたらいけないんですよ?」

 ぽい捨てを見咎められる。振り返った先には小娘が立っていた。
 大きな瞳と桃色の髪の毛で、何が愉快なのか笑いながら、俺を品定めしている。彼我の身長差は頭一つぶん以上あるので、こちらを見上げる角度は随分ときつい。首を違えてしまわないかと心配になるくらいだ。

5: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:39:48.05 ID:EG40ecTM0

 中学生くらいだろうか。妹も姪もいない身では、比較対象の不在により、年齢の同定は難しい。特に女は化粧で変わるから。

 セーラー服を着ていて、腹のあたりに……なんだろう。缶バッヂ? お洒落のつもりかもしれない。

 名も知らぬ少女、こいつがここにいるのが決して偶然ではないことを、俺は殆ど確信していた。海軍の敷地に子供が迷い込むことはない。そして、海防局の艦娘がらみの部署は、全て斜向かいの棟に集中している。

「……俺を逃がすつもりはないってことか」

 ため息すら出てくる。逃げるつもりなんてないが、それほどまでに徹底されていると知れば、悲しくもなろうというものだ。
 桃色の小娘はそんな俺を見て、やはり愉快そうにくつくつ笑った。

「心中お察ししますけれどね」

「そう思うなら見逃してくれないか」

 言ってみる。見逃されたとしてどこにいくのだ俺よ。

 少女は莞爾とした笑みを絶やさない。


6: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:40:16.31 ID:EG40ecTM0

「まぁまぁそういわずに。短い間柄でしょうけど、これからよろしくお願いします。ご主人様!」

 桃色の小娘は――特型駆逐艦『漣』の名を持つ少女は、小さな体を目一杯に使ってお辞儀したのだった。

* * *


7: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:40:45.84 ID:EG40ecTM0

 グアムはオフシーズンだと言うのに観光客でそれなりの賑わいを見せていた。英語の情報量よりも、中国語、韓国語、そして日本語のほうが多いのではないかと思わせるくらいに、あちらこちら俺でさえ読める文字が掲げられている。
 人の波から離れるかたちで寂れた港へ行くと、そこの看板はついに英語だけとなった。たどたどしい英語でトラック行きの船を尋ねる俺に、受付の職員はにやりと笑って流暢な日本語で応対してくれる。話を聞くに、どうやら日系二世らしかった。

「……船代すらでねぇのか」

 それなりの速度で船は進む。こっちの海は、日本近海とは違う。塩のにおいも粘り気も少ない。

「経費で落ちるとは思いますけどね。あとで申請したらどうですか、ご主人様」

「通るもんかよ」

「ま、お好きにどうぞ」


8: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:41:14.61 ID:EG40ecTM0

 漣は潮風で乱れる髪の毛を抑えたり諦めたり忙しそうだった。ボリュームのあるツインテールがたびたび視界を遮っているらしく、ついに両手で握るという実力行使へ出る。
 落ち着きのなさはまさに子供だ。忙しないというより一秒一秒が楽しくて仕方がないと言った感じ。俺がとっくに過去へと置いてきた好奇心と満足感を、きっと漣はまだ心の中心に置けているのだろう。

「朝に港を出て、グアムに寄港、のちトラック諸島。移動時間は概算で15時間……こんなんじゃ体が鈍っちまう。
 なぁ、お前は艦娘なんだろ。もっとこう、ぱぱっといけないのか。俺をおぶって」

「航続距離って言葉、知ってます?」

「知ってるよ。でも、お前はハイテクの塊だ。違うか」

「オカルトの塊ですよ、ご主人様」

 漣は苦笑した。どこに笑う要素があるのかはわからなかった。もしかするとそれが彼女なりの社交なのかもしれない。


9: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:41:48.10 ID:EG40ecTM0

「オカルト、ね」

 そんなことを言えば全てがオカルトだった。確かなものなど何一つこの世には存在せず、掬おうとした瞬間に零れていく水面の月と同じである。
 無常を嘆くのは長旅で疲れているからに違いない。幸い俺の独白は漣には届いていなかったようで、俺は何も言っていないふりをする。

 言葉はかき消されるくらいがちょうどいい。まだ俺たちの間柄は、その程度だと思ったから。
 だから、よく笑うこいつの笑みが、「どこ」「なに」由来のものかなんて、ちいともわかりゃあしないのだ。それこそが目下のところ、最大のオカルトですらありえた。

 甲板に出ている俺たちの髪の毛を潮風がかき混ぜていく。漣はまたもツインテールと格闘しだす。

「……」

「……」

 互いに無言。なんとなく、タイミングがずれてしまったような。


10: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:42:13.39 ID:EG40ecTM0

「……なぁ」

「なんです? ご主人様」

「そのご主人様ってのはなんなんだ。俺ァ確かにお前の上司ではあるが、召使を雇った覚えはねぇよ」

 それもまた、オカルト。

「男の人はみぃんなこういうのが好きではないので?」

「それは一部のオタクだけだ」

「ご主人様はオタクではないのですか?」

―――このっ、血にまみれた卑しい戦争オタクが!

 駐屯地を取り囲む市民に投げつけられた、言葉と飲みかけのペットボトル。まさか、今更ながらに思い出すなんて。

 俺は戦争オタクではなかった。少女を戦争に連れ出す笛吹き男ではなかったし、奴隷商人のつもりもなかった。おどろおどろしい人体実験の事実はなかったし深海棲艦の人権なんてものも存在するはずがなかった。
 やつらには何が見えていたのだろう。


11: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:42:43.17 ID:EG40ecTM0

「……ンなわけ、あるかい」

「……ふぅん」

 と漣はわかっているようなわかっていないような、とても曖昧な返事をして、

「ま、でも、漣は好きですから。アニメとか、ゲームとか、漫画とか。だからこれでいいんです。これがいいんです。
 勿論やめろと仰れば、そりゃ上官命令ですから、呼称を変えるのは吝かではありませんが? シレイカンサマ?」

「あぁあぁもういい。別に大した意味はねぇよ。勝手にしろ」

「ありがとうございます、ご主人様っ!」

 そうして、お辞儀。

 育ちの悪いようには見えない。言葉遣いはともかくとして、変に常識外れのところもない。中流家庭の子女が容易く軍属になる現代は狂っているに違いないが、そもそも深海棲艦というエイリアンが存在する時点で、多少の狂いは誤差だろう。
 いや、それでもやはり、年頃の娘を未知の怪物との最前線に繰り出すことをよしとする風潮、世論、構造がそもそも狂っているのかもしれない。


12: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:43:19.05 ID:EG40ecTM0

 ハイテクとオカルトの相の子。到底理解のできない科学技術に、神道古来のまじないをよりどころにした存在。そんなものに頼らなければ、最早この国は国としての体を為し得ないのだ。
 ならばいっそと思えるほど俺は潔いつもりはなかった。そして、それは殆どの国民も同じ。
 誰しもが狂っている。生き延びるために躍起になっている。

 ……益体もないことだ。それはつまり、意味がない。意味がないことをする必要は、ない。

 死と隣り合わせのやくざな仕事。いつ死ぬかわからないのなら、どう生きたってかまいやしないだろう。故人の人生を規定するのは、今を生きている人間だ。そしてその規定は故人には届かない。
 海の底へと沈んでしまって、死体すら残らないのなら、猶更。

 煙草を吸おうとして胸ポケットを漁ったが、そこには普段あるはずのふくらみがなかった。と、そこでようやく、船内が禁煙であることを思い出す。搭乗時に漣に没収されてしまったのだ。

「だめですよ」

 かわいらしい笑顔でとんでもない残酷なことを言い放つ、俺の秘書艦。


13: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:44:04.95 ID:EG40ecTM0

「暇なら暇で、やれることは沢山あります。やるべきことも、まぁ、ないわけじゃあないです」

 そう言って取り出したのは分厚いリングファイル。表紙、背表紙ともにでっかく赤いインクでマル秘と打たれているのは、見なかったことにしておこう。

「トラック泊地の現状です。さすがに手探りで一から、だなんて眩暈がしますしね。拝借してきました」

「物は言いようだな」

「あれ。ご主人様、いらなかったです?」

「何言ってんだ、よくやった」

「えへへー」

 漣はまた笑った。屈託なく笑う娘だ、と思った。

「こほん。では、ご説明します。漣たちがこれから着任します泊地は、深海棲艦による冬の襲撃を受け、大量の犠牲者、及び建造物の破壊に見舞われました。在任していた提督はその際に致命傷を受け、亡くなっています。
 その後も何度か深海棲艦は襲来し、そのたびに艦娘は自ら指揮をとり、これを邀撃。成功と失敗を繰り返し、現在散発的な戦闘は展開されていますが、大規模なものは起こっていません」


14: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:44:31.63 ID:EG40ecTM0

「代わりの提督なりはこなかったのか。半年も無人なんておかしな話だぞ」

「えぇ、それなんですが……どうやら参謀本部はトラック諸島を見捨てる、もしくは既に壊滅状態にあり、深海棲艦の手の内にあると思っていたようなのです。しかしてその実態は、いまだ機能している前哨地。このちぐはぐが、今回の大本ですね」

 なるほど、俺もトラック諸島が壊滅状態にあると聞いていた人間の一人だ。
 となると、つまり。

「尻拭いか」

「えぇ尻拭いです」

 わかっていたことじゃあないですか、と漣が目で問うてくる。俺もいやいやながら頷いた。
 島流しという表現はまったく間違いではなかったのだ。

「……待てよ、漣」

「なんですか、ご主人様」

「提督は死んだ。本営は見捨てた。それでも泊地が機能している。艦娘の手で」

 戦いのにおいがした。


15: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:45:07.16 ID:EG40ecTM0

 一瞬のうちに湧きあがってくる高翌揚を抑えたのは理性ではなく、俺の言葉に対する漣の返答だった。

「いいえ、違います」

「どういうことだ?」

「泊地は既に壊滅、機能していません」

「だが、さっき――」

「ご主人様、違います。違うんですよ。いいですか、心して聞いてくださいね。
 トラック諸島では、艦娘たちが、やりたい放題やっています」

 やりたい放題。
 やっている。

 その言葉の意味を理解するのはとても難しくて、俺は無意識のうちに、似合わないと自覚のある薄ら笑いを浮かべてしまっていた。

「大本営から外れて生きている、と言ったのですよ、ご主人様。
 艦娘としてではなく、一人の個人として、彼女らは今、トラックで生きています」

 日常と戦いが交じり合っていく中、指示を下すべき提督が死に、本営からも見捨てられ、本土と連絡はつかず……そんな状況の彼女たちは察するに余りある。
 死にたくないなら生きねばならない。もとよりそのために俺たちは戦っている。彼女たちも戦っている。そこにはなんの違いもありゃしない。
 そうなるのは、必然といえば必然だろう。


16: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:45:43.93 ID:EG40ecTM0

 そして、そこを深海棲艦が襲う。

 定期的に発生する、深海棲艦の組織的な侵攻――イベント。東南アジア諸国に敵が狙いを定めているのは、最近の発生傾向から歴然としていた。
 トラック空襲で一度壊滅した泊地が、二度目を耐えられるとは到底思えない。恐らく、全員死ぬだろう。

 死ぬに違いない。

「……ふん」

「ご主人様、楽しそうな顔をしていますね」

「悪そうな顔の間違いじゃあなくてか」

「おんなじですよ?」

「うるせぇ、生まれつきだ」

 漣一人、いればいい。勿論そんなことを思ったことは一度もない。とはいえ、トラックにつけばついたでなんとかなるだろうと高をくくっていた部分も確かにあって。
 だが、果たしてどうだ。そもそも組織がないんじゃ話にもならない。


17: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/11(日) 00:46:13.04 ID:EG40ecTM0

「……まずは戦力集め、か」

「そうですね。生き残った艦娘たちを探して、コミュニケーションしましょう。そして、漣たちのお手伝いをしてもらうのです。
 ……はっ、これはもしや、ギャルゲー的展開かも!? キタコレ!」

「うるせぇ。とりあえず、トラックに連絡をとる手段を教えろ。窓口がなけりゃ話にならん」

「イエッサー、ですよご主人様!」


25: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:10:03.76 ID:VjG80NM90

「……」

「ご主人様の目つきが悪いからですかね」

 冗談を言っている場合じゃない。いや、漣だってそれはわかっているだろうが。
 でなければ、互いに並んで大人しくホールドアップなどされていない。

 銛と猟銃を持った大人たち――殆ど全員が浅黒い肌をした中年男性。生命力に溢れるたくましさを見れば、第一次産業従事者なのはあきらか。
 手荒なお出迎えだ。殺意の有無くらいは俺にだってわかる。彼らが追剥でないのは確実で、ならばどうしてこんな目にあっているのかと考えれば、まず怪しまれているからに違いない。
 それとも、それ以上のことがあるか。


26: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:10:41.40 ID:VjG80NM90

「――」
「――」
「――」

 男たちが何事かを喋っている。俺はチューク語など当然理解しない。

「……漣、わかるか?」

「えぇ。このまま漣たちを引っ張っていくかどうか話してます」

「本当か?」

 適当を喋っただけなのだが。

「艦娘をハイテクの塊と称したのはご主人様でしょう? 自動翻訳くらい艤装についてますよ」

「すげぇな」

「どうやら頼まれたらしいですね」

「頼まれたって、誰に」

 大方見当はついているけれど。

「そりゃまぁ……」

 漣は言葉を濁した。

 トラック泊地に残された艦娘たち。彼女らをおいて他にはおるまい。

27: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:12:20.94 ID:VjG80NM90

 心のうちを推し量ることも、慮ることもできるとはいえ、自己満足も甚だしい。本土の人間が今更のこのことなにしにきたのだ。この手荒な歓迎はそういうこと。回れ右して本土へ逃げ帰れという意志表示。

 だからすごすごと引き下がっては仕事にならないのが難しいところだ。いや、俺自身は今すぐ小躍りして回れ右をしてもいいのだが、待ち受けているのは除隊だけだろう。それに漣にも悪い。
 俺とともに辺鄙なところへ飛ばされるくらいなのだから、漣、彼女もまた何かしでかしているに違いない。名誉回復のチャンスを俺の一存でふいにはできなかった。

「あー、あー、もうええよ、下がって。みんなありがとなー」

 拡声器で声を飛ばしながら、少し離れた地点より、ぽっくりをかぽんかぽん鳴らしながら近づいてくる人影があった。その人物の声に従って、俺たちを取り囲んでいた男衆はすんなりと引き下がる。

「んで、本土の人ら。手荒なまねして済まんかったね。ま、こっちにも色々理由があるからさ」

 朱色がまず目立った。そして茶色のツインテールも。
 背は割と高い。しかし、それはあくまでぽっくり――に似た艤装なのであるが――を穿いているからであって、その体躯は華奢。声だってかなり黄色い。


28: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:12:54.52 ID:VjG80NM90



「軽空母、龍驤や。よろしゅうな」

 少女はそう言って笑った。




29: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:13:38.26 ID:VjG80NM90

「……俺たちをどうするつもりだ」

「どうするって、なんや、とって喰われるとでも思ってるんか? そりゃちょっち、や、だいぶ誤解がひどいなぁ」

「いまさら何しにきたと聞かないのか。半年放置して、と怒らないのか」

「ん? きみらはサンドバッグになりにきたんか?」

 飄々と龍驤。その瞳は笑っているようで、笑っていない。
 暗い感情の炎が燻っている。

「……ご主人様」

 わかってる。いたずらに煽るようなことを言うつもりはない。

「いや、違う。俺たちは共闘しにきたんだ」

「共闘!」

 龍驤はさもおかしそうに――その実心底俺たちをばかにしたような口ぶりで、

「ほーう、共闘、共闘、共闘か。共闘ねぇ。共闘。くくっ」

 笑いをかみ殺したのは、言外に滲んでいる俺の言葉の意味を理解したからに違いない。


30: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:14:40.09 ID:VjG80NM90

「なるほど、なるほどな。きみはあれや、うちらの境遇を慮ってくれるわけやな。ゴマすりに見える可能性をとっても、下手に出てきたわけか、ほほう」

 もし俺たちが、たとえばどっぷり大本営に与する人間だとして、そして完全に自らの目的のためにトラックへ来たならば、今のような単語の選び方はすまい。
 共闘。俺たちは目的こそ同じだけれど、全く別の存在であると、立ち位置であると、組織であると、そう表現している。彼女らを従わせにきたわけではないのだと。使い捨てにきてはいないのだと。

「けどあかんな」

 ずい、と龍驤は俺のそばまでやってきて、見上げるように睨み付けてくる。

「うちらはあんたらと共闘なんてせぇへん。
 あんたらがうちらの腰ぎんちゃくになる。それだけや。こっちが譲歩するようなことは一切あらへん」


31: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:15:47.68 ID:VjG80NM90

「……龍驤さんたちは、やっぱり今も深海棲艦と戦い続けているのですか?」

 問うたのは漣だ。受けた龍驤は吐き捨てるように息を出す。嘲ったのはこちらか、自らか。

「大好きだった上司殺されて、仲間殺されて、そうしない理由があるか? ん?
 それとも誤解してるんか。最早ウチらはただの私怨で動いとるっちゅうことが理解できんのか?」

 漣は船の上で言った。トラック泊地の艦娘たちは、やりたい放題やっていると。
 生きたいように生きていると。

 感情と行動原理が直結していると。

 だから、

「実際のとこ、あんたらも敵やで」

 そう。俺たちも怨敵。


32: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:18:54.51 ID:VjG80NM90

 見捨てられなければ助かった命もあっただろう。苦しまずに済んだことも多かったろう。国のために命を懸けて戦い続け、その挙句の仕打ちがこれでは、骨の髄まで恨みに漬かっても不思議ではない。

 そして、「ウチら」。想定の範囲内ではあるが、やはり、トラックの艦娘はばらばらではない。
 やりたいようにやってはいるが、決して独りで生きているわけではない。

「それでもあんたらは殺さん。殺すわけにはいかん。ウチらは国を信じんよ。ただ、あんたらが利用できるうちは利用することに決めたんや。
 でなきゃ、みぃんな死んでまう。ウチも生き伸びれるかどうかわからん。トラック空襲。そうやろ。だからあんたらがやって来た。違うか?」

 違わない。龍驤の推察は的中していて、けれど、当然そんなことを彼女が知るはずはないのだ。 
 海軍の中では上層部しか知ることのない「イベント」という概念。嘗ての大戦と酷似した軍勢、作戦海域。それらをさして、深海棲艦は化け物ではなく幽霊なのだと嘯くやからだって少なからずいる。
 情報が漏れている? だとすればどこからだ?


33: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:21:41.59 ID:VjG80NM90

「……」

「そんな険しい顔せんでもええよ。おぉ怖ァ、まるで獣やね」

「……」

「別にスパイがおるわけやない。大したことじゃないよ。ただ、ちょっち史実に詳しいやつがおってな。経験と理論構築、からの予測ってやつやね」

「……」

「ついでに言ってやろうか。大本営は恐れとるんとちゃうか。夏で辛勝、秋で快勝……それからの敗北。本来負けていたはずの歴史を、ひっくり返しつつあったのに。それなのに」

 龍驤の身振り手振りは大袈裟で、本心は見えない。

「だからこそ。だからこそ、や。それをおじゃんにするわけにはいかんってな。
 折角史実を翻し続けて、やっとこ歴史のレールから逸れてきたのに、ここでまたもとのレールに乗っかるわけにはいかん。そうなったらおしまいや。待っているのは敗北だけ……昔のように」

「ど」

 れだけ知っている、とは聞けなかった。
 たとえ龍驤の言葉が正しかろうとも、俺がそれを認めてしまうわけにはいかないのだから。


34: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:24:36.24 ID:VjG80NM90

 漣を見た。信じられないといった顔をしていたが、俺の無言はどうやら決定的だったようだ。
 遅かれ早かれ機密は知る身。とはいえ、覚悟もなしには少しばかり堪えただろうか……そう思っていると、俯いた漣から「くふ」と声が漏れてくる。

「なぁるほど」

 喜色満面。俺はそれが信じられない。

「なら、行きましょう。やりましょう。やれ急げさぁ急げ、って具合ですよ、ご主人様。なにぼーっとしちゃっているんですか。そんな顔は似合いませんったら」

 これには龍驤もあっけにとられ、先ほどまでの剣幕はどこへやら、ぽかんと口を半開きにしている。

「……おい、お嬢ちゃん、ウチの話聞いてた? 本土強襲は記憶に新しいはずや。秋口はパラオも襲われたのは知っとるやろ。トラックはこの有様や。その再来やで」

「秋から冬は漣、神祇省で適合資格検査中でしたけど、へぇ、本土強襲……なら、なおさらですね。やらないわけにはいきませんよ」

「はっ。愛国心に篤いこって」

「そんなんじゃありませんけど」


35: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:25:11.72 ID:VjG80NM90

「ま、ええわ。殺すつもりはない。が、勝手に動き回られても困る。身柄はこっち預かりや。三食喰わせたるし寝床も確保したるけど、ウチらの言いつけ、ちゃあんと守ってくれんと厄介になるのはそっちやで」

 脅しのようだが脅しではない。言葉の重みが違った。
 それがお互いのためだ、と龍驤は言外に語っている。

「……どういうことだ」

「それを知る必要はない。教えるつもりも、ない」

 まぁだろうな、というところだった。だが、龍驤が無駄なことを言うとも思えない。である以上は従っておくべきだろう。
 そう、こんな龍驤ですらハト派の可能性だってあるのだから、俺たちが本土から来た海軍将校であることは、なるべく秘匿するに越したことはない。

「戦力もか。人員配置、資源の量、その他邀撃に必要な情報は山ほどある。それを把握せずに備えろと?」

「……ま、そうやね。人員配置については鳳翔さんに聞きぃや。資源、装備に関しては夕張が管理しとる」


36: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/14(水) 21:25:58.14 ID:VjG80NM90

「泊地にはその二人もいるのか?」

「その二人『が』おる、っちゅーたほうが正しいかもしれんね。生き残りは少ない。泊地に寄り付かんのもおる。形式的にでもあいつがいたころの形を維持しようとしとるのは、正味、うちを含めて三人だけや」

「あいつ、ですか」

 漣が呟いた。あいつ。先の話にでてきた、戦死した提督だろうか。
 事前資料を見る限りでは、トラック泊地ができた当初から在任している提督らしい。明朗闊達、質実剛健、文武両道を地で行く益荒男だったと記載されていた。
 当然信頼も厚かっただろう。彼の存在が自らのうちに根を下ろしすぎていて、引っこ抜かれた際にきっとどこかが壊れてしまった艦娘も、少なからずいるに違いない。

 龍驤がそうではないとは思えなかったけれど、だからこそ強く振る舞い、だからこそ提督がいたころの鎮守府を維持しようというのは理解できる。

 顎で示して龍驤は振り返った。ついてこい、というのだろう。

 彼女の左手薬指に指輪が嵌っているのが見えた。


41: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:08:15.92 ID:CWam9kkx0

「ふぅ、つっかれましたねー!」

 使い古された感のあるシングルベッドへ漣は飛び込んだ。スカートがめくれていちご柄の下着が丸見えになる。

「見えてるぞ」

「え、あっ!? ばか!」

「安心しろ、ガキのパンツにゃ興味はない」

「ガキじゃないですー! こう見えても14ですー!」

 ガキじゃねぇか。俺と一回り以上もはなれている。
 にしても、14。中学二年……適性検査を経て合格したのだから、それなりに有能なのはわかるけれど、それでも本土が恋しくはならないものだろうか。
 まるで小旅行のようなふるまいを見せる漣だが、二度と故郷の土を踏めない可能性があるとは、露とも思っていないのかもしれなかった。


42: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:09:05.00 ID:CWam9kkx0

 いや、少女とも言えど艦娘で、つまり軍人だ。訳ありなど山ほど見てきた。最初の赴任地がトラックなんて埒外なのだから、漣には漣なりの何かがあって、トラックへ来たと考えるのが妥当だろう。
 少しでも遠くへ行きたかった? なぜ? それとも飛ばされてきたのか? 俺のように?

 かぶりを振った。変な勘繰りがよろしくないのはわかっていたからだ。
 他人の隠し事を暴露しようとするのはまるでよくない趣味だったし、関係の悪化は任務達成において致命的に過ぎる。

「学校に友達とかはいなかったのか?」

「へ? 急になんですか。話をそらそうとしたって騙されませんよ」

「違ェよ。本人の意思を尊重すると謳ってはいるが、曲がりなりにも徴兵だからな。反対は結構いろんなところで起きてるんだぞ」

「ウチの周りには防衛省関係の施設も、ましてや神祇省関係の施設もありませんでしたからねぇ。ご主人様の周辺は知りませんけど、だいぶ静かなもんでしたよ」


43: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:10:19.85 ID:CWam9kkx0

「まぁ、今更ホームシックになられても困るんだが」

「なりませんてば」

 心外だ、というふうに口を尖らせる漣だった。

 現在俺たちがいるのは平屋の一室である。至って普通の1DK。龍驤たちにあてがわれた部屋は、日本の作りとさして変わりないように見えた。違いと言えば漆喰がむき出しのところくらいか。
 ここは俺の部屋だ。漣の部屋は隣にある。プライベートを気遣う余裕が龍驤にあったとは驚きだったが、その余裕はありがたかった。さすがに女子中学生といきなり同棲など気が気でなくなる。

 本来ならば泊地の司令室に陣取るのが通例なのだろう。俺は鎮首府も泊地も知らないので、あくまで想像だ。とりあえずこんな平屋に座しているはずはないのは明白だが。
 とはいえいきなり敵意の視線のど真ん中へと飛び込んでいく度胸もない。別に俺たちは喧嘩を売りに来たわけではないのだから。


44: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:10:59.73 ID:CWam9kkx0

 資源と人物管理担当の二人、夕張と鳳翔は追ってやってくると龍驤は言っていたが、具体的な時間はついぞ教えてくれなかった。俺たちの処遇について、今後どうするのかを決めあぐねている可能性は十分にある。
 ならばこちらも対応策を練るべきなのだろうが、難しい。なにせこちらは向こうの情報を全くもって知らないのだ。

 漣が持ち出したマル秘資料は結局襲撃を受ける前のものにすぎない。提督が死に、泊地が壊滅して以後のことは、どうやっても彼女たちの口から聞くしかないのである。
 そしてそのハードルが何よりも高い。

「……どうなると思う?」

 備え付けの椅子は足の立てつけが悪いのか、体勢を変えるごとにぐらぐらと揺れる。

「まず漣たちの目的をはっきりさせることからですね」

 漠然とした質問にも漣はきちんと答えてくれた。


45: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:11:44.73 ID:CWam9kkx0

「そもそもご主人様がここでどうしたいのかを漣は知りません。辞令は予想されている『イベント』の対応、及び常態的な深海棲艦の邀撃でしょうけど、丸呑みして言うこと聞くんですか?」

 まさか聞かないでしょう、と言葉の裏で漣は笑っている。

 なるほど、その予測は論理的だ。上層部からの言うことにほいほい従うイエスマンが、果たしてこんな僻地に飛ばされるだろうか。
 だがしかし、論理的過ぎるのも時には困りものであるようだ。

「言われたことはやるさ」

「やるんですか?」

「まぁ、一応な。自分の命を守るためってのもあるし、なにより、知り合ってしまったんだ。見殺しにするのも悪い」

 どうやら漣は俺をあまりにも冷血漢だとみなしすぎているきらいがあるのではなかろうか。

 人は死なないに越したことはない。誰だってそうだろう。たとえ自分とはまるで無関係な人間であったとしても、誰かの死は気分を暗くする。
 仮に死の淵に立つことがあったとしても、その時は納得ずくで、笑顔で死ねる様にありたいと思う。

 果たして彼女もそうだったのだろうか?
 俺は彼女に対して――


46: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:12:24.15 ID:CWam9kkx0

「――へっ」

 やめだやめだ、ばかばかしい。
 自ら頸木に頭を突っ込んでどうするというのだ。

「っつーわけで、最終目標は泊地の再興だ。信頼を勝ち取り、艦娘を指揮下に置き、来るべき敵の襲来に備える。そうすりゃ自然と本土に対しての発言権も生まれるだろう。飼い殺しになってやるつもりはねぇ」

「ふむ。ということは、ご主人様。やっぱりギャルゲー的展開にならざるをえませんよ?
 人材を見なければなんともいえませんが、例えばイベント。過去を踏襲するならば聯合艦隊での出撃が望ましいでしょう。つまり、艦娘は12名必要です。漣と、龍驤さんと、夕張さんに鳳翔さん。これでやっと四人。後三倍必要になります。
 最低でも八人、口八丁手八丁で篭絡しなきゃ、です」

 篭絡とは随分と下卑た言い方をするじゃあないか。ギャルゲー的展開はともかくとして、確かに、俺たちを手伝ってくれる程度には信頼関係を築く必要がある。それを篭絡といってしまえば確かにそうなのかもしれないが。


47: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:14:03.41 ID:CWam9kkx0

「ふーん。ギャルゲー、ねぇ」

 背後から声がした。

 振り向いた俺の目の前で、目を真ん丸くしていたのは灰色の髪の少女。緑色のリボンで髪を結わえ、漣のものとはまた違ったセーラー服を身に着けている。ごちゃごちゃとした艤装もまた。
 そして、そんな彼女の背後に、もう一人。着物姿の女性。南国に似合わない、見るからに暑そうな格好だった。

「龍驤さんから話は聞いているでしょ。夕張よ」

 セーラー服の少女が名乗る。ということは、消去法的に着物の女性が鳳翔か。

「あの、夕張さん? ぎゃるげぇ、とは、一体……?」

「あぁ、鳳翔さんは大丈夫です、そういうのはいいんです」

「え、え?」


48: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:15:23.61 ID:CWam9kkx0

「ちらっと聞いてただけだけど、けっこうな言い草じゃない。ギャルゲーとか、篭絡とか。本土の人間はやっぱりどいつもこいつもこういうやつばっかりなのかしら」

「……あー、誤解しているようなら、悪かった。そういうつもりで言ったんじゃない」

「そ、そうです! 全部わたしが悪いんです!」

「あぁもうわかってるけどさ! でも、言葉には注意してよね。いきなり後ろから撃ってくるやつだっているんだから」

「冗談だろ?」

 艦娘の艤装は深海棲艦特攻性能を持つが、純粋に人間に当たっても大怪我は免れない代物である。現代科学の粋を集めて作られているのだ。

「だったらどんなにいいか」

 夕張のその口調は、それが単なる冗談ではないことを如実に現していた。
 無能な上官の死因のうち、数パーセントが味方の誤射によるものだという統計を思い出した。あんなものはブラックジョークの類にすぎないと笑い飛ばせるだけの余裕と、何より説得力が、今の俺の周囲にはない。


49: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:16:07.39 ID:CWam9kkx0

「……気をつけておくよ」

「ん。そうね、それに越したことはないから」

「お二人は、その、龍驤さんから言われて?」

「はい、そうですね。とりあえず、私たちが持っています資料や体験を伝えるように、と言われています」

 俺たちに対する二人の口調は、やはりどうしても硬さはあるものの、決して敵対的ではない。龍驤も含めて、彼女たちはみな、自分たちの力だけでは今後の脅威に対処できないと感じているのだろう。
 本土から増援や助力を期待する打算と、はらわたの煮えくり返る思いの板挟み。

 そして夕張の先ほどの言葉。「後ろから撃ってくるやつもいる」。
 漣が船上で言っていたことからうっすらと想定していたことだけれど、やりたい放題やっている、自由に生きている――トラック泊地の艦娘は決して一枚岩ではない。


50: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:16:45.12 ID:CWam9kkx0

「すいません、お二人とも、早速ですが資料とデータを見せていただけませんか? 行動は早いほうがいいですし」

「わたしが資材管理で、鳳翔さんが人材管理。どっちから先に聞きたい?」

「……」

 俺は逡巡して、「人材」と言った。
 資材は所詮資材だ。それを活かせる人材がいなければ話にならない。畢竟、資材が十万二十万あったとて、艦娘が駆逐艦ばかりでは大した意味もないのだから。

「わかりました。では、私、鳳翔が」

 鳳翔――鳳翔、さん、だろうか。俺と同い年くらいにも見えるが、声は若い。

「まず、手早くトラック泊地の現状を説明したいと思います。

 既にお聞きになっているとは思いますが、冬のイベント、トラック襲撃により、我が泊地は壊滅しました。提督は死亡、仲間たちもその大半が死亡しています。現在、泊地に常駐している艦娘は私と龍驤さん、夕張さんの三名のみです。

 ですが、これは生存者が三名である、ということを意味しません」


51: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:17:24.81 ID:CWam9kkx0

「『後ろから撃ってくるやつもいる』」

「……えぇ」

 意図的ではないだろうが、鳳翔さんは視線を逸らす。

「提督は死に、仲間も死んで、もう泊地は機能しておらず……ならば、何をしたって構いやしない。そう思った方々がいたのは本当です。御国のために挺身したことが仇となって返ってきたのなら、ですが、それは致し方ないことと思います。
 勿論、全員がやけを起こしたわけではありません。のんびりと余生を決め込んでいる方もおりますし、一人で海に出ている方もおります。最早泊地とは縁の切れた身。そして嘗て共に戦った身。傷口に触れる必要もないと、こちらから干渉はしていません」

「そいつらは全部で何人だ」

「九名です。亡くなっていなければ」

 九人……泊地の三人と漣を加えて総勢十三人。何とか頭数は揃う、か?


52: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:17:52.30 ID:CWam9kkx0

「名前と、どこにいるかを教えてもらえるか?」

「それはできません」

「なんでですか?」

 俺よりも先に漣が反応する。存外に冷静だが、その瞳は鋭かった。尋ねているのではない。詰問だ。

「漣たちの利害は一致しているはずです。トラック泊地の再興。これ以上人死にを出さないようにする。途絶した本土との連絡を回復し、正当な権利を得る……。
 主義主張、理念、思想、そんなものは全部、そのためにうっちゃえるはずです。それでも教えられない何かがあるというんですか?」

「あります」

 応える鳳翔さんもまたきっぱりと。

「恐らく、あなたたちは勘違いしているのでしょう。私たちは、正直なところを申し上げますと、『泊地の再興などどうでもいい』のです」

「そっ」

「それは話が違います!」

 またも漣が俺を制した。


53: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:19:13.31 ID:CWam9kkx0

「いいえ、違いません。私たちは皆さんの幸せを願っているのです。再興は次善――身も心も傷つき、疲れ果てた仲間たちを、もう一度戦場へ引っ張っていくことを望んでいませんから。
 彼女たちは『やりたいようにやって』います。その邪魔をするつもりは毛頭ありません。勿論、あなたたちが説得をするのは自由ですし、説得に彼女たちが応じるのならそれはそれ、こちらが口出しすることではないですが」

「……幸せの中で死ぬならそれでもいいと?」

「えぇ。苦しさを我慢して生きるよりは、そちらのほうが。私たちはそう思うのです」

 俺は真っ直ぐに鳳翔さんの瞳を見た。彼女も真っ直ぐにこちらを見返してくる。
 きれいな瞳だった。強い瞳だった。疾しいことなど微塵もない、そう自分自身を信じている瞳だ。
 ならば、俺たちに説得できる隙はない。


54: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:19:41.22 ID:CWam9kkx0

「……わかった。そっちに迷惑をかけない程度に、こっちもやりたいようにやらせてもらうが、いいな?」

「構いませんが、あなたがたが皆さんを悲しませるようならば、それは見捨てておけません。努々お忘れなきよう、ご留意ください」

「わかった。心に刻んでおく」

「ありがとうございます。それでは、私たちはお暇しますが、よろしいですか?」

「あぁ。御足労すまなかった。色々聞けて、参考になったよ」

「夕張さん、行きますよ」

 す、と清楚な身のこなしで鳳翔さんが立ち上がった。
 対する夕張は、ぽかんと口を開けて彼女を見ている。

 ん? なんだ? なにか、違和感が……。

「いや、あたしからの説明、まだなんですけど……」

「あ……」

 一瞬、沈黙。


55: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:20:34.77 ID:CWam9kkx0

「あ、その、ごめんなさい? ち、違うんですよ、夕張さん! ちょっと雰囲気に呑まれちゃったと言いますか、なんていうかその!」

「くっ、ふふっ、あははは! や、いいんですよ、鳳翔さん。面白かったですから、いまの。『夕張さん、行きますよ』って。あはははっ!」

「もう、夕張さん! そんなに笑わないでください!」

「ひひっ、あぁもうだめだ、お腹痛いー!」

「……こういう人なのか?」

「そう! こういう人なの!」

 夕張は眼尻に浮かんだ涙を拭いながら、自慢げに言った。

「かわいいでしょ?」

「かわいいな」

 本心だった。
 まぁ、俺も忘れかけていたのだから、人のことをとやかくは言えないのだけれど。


56: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:21:08.22 ID:CWam9kkx0

「まぁでも、話を戻すけど、あたしは資材管理担当。ただ泊地が壊滅してから時間は経ってるし、実際に艦娘として動いてるのはあたしたちだけだから、殆どからっけつだよ。駆逐艦がいない以上、遠征にも出られないしね」

「それでも最低限、三人分の蓄えはあるんだろ」

「ないわけではない、くらいに思っといてよ。艦娘はやってるって扱いだけど、実際のところ、艤装をつけて出撃――なんてのは当分やってないからさ」

「近海に深海棲艦は?」

「出るよ。出るけど……」

 言い淀んだ夕張は、助けを求めるように鳳翔さんを見た。視線を受けた彼女は、「なりません」と言う風に首を横に振る。

「……まぁ、そこはおいおいわかると思うよ。あなたが本当になんとかしたいと思っているなら、ね」

 多分に含みがある言葉だった。やはり、彼我の間の見えない壁を、測れない距離を、ひしひしと実感する。
 親切な誰かに全てを手取り足取り教えてもらえるとは微塵も思っていなかった、それは事実。特別な落胆はない。

57: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:21:47.57 ID:CWam9kkx0

「で、一応これが資材の管理表。推移も含めて記載してあるけど、ここ数か月は殆ど横ばいだから、あんまり見ても仕方ないかもね」

 薄めのファイル一冊分。現時点での資材数は、油、弾、鋼材、ボーキ、それぞれがおおよそ3万前後と言った様子。十分とは到底言えないが、今すぐの枯渇を心配しなければならないほどではないようだ。

「ん。ありがとう、熟読しておく」

「じゃあ、これであたしたちのお仕事は終わりかな。全面的に協力するわけじゃないけど、まぁ、互恵関係といきましょ。
 ほら、鳳翔さん、行きましょう」

 そう声をかけられて、鳳翔さんは先ほどのやり取りを思い出したのか、赤面して「もう!」と声を大きくする。
 二人は背筋をぴんと伸ばして立ち上がった。扉を開けると、まるで二人に後光が差したようにも見えて。


58: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/18(日) 10:22:13.78 ID:CWam9kkx0

 ……完全に外様だな、こりゃ。
 覚悟は決めていたことだけれど。

 漣は面白くないような顔をして二人の背中を見送っていた。

「不服か」

「そりゃそうですよ。ちょっと排他主義が強すぎやしませんか? 自分が決めた生き様を貫いた結果なら、深海棲艦に殺されたっていいなんてのは、はっきりいって納得できませんね。
 横っ面をひっぱたいたって、腕を引っ掴んだって、生きてるほうがいいに決まってます」

 漣の言うことは尤もで、俺だってそう思う。
 が、それを俺たちが言う権利なんてのは、どこを見渡してもありゃしないのだ。俺たちは所詮、現実を知らないクソヤロウに過ぎない。聡明な漣自身、それをわかっているからこそ、あえて鳳翔さんには突っ込まなかったに違いない。

「あら、奇遇ですね。私も同じく思います」

 開けっ放しの扉のところに、一人の少女が立っていた。
 パジャマ姿で。

 茶髪をなびかせながら、優雅なしぐさで少女は髪の毛をかきあげる。

「軽巡、大井と申します。少しお時間よろしいですか?」


62: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:23:23.24 ID:b1vpIXYx0

「……軽巡、大井?」

 鸚鵡返しになったことは承知の上で、俺はそれしか言葉が出なかった。
 茶髪の美少女――自らを「大井」と名乗った少女は、パジャマ姿で麦わら帽子だけを被っている。トラックの強い日差しから身を守るためだろうか。顔色があまりすぐれていないように見えるのは影のせいだけではなく、熱さに弱いのかもしれない。

 美少女。そう、美少女だ。
 肌は透けるように白く、嫋やかな笑みを浮かべていて、髪質は柔らか、そのくせ底冷えする瞳を持っている。

 ……?
 いや、違う、か?

「違うな」

「ご主人様、どうかしましたか」

「『ご主人様』」

 くく、と含み笑いを大井は零した。

「とんだ趣味をお持ちですね、提督。いえ、やっぱり私も『ご主人様』とお呼びしたほうが?」


63: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:24:11.38 ID:b1vpIXYx0

「好きにしろ。今は俺のことなんてどうだっていい。大井、っつったな」

「えぇ。軽巡、大井。……それとも、本名をご所望で?」

「素体の名前を知ったところでどうしろってんだ。話をはぐらかすのはやめろ」

「あのぅ、ご主人様? 話の流れが、漣、全然つかめていないのですが」

「あぁ、気にすんな。どっか行っててもいいくらいだ」

「なんですかその言い方、ひどー」

「本当、酷いですね」

 と、大井がこちらを見ている。

 悪意をことさらにこめたわけではないのだが、今の俺の言葉の矛先は、漣ではなく大井に向けられていた。彼女はそれをつぶさに感じ取ったに違いない。
 『こいつの影響を受けないように』。
 隠された言葉をはっきりと理解しやがって。

「さくっといこう」

 俺は息を吸い込む。

「病院はどうした」


64: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:25:39.22 ID:b1vpIXYx0

「抜け出してきたに決まってるでしょ? じゃなきゃ、こんなとこまで来られません」

「病院のパジャマのままで、か。よく見つからなかったな」

「一応これでも軍属ですから。身のこなしは人一倍。たとえ艤装を背負ってなくても」

「人格矯正プログラムを徹底するように進言しとくか」

「あなたが真っ先に放り込まれちゃうんじゃないですか」

 ……?
 なんだ。どういうことだ。この違和感はどうしたことだ。
 大井のこの、何もかもを全て見透かしたような眼が、あまりにも居心地が悪い。

 一度深呼吸。落ち着け、熱くなるな、冷静になれ。そうやって自分で言いきかせないと、この不快感を間違った方法で解消させかねない。

 軽巡、大井。こいつのパジャマは病院の普段着だ。俺は嘗て同じものを、日本の病院で見たことがある。
 なぜトラックの病院で同じものがあるのかはわからない。が、大井が軍属であったことを考えれば、泊地の病院は全て系列のようなものだからなのだろう。
 病院を抜け出してきたことは一目瞭然だった。けれど日に照らされている手足は健在で、いささか白すぎるようには見えるが、問題があるとも見えない。


65: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:26:58.19 ID:b1vpIXYx0

 戦地で手足を失くす人間は少なくない。特に深海棲艦の登場から、艦娘の正式な運用決定までの過渡期では。弾丸も爆薬も効かない化け物相手、海岸線を必死に守り続けた結果の負傷を、俺は嫌というほど知っていた。
 そして反面、俺は艦娘のことをさして知らない。だから病院着ともなれば、怪我の類だろうと思ったのだが、そういうわけでもないらしかった。

 ならば内臓系か。はたまた精神か。
 PTSDなどよくある話だ。

 ともあれ大井、こいつの一筋縄ではいかないっぷりは、恐らく生来のものだろう。後天的に突如として得た物ではないよう感じる。泊地が壊滅し、前提督が死んで、ということはどうやら関係なさそうだ。
 それは勿論彼女に心の傷がないことを意味はしないけれど、大井のことを慮れるほど、今の俺には余裕がない。

 救いを煙草に求めて、いまだ心の清涼剤は漣が持っていることに気が付いた。くそ。


66: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:28:12.98 ID:b1vpIXYx0

「何をしに来た? 何が目的だ?」

「あら、それをあなたが尋ねますか? こっちとしては、そっくりそのままお返ししたいんですけど」

 いちいち言葉に棘がある。それは俺もである、という自覚がないわけじゃあないが。

「会話を盗み聞きしていたろう。聞いた通りだ。泊地の建て直し、そのためにやってきた」

「おかしいですね。なら、わかるはずでしょう」

 私が盗み聞きしていたのを知っているのなら。
 大井は不敵な笑みを浮かべて、そう続けた。俺は確かにそのとおりだ、と思う。同時にクソ厄介な女が現れたものだ、とも。

 腹の探り合いは得意だが、得意と好きは一致しない。回りくどいのは面倒で、俺は面倒事が嫌いである。漣に言わせれば、面倒事や厄介ごと、総じてトラブルに好かれそうな顔をしているらしいので、最早諦めるしかないのかもしれない。


67: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:30:08.37 ID:b1vpIXYx0

「ほう、なら、お前は俺たちを手伝ってくれると、そういうわけか?」

「無論ですとも」

 殊勝な言葉とは裏腹ににんまりと猫のように笑う大井の表情は、まるで信用できない。悪意は感じられない。ただ、真意が別のところにあるのは明らかだった。
 とはいえ今は猫の手も借りたい状況であることもまた確か。いくら真意が別のところにあるとは言っても、まさか寝首はかかれまい。大井、こいつの病状がどれだけ重く、そしてどれだけ致命的かはわからないが、艦娘として最低限の素養はあるはずだ。

「……胡散臭いひとです」

 ぼそりと漣が呟いたのを俺は聞き逃さなかった。当然、大井も。

「あなたの喋り方に比べたらどうだってことないでしょ? メイドさん」

「なら、あなたのそれもキャラ付けだとでも?」

「漣、落ち着け。喧嘩を吹っ掛けるな」

「でも、ご主人様。この人は軽巡大井なんですよ」

「……?」

 漣の言った言葉の意味が理解できず、俺は一瞬ぽかんとしてしまう。


68: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:31:08.91 ID:b1vpIXYx0

「雷巡じゃないんです。軽巡のまま……練度が足りないから。病気のせいですか?
 ご主人様。漣にはどうしても、この人の、この人が描いてるビジョンが、わからないんです」

 軽巡大井。雷巡ではなく。
 座学で学んだのはかなり昔だから、忘却の彼方に霞んでいる。だけど、確かに、そう言えば、そんな艦種もあったような……?

 漣の言わんとしていることの全貌はわからない。以心伝心には程遠い。だが、それでも不安は伝わった。
 そしてそれを見捨てておけるほど、俺は冷たい男ではない。つもりだ。

「あー、大井? 何か申し開きはあるか?」

「ないと言ったらどうなります? 今この場で撃ち殺されるというのなら、そりゃあ身の振り方も考えますが」

「とりあえず情報の相互提供といこうや。互いの立場、目的、知っていること、全て並べて初めて同じ土俵だ」

「まぁ、私は構いませんけどね。一応最古参の一人に数えられますし、あなたたちの望む情報は、恐らく提供できると思いますよ。
 あぁでも、覚悟はしておいてくださいね」


69: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:31:47.04 ID:b1vpIXYx0

「覚悟?」

「私のことを使うからには、私に使われることも辞さない覚悟を持っているのか、と尋ねています。役に立たないような相手に与したところで、ねぇ?」

 流し目で大井はこちらを見てきた。蔑んでいるわけではない。ないにせよ、こちらを値踏みしているのは明らかだ。
 大井の目的が一体なんであれ、俺たちは俺たちの目的を完遂しなければならない。トラックなどと言う辺境の地で一生を終えるつもりはなかったし、それはきっと漣だって一緒だろう。
 本土に戻るためには任務の遂行は絶対条件で、そもそも任務が果たせなければ、自らの命だって危うい。

「俺たちにできる範囲であれば、手伝うことは吝かじゃあないが」

「吝かじゃあない。ふふ」

 何が面白いのか、大井は口元を押さえた。


70: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:33:09.94 ID:b1vpIXYx0

「まぁいいでしょう。素体の名前に興味はない? でしたら私は『大井』――球磨型軽巡洋艦四番艦。その御霊を背負った者です。繰り返しの紹介になりますが、そこは許してくださいね。大事な伏線ですので。
 そちらは? 艤装の感じから察するに、特Ⅱ、綾波型?」

「……漣です」

 驚いているのか、あるいは若干引いているのか、漣の言葉は重たい。
 俺もあわせて名前、階級を告げると、大井は満足そうに頷いた。

「なぁるほど」

 意地の悪い笑みが大井の顔面に張り付く。

「お噂はかねがね――『鬼殺し』殿」

「提督ッ!?」

 漣が叫んだのを聞いて、初めて俺は、自らの右手に鉄塊が握られていることを知った。
 腰のホルスターに差しこまれていたリボルバー式の拳銃だった。

 その銃口は真っ直ぐに大井へと向いている。

「撃ちますか? 私を殺しますか?」

「それ以上いらんことを喋るな。指が動いちまいそうだ……!」

「なるほど、聞いた通りです」

 ひとり、正鵠を得たりと頷く大井。

「あなた、戦いに勝って勝負に負けましたね?」

「沈黙は金だぞ、大井ッ!」


71: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:34:08.97 ID:b1vpIXYx0

 知られて困るという次元ではないのだ。心を鋭く切り裂いてくる悪漢相手に、果たして防衛以外のなにができようか。
 たとえ彼女が有能で有力な協力者足りえたとしても、駄目だ、わかっているのに、体はどうしても反応してしまう。ここで我慢しなければ、俺は金輪際勝負に勝てやしないというところまで来ていると、自覚はあったとしても!

「あ、あの、そのっ、やめてください! なにがどうなってるってんですか!」

 射線上に漣が割り込んでくる。引き金にかかる指はいまだに硬直していたが、頬を伝う汗を感じ取れるくらいには、感覚にも余裕が出てきていた。
 そして大井はようやく意地の悪そうな相貌を崩す。

「わかりました、わかりましたよ。拳銃を収めてください。事情はわかりました。となれば、私も事情を詳らかにできるということです。何も悪いことばかりじゃあありません。違いますか、『ご主人様』」

「……話を続けろ。与太話に付き合う暇はねぇ。余裕もねぇ」

 ようやく拳銃をしまう。それだけのことに随分と体が重い。

72: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:35:47.03 ID:b1vpIXYx0

「私の目的はただ一つ。行方不明になった姉妹を探してほしいんです」

 あっさりと大井はそう告げた。あまりにもあっさりで、俺も漣も次のやつの言葉を待っていたのだが、どうやら本当にそれだけらしい。
 姉妹を探す。行方不明。わかりやすい話ではあった。ただ、艦娘という特性上、探す範囲を考えれば……。

「それは、球磨型軽巡残りの四人を、ということですか?」

 問うたのは漣。球磨型と言われても、座学で学んだのは遥か昔。忘却の彼方に消え去っている。ここはこいつに話を進めさせるのが得策だろう。
 大井と不穏な雰囲気であるのが心配だが、拳銃を突きつけたばかりの俺が言えた義理はない。そういった意味でも、俺に頭を冷やす時間は必要かもしれない。

「いいえ、違うわ。もともとここに球磨型は二人しかいなかったもの。
 探してほしいのは、妹――いえ、姉、かしら?」

「? どういう意味ですか」

「あぁ、ごめんなさい。はぐらかすつもりはないの。
 探してほしいのは、球磨型の三番艦、北上。ナンバリングでは姉なんだけど、彼女、私の妹なのよ」


73: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:37:12.71 ID:b1vpIXYx0

「『軽巡大井』ではなく、『あなた』の?」

「そう。深海棲艦の大攻勢を受け、必死に戦っていたわ。彼女は私と違って雷巡になっていたから、激戦地帯で来る日も来る日も雷撃雷撃……そうして、敗北とともにいなくなってしまった。
 沈んだのか、それとも生きてどこかを漂っているのか、はたまたいまだに深海棲艦と戦い続けているのか、それはわからない。探しに行きたいのだけれど、生憎私は体が悪くて、うまくはいかないの」

「体が悪いってのは、そりゃ、なんだ。病院着ってこたぁ入院中の患者だろう。それが軍属で艦娘やってるってのは、不思議な話だが」

 俺はここでようやく口を出せた。
 軍属の間で大病を患ったのなら、こんなところではなく日本に戻ればいい。生まれつきの大病ならそもそも軍属になれないはず。除隊もされずに大井がトラックで艦娘をやれている理由がわからない。


74: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:38:49.91 ID:b1vpIXYx0

 大井は俺の言葉を受けて大きく頷く。まるでそこに話の焦点があるかのように。

「私は最古参の一人だと言ったでしょう?」

 それが説明だと言わんばかりの大井であったが、果たしてその説明は俺にも、漣にも通じない。言葉は虚しく滑っていくのみ。
 沈黙が数秒流れ、ようやく彼女も事態を察したらしい。えっ、うそ、知らない? と驚いている。

「適合する女子に艤装を模した装備をさせた上で、嘗て存在した軍艦の付喪神を降ろす、そんな技術が一朝一夕で確立するわけないじゃない。当然何百と言った『失敗作』と、最初期の『成功作』が生まれてくる。
 そのうちの一人がこの私。艦娘の最古参、軽巡大井なの」

「最古参っつーのは、そっちの意味でか」

 トラック泊地の最古参と言うことではなく。

「えぇ、そう。で、ここで話は戻るのだけれど、私の体の話。
 なぜ私が最古参なのか。最初の成功例なのか――ふふっ、皮肉なものよね。神様が瑕疵を好むだなんてのは」

 大井は自らの胸へと手をやった。


75: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:40:04.34 ID:b1vpIXYx0

「私は生まれつき心臓に欠陥を抱えているわ。だからこそ私は『軽巡大井』足りえた。何故なら史実の彼女には、生まれつき機関の不調があったから」

 あぁ、そういうことか。漣が俺の隣で呟いた。俺も合わせて理屈を理解する。
 史実の、日本海軍所有であった軽巡大井について、俺は寡聞にも詳しい情報を知らない。しかし目の前の艦娘大井は言う。軽巡大井には機関部に欠陥があったのだと。
 そして彼女にもまた、機関部である心臓に欠陥があるという。そして先ほどの言葉。「神様が瑕疵を好む」。

 考えてみれば当然の話かもしれない。軍艦を模した艤装を装備してまで、魂を降ろす準備をしているのだから、より嘗ての条件に類似した憑代を神様だって選ぶだろう。

「……随分と史実に詳しいようなのは、だからか?」

「そうね。そうかもしれない。それとも順番が逆なのかも?」

 それは最初からミリオタだったということか?
 ならばもう一つの予想も納得がいく。


76: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:42:05.07 ID:b1vpIXYx0

「イベントの予測をしたのも、お前だな?」

「その通り。龍驤たちの指針になればと思ってね」

 そう語る大井の表情は誇らしげだった。
 決して善人ではないだろう彼女の、真っ直ぐな笑顔を見て、俺は思わず頬が緩む。

「力を貸してくれないか?」

「力は貸せない」

 即座に。

「こんな細腕借りたって、発砲スチロールも持ち上げられないわよ」

 いたずらめいた言葉だった。

「――けど、この頭脳は貸してあげる。
 私たちは味方ではないわ。代わりに、北上さんを探してもらいます。それで文句はないでしょう?」

「あぁ、これからよろしく頼む」

 俺が手を差し出すと、大井も手を握り返してくる。握力が弱弱しいのは、やはり闘病生活のためだろうか。

「漣も、よろしくお願いしますっ!」

 爛漫な挨拶とともに漣が手を差し出す。


77: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/20(火) 21:43:15.19 ID:b1vpIXYx0

「嫌よ」

 そうして、その手は払われた。

「あなたの口からは腐った嘘の匂いがするわ」


85: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 00:59:12.81 ID:vSRN/AeM0

 それから三日間、特に何事もなく過ぎた。

 それは決して、俺たちが何もしていないこととは異なっている。だがしかし、俺は寧ろ、何事もないことこそが恐ろしくもあった。
 波風がなければ舟は動かない。無論、頼みの綱は船であって舟ではない。言葉遊びで不安になるなんて愚かしい……わかってはいるのだけれど。

 あれから大井と顔を合わせたわけではないものの、漣は至って普通で、余計にあいつのあのセリフがなんだったのかわからないでいる。
 『腐った嘘』。わざわざ挑発的な言葉を選んだに違いない。そしてまるで意味のないことをするようなやつでは、話した数分の感覚を頼りにするならば、無いような気がした。

「ご主人様ァ? どーしましたー?」

「……いや、なんでもねぇよ。色々な、考え事を」

「まぁた似合わないことしてんですね、乙カレー様です」

 と、少し不思議な発音で喋って、漣は俺の持っていた紙切れを取り上げる。
 龍驤からもらった、周辺の地図だった。


86: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:00:22.90 ID:vSRN/AeM0

 海岸線、及び港までは徒歩で十五分と少し。軍港は復興の兆しもなく打ち捨てられ、代わりに地元漁師たちの漁港として使われている。まぁ、もともと艦娘には港らしい港も必要ないので、そんなものなのかもしれない。

 整備と修理を行うドックは夕張が管轄しているらしいが、どれほど稼働しているのか、まるでわからない。深海棲艦も近海にはいるだろうに、龍驤一人でそれに対処しているのだろうか。
 夕張は大体ここに詰めているらしい。だからといって用もないのに会いに行っても警戒は解けないだろう。

 ギャルゲーと漣は今の状況をそう評した。言い得て妙だとも思う。俺は別段そちらの知識に明るいわけではないが、今求められていることは、確かに類似している。
 邂逅。コミュニケーション。信頼関係。つまりはそういうことだ。


87: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:00:52.04 ID:vSRN/AeM0

 協力してくれる艦娘を探さないことには何も始まらないのだが、誰がいるのか、どんな容姿なのか、なにもわからないままでは最初の一歩を踏み出すことすら難しかった。
 それとも鳳翔さんの方針なのだろうか。こちらからではなく、あくまであちらから――艦娘たちからの歩み寄りがあって初めて関係が成立するのだと。

 そんなに余裕があるものか、と楽観的姿勢を切って捨てるのは容易かった。だが、俺たちは既にあちらの姿勢を知ってしまっている。知ってしまった以上、唾棄することなどできやしない。
 辛さを我慢して生きるよりも、幸せの中で死ぬ方がいい。

「……」

「地図とにらめっこしてたって、何かが出てくるわけでもなし。これからの行動指針も考えないとですね」

 いつの間にか漣が俺のそばへと寄ってきていた。桃色の髪の毛から、女子特有の微かに甘いにおいが香ってくる。それは本土においても縁遠いものだったが、まさかこんな遠く離れた地で、中学生と一緒に任務に就くなどとは。

88: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:01:51.60 ID:vSRN/AeM0

 いやいやと俺は頭を振る。常識だとか、良識だとか、そんなまともに生きるための概念は、全て意味を失くしたのだ。海から異形の怪物が姿を現した時に。

「そうだな」

 と俺は随分動きのなかった腰を上げた。

「お。ついに、ですか。どこ行きます?」

「さぁな。あてどなくぷらぷら散歩だ。こんな土壁の中にずっといちゃあ黴も生える」

「確かに」

 漣は俺の無精髭を見ながら頷いた。うるせぇ。

「準備ぱぱっとしちゃいますね」

 よいしょ。そう掛け声をかけて漣は艤装を背負った。随分と重そうに見えるが、細腕でも簡単に背負えるあたり、案外そうでもないのかもしれない。
 俺がじっと見ていると、漣は少し顔を赤らめて背中を向けてくる。


89: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:02:27.26 ID:vSRN/AeM0

「炎天下だとめちゃくちゃ熱くなりそうなもんだけどな、艤装の、なんていうんだ? 鉄の部分とか」

「いや、温度変化に強い金属をなるべく使ってて、あとは神様の力も多分にあるっぽいですよ。よくわかんないですけど」

「よくわかんない、ねぇ」

 俺は甚だ疑問に思う。自らの命を預けるのは、やはり長きを共にした信頼できる何かにであって、決して正体不明の「科学とオカルトの相の子」ではない。
 悲しいことに、それはまるで旧時代的な考え方だった。艦娘が俺たちから船を奪ったのだ――そう皮肉交じりに吐き捨てるやつもいる。気持ちはわかる。だが、その思考は年寄りのそれに過ぎない。もっと言ってしまえば老害の。

 艦娘が俺たちから船を奪った。なるほど、確かにそうだとして、しかしそれよりもまず、俺たちから海を奪った存在を忘れてやしないだろうか。

 深海棲艦。

 よくわからないものに、よくわからないものを以てして立ち向かう。

 奇妙な相対性。対称性。世界とは案外そう言うふうにできているのかもしれない。


90: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:03:02.88 ID:vSRN/AeM0

 漣は小さな手提げかばんへ私物を詰めていく。大した量が入るようにも見えないのに、漣は時折手を止め、悩み、笑みをこぼす。俺の視線など気にもしていない。

「ふんふんふーん」

 ついに鼻歌まで聞こえだして、

「元気だなぁ」

 呟いた――というよりは、零れた、漏れた、に近い。
 最近の女子中学生というのはこんなものなんだろうか。それとも、こんなメンタリティの持ち主を選りすぐって艦娘に仕立て上げているのだろうか。

「ふふんふーん」

 鼻歌は、随分と前に流行っていたという歌謡曲だった。俺が生まれたころ、だったと思う。こいつなどまだ精子にも卵子にもなっているまいに。

「随分とまぁ古い歌を」

「いいじゃないですか。いいんですから」

「いいんじゃねぇの。いいなら」

 日本語とは難しいな、と思えるやり取りだった。


91: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:03:55.01 ID:vSRN/AeM0

「当て所なくって言ったって、落ち合う場所くらいは決めときましょうよ」

「落ち合う?」

「え? だってそっちのが早いじゃないですか」

 二人いるんだから手分けしたら効率は倍。子供にだってわかる理屈。
 いや、そりゃまぁ確かにそうなんだが。

「お前、上陸して早々武器突きつけられたの覚えてねぇのかよ。身の安全はなにものにも代えがたい。効率主義も時と場合だ」

「へぇ、ご主人様が守ってくださるんで?」

 うふふ、と漣は実に嬉しそうに笑った。あまりの不意打ちに面喰ってしまうが、一度意識して顔を顰めてみる。

「海で戦うのがお前の仕事なら、俺は少なくとも陸では、お前を守らにゃならんだろう」

 格闘技もさわり程度なら習っている。運動神経は悪くないほうだし、そもそも女子中学生と比べるべくもないが。
 漣はこの島において俺の唯一の味方なのだ。仲間と言い換えてもいい。万が一の不慮を考えるに越したことはない。


92: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:05:32.26 ID:vSRN/AeM0

「ご主人様ではなく、ナイト様と呼んだ方がいいですかね?」

「馬鹿言ってろ」

「もう、冗談ですよ、冗談。つーまんないなー」

「島の海岸線をぐるりと回るぞ。流石に一日では回りきれないだろうから、数日かけて、うまくやろう」

「そうですね。それがいいと、漣も思います」

 探す相手が艦娘ならば、陸よりも海が妥当だろう。海を嫌って陸に揚がったやつらがいないとも限らないが、どのみち今後この島周辺を防衛するのにおいて、海岸線あたりの詳細な地形や状態を確認する必要はあった。
 近海周辺がそもそも安全かどうかを俺は知らない。漁師たちが存在し、まともに生計を立てている以上、漁をできるくらいには平穏なのだろうが……。

 ここは一度壊滅しているのではなかったか。

 復興がなされた。誰によって?
 ――龍驤。夕張。鳳翔さん。ならば島民が三人に好意的である理由もわかる。あるいはそれ以前から、泊地が健在だったころからよい関係を築けていたということなのだろう。


93: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:06:44.92 ID:vSRN/AeM0

「ん……」

「どうしました?」

「いや、なんでもない」

 わけではないが。
 結論を出すにはまだ早い。島を一回り、でなくとも半周、してからでいい。

「『なんでもない』って言う人は大抵なんでもなくないんですよねー」

 さもありなん。

 漣は少し口を尖らせたが、尖らせた程度に抑えてくれた。
 俺の手が掴まれる。片手を包むには漣の両手が必要だ。ぎゅっと力を籠められ、踵を支点にてこの原理、こっちを思い切り引っ張ってくる。
 一気に立ち上がりながら全身に感じるのは地球の重力。トラック諸島は日本より赤道に近いが、だからといって重力の弱まりを感じるわけでもない。まぁ当たり前である。馬鹿なことを言っている自覚はあった。

 扉を開くときつい直射日光。アスファルトからの輻射熱がないだけまだましなのだろう。木の葉のざわつきが気持ちよさそうだ。

 俺は扉の所にかかっていた麦わら帽子をとって、漣にかぶせてやる。

「んっ」

 こちらを少し窺ったあと、満足そうににんまり笑う漣であった。


94: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:07:38.46 ID:vSRN/AeM0

 日差しの中に身を躍らせる。ワイシャツが白でよかったと心から思う瞬間。漣がなぜだかやたらに手を繋ごうとしてくるのを、俺は軽くあしらって、大通り沿いに海岸まで行く。

 泊地「跡」まで徒歩二十分。海岸までも同じくらい。メイン・ストリートは露店や出店もあって、それなりに賑わっていた。

「……」
「……」
「……」

 しかし、どうにもこの視線には慣れない。
 外様だから、というだけが理由でもないように思う。聞き及びこそしないまでも、誰もがみな、島の英雄である龍驤たちと俺たちの関係性を認識しているのだろう。
 どんな尾ひれがついているのかまではわからないが……。

「さしずめ、龍驤さんたちを見捨ててた人でなし、そう思われてるんですかね」

「まぁ事実だけどな」

「でも、それは本部の判断であって、漣たちの判断じゃなくないですか」

「一般人には知ったこっちゃねぇよ、そんなこたぁ」

 誰の指示でやったかだなんて、関係がないのだ。もっと言ってしまえば興味すら。

 誰がやったか。何をやったか。
 結局、大事なのはそれだけだ。

 それだけだった。


95: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:08:19.23 ID:vSRN/AeM0

「……あぢぃ」

 意識して口に出すことによって、何かが、いくらかは、紛れた。気休め程度でも。

「おんぶしましょうか?」

「お前が? 俺を?」

「あ、陸じゃだめですけどね。海なら」

「海に出れば風ももっと涼しい、か? 日差しを遮るものは、ないにしても」

「ですね。じゃ、ちゃっちゃと歩きましょう! ご主人様ッ!」

 漣は俺のケツを叩いてくるが、いや、ちんたら歩いて見えるのは、お前の歩幅に合わせているせいでもあるんだが。
 勿論そんなことを口にだしたりはしない。女が苦手とは言わないまでも、艦娘が実戦投入し始めてからこの方、俺はより一層女との付き合い方がわからなくなった気がした。本当に不可思議な生き物だと思う。


96: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:08:56.79 ID:vSRN/AeM0

 結果的に、確かに海岸は涼しかった。白い砂浜には人はまばらだ。深海棲艦の現れる以前は、確かダイビングをメインとした観光で、多少なりとも潤っていたという話。それが今や見る影もない。
 砂は粒子が細かいのかよく鳴いた。そしてサンダルと足の隙間にも入り込んでくる。

「この辺は砂浜ですけど、もうちょっと行ったら岩礁があって、その先が港ですね。港って言うか、船の発着場、ってくらいのサイズの」

 地図を広げながら漣が方向を指さす。俺も地図は頭に叩き込んでいたが、ナビをしてくれるならそれに越したことはない。艤装にはGPSもついていて、位置情報の解析は容易という話だから。

「そういえばお前、装備はどうなってるんだ?」

「フリースロットの話ですか?」

「って言うのか? わかんねぇけど」

「もう、ご主人様は不勉強なんですから」


97: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:10:00.73 ID:vSRN/AeM0

 漣は一度脚を止め、俺の手を取った。そして五本の指の先、それぞれがきちんとくっつく形で、一本ずつ丁寧に合わせていく。
 そういえばID認証もしていなかったのか。本土ではこんなことにも大した手間がかかったもんだが、今はまぁ、どうせ誰も見ちゃいない。漣の行為に及ぶ姿にも一瞬の躊躇も感じ取れなかった。

 中空に指で四角を描くと、その形に極めて二次元的なステイタス画像が現れる。バーチャルタッチパネル。こんな技術にも最早慣れっこになってしまった。
 さらに追加で四角を描き、窓を追加。多重でいくつかの階層を持ったそれらの画面は、互いにリアルタイムで連動しあい、漣の心拍数や体温といった生体情報から、周囲足元への敵影探知まで行ってくれる。
 俺はその中から必要な情報だけを残し、窓を閉じる。そうして残った窓をピンチアウト。見やすく拡大した。

 練度は15。装備は連装砲と4連装魚雷。


98: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:11:07.92 ID:vSRN/AeM0

「まぁ、普通だな」

「普通じゃないですー」

 あからさまに嫌そうな顔で、漣は舌まで出してみせた。

「や、でも普通だろ。駆逐艦ならしゃーない」

「そういうんじゃないですっ!」

 風船が割れるような叫び声に俺は思わず体を震わせるが、それ以上に漣本人が驚いているようだった。一瞬視線が下、右、左に揺れ、そしてまた右に戻り、俺を見た。

「あはは……」

 困ったような、それでいて媚びたような、不思議な笑いだった。

 俺と漣の付き合いは当然長くない。それでも、たった数日という期間であっても、印象というものは抱く。
 こいつに対して抱いていた印象は「よく笑う」というものだった。よく。頻度として「よく」、好感として「良く」。快活に、溌剌に、トラックまで放逐されても決してくさることなく。


99: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:11:45.26 ID:vSRN/AeM0

 しかし、今の笑顔はまるで俺が知っている漣ではなかった。そしてその事実を、俺はどう捉えればいいのかわからないでいる。
 新しい一面を知ることができた、と前向きに思うか。
 隠していた一面を知ってしまった、と後ろ向きに思うか。

「駆逐艦に甘んじてたら進歩はないですよ?」

「……ま、そうだな」

 俺は甘んじて漣のはぐらかしに乗っかることにした。

「あ、ご主人様。漣はお腹が空きました」

「中途半端な時間だしなぁ」

「なんですかね、あれっ」

 自分の腹に手を当ててみる。朝食には遅いが、昼食には早い。そんな時間帯。
 漣は離れたところに見える屋台を指さして、俺の返事も待たずに走り出す。だから単独行動は危ないと言うのに……。


100: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:13:21.26 ID:vSRN/AeM0

 目につく範囲なら問題も起きないだろうと高を括って、俺は滲んだ汗を拭う。人の気配のない海は閑散としている。感傷に浸る余裕はないが、出自のわからない寂しさが胸中を過った。

 波間でばしゃりと何かが跳ねた。魚にしてはあまりにも巨大。それとも誰かが泳いでいるのだろうか。

「ご主人様ッ」

 お待たせしました、と漣が手にしているのは何かのフライ。黒っぽいソースがかかっていて、どうやらフィッシュアンドチップスの紛いもののようだった。
 この暑いさなかに熱いものを食べさせるとは、中々根性の据わったやつである。俺はじっと漣に視線をやっていたが、指についたソースをなめとるのに夢中で、どうやら気づいていないらしい。

「メシウマー!」

「誤用じゃないのか?」

「ご飯がおいしいからメシウマなんですよ。どこに間違いがあるってんですか」

 なるほど。
 素直な解釈だと思った。


101: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:13:56.08 ID:vSRN/AeM0

 ふと海に視線をやってみれば、もうあの波紋は打ち寄せる波に呑まれて見えなくなっている。
 気のせいだったのだろうか。それとも、深海棲艦の恐怖が色濃く残るこの海で、誰かが楽しく泳いでいたとでも?

「美人でもいましたか」

「は?」

 何言ってんだ、こいつ。

「あの人に見惚れてたのかと思って」

 漣が指し示した先には、確かに人影のようなものが、岩先に座っているように見える。ちょうど岩礁のあたり。
 それにしたって遠すぎた。うすぼんやりとした姿にしか捉えられないが、漣にとってはどうやらそうでもないらしい。艤装の望遠機能のせいか。

 何か細長い、棒よりもすらりとした何かを持っているようだった。釣竿だろう。この日和だ、のんびり棹差すには絶好かもしれない。


102: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/24(土) 01:14:25.45 ID:vSRN/AeM0

「朝まずめには遅すぎて、夕まずめまではまだだいぶ。釣れるんでしょうか」

 漣はぼんやりと呟く。手で目庇しを作り、目を細めて狙いを定めている。

 一家言あるようにも見えなかった。多分、単なる薀蓄だろう。
 ああいう手合いは魚を釣るのが目的なのではなく、単に手持無沙汰を拗らせて、ぼんやりと時の流れに身を委ねるのが楽しいのだ。やりたいことが溢れている女子中学生には、決してわかるまい。
 俺がそう言うと漣は頬を膨らませて、

「ぶっ飛ばしますよ、ご主人様」

 おお怖い怖い。


106: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:00:34.20 ID:br/hB/Xr0

 岩礁は中々に険しかった。砂浜はそうでもなかったが、地形の影響なのか、波も少し荒々しい。岩の削られ方も歪つで、誤って転べば膝やら脛やらを強か打つだろう。もしかしたら鋭い先で切るかもしれない。
 短パンは間違いだったろうか。いや、この日差しの中で長袖なぞ穿いていられない。半袖シャツに短パン、がっしりとフィットしたサンダル。それでいいじゃないか。

 俺の少し先を行く漣は、ぴょんぴょんと至極楽しそうに岩と岩の間を跳んだり跳ねたりしている。脚を滑らせて落ちるだなんてことはまるで思いもしちゃいない。

「ご主人様、カニがいます!」

 そりゃカニもいるだろうさ。

 喫水線にはいくつかの船が見える。漁船だろうか。このあたりで獲れる魚を、俺は知らない。漣もきっと知らないだろう。


107: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:02:10.57 ID:br/hB/Xr0

「漣」

「なんですかぁ?」

 イソギンチャクに指をつっこんだりしている漣に声をかけた。漣は目下のところイソギンチャクと戯れるのが楽しいようで、こちらを一瞥すらしない。
 俺はポケットに手を突っ込んで、海風の吹いてくる方を見た。

 その彼方に大事な人を置いてきたような気もするが、最早顔すら覚えていない。

「お前、故郷はどこだ」

「田舎ですよ。近畿と中部の境目くらいの、バスが二時間に一本しかこないみたいな」

「なら自分で適性検査を受けたのか?」

「や、今は学校の入学時、健康診断で一緒にやっちゃうんですよ。おっくれてるー」

「俺が高校を卒業した時には、まだ任意だったからなぁ。そうか、もう悉皆検査になってんのか」

「はい。うちの学年では、多分漣一人だけでしたね。まぁ人数は少なかったんですけどー。それで、なんかすっごい、先生とか、お母さんもお父さんも騒いでて」


108: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:02:47.40 ID:br/hB/Xr0

「故郷に錦を飾るつもりか?」

「まさか!」

 ここでようやく漣はこちらを向いた。

「ご主人様。ご主人様は誰かのために命を賭けられますか? 何かのために深海棲艦と戦えますか?」

「……」

 俺は逡巡する。誰かのために。何かのために。大事な存在のために。
 胸を張って「そうだ」と答えられれば、なにより格好いいのかもしれない。人間として優れているのかもしれない。しかし、僅かでも考えたということは、つまりそういうことだった。

「漣は漣のために頑張ってんです。じゃなきゃだめですよ。だめになっちゃいます。と、漣は思うわけです」

「よくわからん」

「もうっ!」

 素直な返答をどうやらお気に召さなかったらしい。ついでにイソギンチャクへの興味も失せたようにも見えて、たん、たん、たん、岩から岩へ飛び移っていく。


109: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:04:38.58 ID:br/hB/Xr0

「おい、あんまり先行するな」

「べーっだ」

 まるで子供だった。いや、中学生だから、子供には違いないのだろうが。
 それを直接言えばまた非難轟々がくる。女子中学生だなんて背伸びしたい盛りだという俺の勝手な思い込みも多分にある。

 たん、たん、たん。俺も漣に従って、少しペースを上げた。
 たん、たた、たん、た、た、たん。漣は速度に乗せてもっと先へ行く。

「どこへ向かってんだ」

「えっ?」

 海風にかき消されて、俺たちの声は少し届きづらい。

「どこへ向かってんだ!」

「てきとーですよ、てきとー!」

 漣がただただ前方を指し示す。他の岩よりも大きなそれの上に、先ほどの釣り人がまだのんびりと糸を垂らしている。


110: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:13:07.41 ID:br/hB/Xr0

 ざぷん。
 背後で音が聞こえた。

「……ん?」

「何か、落ちました?」

 どうやら俺の空耳ではないらしかった。漣も海の方を向いて、首を傾げている。

「いや、でもなぁ」

 落ちる? 誰が、どこから。
 単なる魚じゃねぇのか。

「ですね、ぇ?」

 同意を掻き消したのは口だった。
 口。口、口、口だ。

 三つの口が海面から突き出ている!

「深海――棲艦ッ!」

 鼓動が早まる。心拍数が上がる。ぞくぞくとした衝撃が背筋を突き抜け脳へと至り、俺に行動を促したのはこれまでの経験。
 空中に四角を描き、バーチャルタッチパネルを顕現。編成――をする必要なんてない!

 ここには漣しかおらず、何より俺にはこいつしかいないのだから!

「漣! 即座に出撃!」

「ほいさっさー! 駆逐艦、漣、出ますよっ!」


111: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:20:17.43 ID:br/hB/Xr0

 両手を大きく振りかぶって漣は跳ぶ――着水。その瞬間、水面に朝の烈日が顔を出したかのような輝きが、一瞬だけ迸る。
 鮮烈な光。神様の御霊とやらが喜んでいるのだ。
 また海に出ることができたと。

「敵勢力まで距離は四一! 数は三!」

 さらに情報画面を増やす。海に立てない俺には、せいぜいが漣を通して伝わる情報をまとめ、わかりやすくし、戻してやることしかできない。

 波を切り裂いて漣が発進する。その小さな背中はあっという間にさらに小さくなっていった。同時に視覚共有の画面を起動、得られる情報の拡大に努める。
 航空機を装備していればまた変わるのだが、残念ながら漣は駆逐艦。ないものねだりをしたって仕方がない。俺は意識を集中し、指示に向かった。

「三体とも駆逐イ級と断定! 漣、調子はどうだ!」

「問題ないよ! イ級くらいだったら、らくしょーなんだから!」

「判断はそっちに一任する。好きにやってくれ。ただし、油断はするなよ!」

「ほいさっさー!」


112: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:23:54.70 ID:br/hB/Xr0

 加速。
 水上を高速で進む漣の存在を、敵もようやく捕捉したらしかった。深いところから響く咆哮をあげ、漣に向かって砲撃を繰り出しながら突進していく。
 砲弾を掻い潜り、上がった水柱もさらに掻い潜って、漣は大きく弧を描きながら接敵。イ級は完全に漣を追っていて、敵と認識されたのは明らかだった。

 統率のとれた動きは見られない。野良か、あるいははぐれか。どちらにせよ脅威の度合いは低い。

「距離二五! 砲戦用意ッ!」

「わかってますよぅ!」

 腕を一振り。漣の抱えた連装砲が光を帯びて、空中に砲弾を模した光の塊が数個、その姿を現した。
 駆動音が聞こえる。俺はこの音を知っていた。仰角を調節する際の機械仕掛けのそれだ。
 当然この場には大掛かりな大砲、そんなもの存在しない。これは単なる空耳なのだ。そして深海棲艦との戦いに赴く誰もが必ず耳にする空耳なのである。


113: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:25:02.98 ID:br/hB/Xr0

 俺は漣の背後に、巨大な鉄の塊を見た。

 海に浮くそれが、イ級に砲塔を向けているのを見た。

 遥か数十年の時を経て、再び敵を打ち倒す歓喜に震えているのを見た。

「ってぇえええええぇ!」

 俺たちの声が同調する。漣が再度腕を振り、抱えた連装砲をイ級の一体に向けた。
 砲弾が衝撃波で海面をへこませながら、爆発的な加速度でイ級を襲う。三発撃ったうち、二発は回避されたが、一発はイ級の尾骶部を大きく抉った。
 致死圏まで至るも絶命にはならない。イ級は苦悶の声をあげ――耳を劈く不快さに俺は思わず顔を顰める。

 苦し紛れのイ級の砲撃。漣は深追いすることなく、冷静に対処。距離をとりながら魚雷を召喚、計四つを指の間に挟んで、狙いを定める。


114: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:26:39.19 ID:br/hB/Xr0

「一匹倒しても、残りの二体から反撃を喰らうぞ。そういう位置関係だ」

「敵も馬鹿じゃないってことですねー」

「そうかもな」

「指示は。ご主人様」

「繰り返すぞ。『判断はそっちに一任する』」

「そんなんでいいんですか?」

「頭から押さえつけられるよりはマシだろう? それに、だ」

 俺は通信先にも聞こえるように、手をぱちんと一度打った。

「お手並み拝見、だ」

「へへっ」

 漣は楽しそうに――恐らく――笑った。

「一応ね、これでも成績、優秀だったんですよ。漣って」


115: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:27:56.49 ID:br/hB/Xr0

 漣が飛び出すのに合わせてイ級が二匹、手負いを庇うように前に出てくる。一匹は高速度での吶喊、もう一人は間隔を狭めた対艦射撃。漣も砲撃で応戦するが、頭を低くしながら突っ込んでくるイ級には、さほど効いてはいないようだった。

「左!」

「わかってます!」

 砲弾の直撃――いや、隔壁で防いでいる。損傷は軽微。

「前からも来てるぞ!」

「だから! わーかって、ますって!」

 水中が炸裂した。光と熱と風が、本来生まれない場所から。
 指向性を持ったそれらは三回炸裂し、漣に喰らいつこうとしていたイ級の上体を水上から僅かに浮かせる。
 機械と生物と、形容しがたい暗黒の微粒子がそれらを接合している、異形の生物。漣はそれに飛びかかる。

 彼女の指には魚雷が一発だけ残っていた。


116: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:28:24.51 ID:br/hB/Xr0

 傷ついたイ級の体の端、千切れたワイヤーなのかコードなのか、それとも生体由来の組織なのか、よくわからないはみ出た「何か」を左手で掴み、そこを支点に体を大きく仰け反らせる。

 魚雷が巨大化した。従来の大きさに戻った、と言うべきか。

「徹底的にっ!」

 そのまま、空いた右手でそれを操って、叩き込む先は口の中。

「やっちまうのねっ!」

 水中とは比べ物にならない爆裂が、漣の体ごとイ級を吹き飛ばした。散り散りになった組織が雨のように海へ降り注ぎ、海の底へと沈んでいく。
 漣は水面を転がりながらも波濤に手をかけ制動をかける。体勢を起こして、右側に砲弾、左手に魚雷。

 残るは手負いを含んで二匹。勝機も随分と見えてきたように思う。

「だめだっ! 何をやってるんだ、逃げてっ!」

 叫びながら、俺の脇を駆け抜けていく人影があった。
 岩を踏み切って海へと降り立つ――降り立つ、ということは。

 艦娘?


117: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/25(日) 20:40:56.56 ID:br/hB/Xr0

 ショートカットが風になびいて、しかし俺の位置からはその顔は見えず、少女は全速力で漣へと向かっていく。

 爆撃がイ級と、そして漣を襲ったのは、その直後だった。


122: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:03:53.57 ID:tRg8GXZS0

「漣!?」

 事態の把握よりもまず安否の確認が真っ先に出た。それが軍人としてどうなのか、正直、いくら振り返ってもわからないだろう。
 ウィンドウを開く。被弾――損傷は軽微……と言い難かった。

 索敵画面を見る限りにおいて、イ級は既に爆散している。跡形もない。追撃の心配をしなくていいのは不幸中の幸いだったが、だからと言って状況が好転したとも言い難く、とにかく全てが混迷を極めている。

 残耐久が目盛で表示されてはいるものの、実際の漣の姿は、いまだ黒煙に包まれたままである。残り半分。俺は認証を済ませているから、漣に対して強制帰還を行使はできるけれど、いまだ踏ん切りがつかない。
 俺は知っている。艦娘のことを知らない俺でも、彼女らが決して志半ばで頽れたりしないということを。命を擲ってでも、一秒でも長く海の上にいようとすることを。

 それは果たして彼女たち自身の意志なのか。漣は言った。「横っ面をひっぱたいたって、腕を引っ掴んだって、生きてるほうがいいに決まってます」と。そうだ。その通りだ。
 そして、そう生きられないのが艦娘の性、というものなのだった。

 少なくとも、俺の知っている彼女は、そうだった。


123: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:04:35.25 ID:tRg8GXZS0

 去来した映像を振り払い、とにかく前を向いた。海風に煽られて黒煙の霧散は早い。
 艤装のところどころを破損し、衣服も破け、裂傷と火傷にまみれた漣の姿がそこにある。

 平気ではない。しかし無事だった。俺はひとまず胸を撫で下ろす。

 同時に俺の頭は事態の把握へと切り替わる。

 いくつか、同時に処理しなければならないことがあったのだ。

「漣ッ! そっちに今、誰かが向かった!」

「え、あ、はい! 見え――ます。見えてます! 一人! 海の上を!」

「もしもし、聞こえてる?」

 通信に混ざりこんできたのは正体不明の第三者。冷静に聞こえるが、それはそう努めているだけだ。押し殺した焦りがにじみ出ている。
 敵ではないと直感が告げている。艦娘。この島の。潰えたトラック泊地の。
 ということはつまり、味方でもない……?


124: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:05:01.74 ID:tRg8GXZS0

「もしもし! 聞こえてるの!? オーバー!」

「あぁ、すまない。聞こえている。オーバー」

「損害は大丈夫? ボクからそっちは、今見えた」

「悪いが、誰だ? トラック泊地の艦娘か?」

「そうだけど、そうじゃない! 『元』がつく!
 所属は元トラック泊地、航空巡洋艦『最上』! とりあえずはそう呼んで欲しい!」

「最上さん、何が起きたんですか。漣、索敵は切らしていないはずです、でも!」

 そうだ。漣と同じ疑問を俺も持っている。
 深海棲艦の反応は、さっきも、いまも、どこにもない。

「説明はあとにしよう! 提督、でいいのかな? ボクの識別番号を送るよ。漣ちゃんを曳航していくから、ナビをお願い!」


125: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:05:27.93 ID:tRg8GXZS0

「待て、待て! 一つだけ答えろ! 俺たちは一体誰に狙われている!?」

 嫌な予感がした。確信と呼んでも差し支えないものだった。
 爆撃。誰が。どうやって。深海棲艦? いや、違う。有り得ない。ステルス機能を有した個体は依然見つかっていない。
 ならば。

 ならば。

「きみたちを狙ってるんじゃない! きみたちのことなんて、眼中にないだけなんだ!」

「――あら。予想外……想定外? なんて言うんでしょう。まさか、今更この島に」

 通信に介入。無機質な声。落ち着いているのではない。落ち切っている。
 深く、深く、海の底から立ち上ってきた泡が、ぱちんと弾けたときのような声音だった。到底聞き及んだことのない種類のそれだった。

 風切り音。空耳でなければ、そしてノイズでもないのであれば、これは恐らく、直掩機のそれだ。爆撃機。艦娘の装備。艦娘の。
 イ級を殲滅した存在がこの風切り音であることは限りなく自明。その矛先が次いで漣に向かわない保証は、逆に、どこにもなかった。


126: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:06:09.45 ID:tRg8GXZS0

「漣! 視覚共有だ! 信号を送れ、早くしろ!」

「あ、あ……」

「固まってないで、逃げるよ!」



「――今更この島に、本土の人間がやってくるなんて」



「最上! お前でいい! 識別番号を、視覚を寄越せ! 誰だそいつは!」

 やばいやばいやばいやばいやばい。
 これは、わかる。誰にだってわかる。
 出会ってはいけない種の存在だ。海と陸のように、薄皮一枚隔てて別世界の住人だ。

 風切り音が大きくなる。距離が、近い。眼と鼻の先? 少なくとも集音装置のすぐそばを周回しているようだった。牽制なのか、もっと剣呑な別の何かなのか。


127: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:06:38.40 ID:tRg8GXZS0

「……このコは、敵じゃないよ。聞いてない? 龍驤さんから」

「敵? 何を言っているんですか、最上さん。別にそのかたを狙ったわけではありません。ただ……そうですね。少し、思い違いをしていたふしは、あります。私はてっきり、神通の子分かと、そう思っていたものですから」

「だったら一緒に吹っ飛ばしてもいい、ってことにはならないんじゃないかな」

「あれくらいで動けなくなるような情けない人材なら、それまででしょう。なんのために神通に師事しているのかわかったものではありません」

 最上から識別番号が送られてくる。入力、認証。視覚共有を試みる。

「そういう考えは好きじゃないな――赤城さん」


128: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:08:07.95 ID:tRg8GXZS0

 袴。弓。足袋と雪駄を模した艤装。おっとりした顔にきめ細かい髪の毛はまさに良家の子女といった出で立ちだ。ただ、瞳がどこを向いているのか、全くわからない。
 最上の方を見ている。それでも、視線が交わっていない。その気配すらない。どこを見ているのか、あるいはなにも見ていないのか、微笑みすらもただただ恐ろしかった。

 おかしな話だ。海に救う化け物、深海棲艦。それよりもこんな二十歳くらいの娘が、よほど俺の背筋を震わせるとは。

「上官はおられるのですか? このやりとりを聞いている?」

「聞いてる、と思うよ」

「……聞いている。漣は俺の秘書艦だ。あまり手荒に扱わないでもらいたい」

「なら、こちらの邪魔をしなければいいんですよ。単純な話です」

 澄ました顔で赤城は言う。

「私はトラック泊地所属、航空母艦の赤城です。覚えなくて結構。どうせもう、二度と会うこともないのでしょうし」


129: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:08:38.43 ID:tRg8GXZS0

「待て、赤城。お前は何を言っている」

「新しく着任した提督などいなかった、ということですよ。いえ、別にね、命までとったりはするつもりなんてないんです。大人しく隠居をしていてくだされば、のんびりと余生を、この島で過ごしてくださればいいんです」

「漣たちには」

 ようやく忘我から戻ったらしかった。漣は、それでも気圧されている感を滲ませつつ、必死に赤城の圧へ抗う。

「任務が、あります。やるべきことが、あるんです。そうです。じゃないと、みんな、みんな死んじゃうから」


130: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:09:08.29 ID:tRg8GXZS0





「は?」





131: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:09:36.56 ID:tRg8GXZS0

 声が赤く染まった。奇しくもそれは、彼女が負った色だった。
 偏諱――あるいは、名は体を表す。

 耳を劈く爆撃音が響いた。一発、二発、三発目で、かき消されながらも最上の「赤城さん!」という叫び声が届く。

 砲撃。海水が盛大に打ち上げられ、雨となって降り注いでいくのが見える。

「ちっく、ちくしょう! なんだってんですか!」

 漣の額は大きく割れていた。生え際から血を流し、彼女の右目を潰している。
 海へと吐き捨てたのは唾だろうか。それとも血だろうか。そのまま魚雷を、砲弾を顕現し、赤城へ向ける。

「やめろ! 漣、やめろ! 事を荒立ててどうする!」

「ってったって、ご主人様ッ!」」

 荒立てはじめたのはあっちでしょう! 漣の叫びには正当性があった。俺に、自衛を放棄しろという命令は間違っても下せない。


132: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:10:37.54 ID:tRg8GXZS0

 爆撃機が漣を襲った。一発一発が肉を抉り身を焦がす、炎の驟雨。苦し紛れに漣が放った武装は、赤城に難なくかわされる。
 最上が溜まらず漣を抱き留め、肩から掬い上げる形で高速移動。戦線離脱を計る。

「最上! 強制帰還だ、何としてでも逃げ出せ!」

「わかった、けど……!」

「強制帰還だっ!」

 視界が動く。海風にたなびく黒髪をかきあげながら、直掩機を散開させ、二人へ向かう赤城の姿がそこにある。
 海を滑る速度よりも風を切る速度の方が圧倒的に早い。背後に放たれた爆撃が二人の退路を断つ。

「みんなはもう死にました」

 断絶。言葉に籠められた意味を解釈すれば、ただひとつ、それだけ。

「みんなは死んでしまったんです」

「でも、まだ生きてるひとだっている!」

「いませんよ」

 赤城はとびきり満面の笑みを作った。

 ひまわり畑のような、笑顔だった。

「ここにいるのは一人残らずみぃんな亡霊です」


133: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:11:36.84 ID:tRg8GXZS0

 艦娘の、亡霊。

 船の御霊を背負った子女が艦娘だというのなら、その子女さえも死んでしまったとき、艦娘は一体何になるというのだろうか。

「私は深海棲艦を殲滅します。私が殲滅するのです。あなたがたはそれをただ見ているだけでいい。本土もいろいろうるさくて大変なのでしょう? 和睦交渉だの、なんだの。人権派がどうだのと。
 それとも功に逸ってやってきたのですか? 壊滅したトラックを立て直せば、二階級特進が約束されているとでも言われて。そしてまた、私たちの声を無視する。そうでしょう」

 くつくつと赤城は笑った。俺たちを嘲っているのは明らかだった。

 赤城が矢を弓に番えた。

「もう一度言います」

 それを綺麗な姿勢できりりと引いて、

「あなたがたはただ見ているだけでいい」

 放つ。


134: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:12:40.25 ID:tRg8GXZS0

 弾かれた矢は初速が最高速、そして一瞬で爆撃機の小隊へと変化し、上空に舞い上がっていく。
 空中で一回転。そのまま鼻先を殆ど地面と垂直になる急降下、水面に腹がつくかつかざるかというタイミングで魚雷を切り離し、一斉に起爆させる。

 巨大な水柱が轟々と音を立てて屹立し、漣と最上、そして赤城の間を隔てる一枚の巨大な壁となった。

「指を咥えて黙って見ていろ!」

 轟音に負けないほどの大声で叫んで、水柱が落ち着いた時にはすでに、赤城の姿は水平線の向こうに消え去りかかっている。

 たなびく長髪は、すぐに見えなくなってしまった。


135: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:13:42.39 ID:tRg8GXZS0

 最上の手を縋りつくように握り締めている漣の姿があった。気丈に振舞おうと口の端をきつく噛み締めているのが、ひどく健気に思う。前線で戦うのは、情けないことに俺たち大の大人ではなくなってしまっているから、最早俺にはかける言葉も見当たらない。
 銃後は銃後で立派な役目であるとはいえ、漣や、なんなら龍驤だっていい。彼女らが化け物と戦っている間、俺だけが安全圏にいるというのが、申し訳なく感じてしまう。

「うぅー……!」

 堪えているのは涙か、それとも別の何かか。言い返せなかったのが口惜しかったという単純なものでは、恐らく、ない。

 責任をとることが上官の仕事だと、嘗て誰かが言った。十全に部下が動ける環境を用意してやることがそうであるとも。
 そのとき俺は果たしてそれが本当なのかわからなくて、そしていまだにわからないでいるようだ。

 ただ、こう言わないとこの場は収まるまい。

「漣、帰投しろ。最上も、悪いが詳しい話を聞かせてもらえるか」


136: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:18:03.89 ID:tRg8GXZS0

「……ま、そうだよね」

 最上は漣から視線を切って、空を仰いだ。トラックの青空は抜けるような青だ。海とは違った透明感がある。

「漣、大丈夫か。あまり無理しないでいい。ご苦労だった」

「……別に、でも、だけど、……うん」

 嘆息。どうしたものか。

「とりあえずボクたちはそっちに行くよ。それまでに、少しだけ通信で説明したいけど、いい?」

「あぁ、ありがたい」

「龍驤さんたちから現状は聞いてるんでしょ?」

「あと、大井からも、少し」

「大井さん!?」

 素っ頓狂な声をあげる最上。

「あの人、まぁた抜け出して……今度発作が起きたら、いや、まぁ、仕方がない。とりあえず置いておこう」

 こほん、と咳払い。仕切り直しだ。


137: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:19:32.25 ID:tRg8GXZS0

「赤城さんを知らなかったね? ってことは、誰がいるとか、どんな……うん、そうだね」

 最上は少し躊躇して、言葉を止めた。何かを考えているような、迷っているような。
 言葉を選んでいるのだと遅れて気づいた。

「誰が『どんな感じ』 になっているとかも?」

 誰が。
 どんな感じ。

 思わず不躾な言葉が出そうになるのを、俺は咄嗟に嚥下した。

「聞いていない。もし俺たちの仲間になって欲しいなら、俺たちが、自らの脚で探せ、と。会話をして、親しくなれと。鳳翔さんはそう言っていた」

「あぁ、そうか。やっぱりね。龍驤さんがボクのところに来たときは、そういうことは何も言ってなかったからさ」

「龍驤が、来たのか」

「うん。島の艦娘のところを回ってるみたいだったよ。だから、二人のことをみんな知ってるんじゃないかな」


138: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:21:09.10 ID:tRg8GXZS0

「龍驤は、その、なんて?」

「別に? 本土から提督が秘書艦連れて、たった二人で来たって。新しく着任するんだって、それだけ伝えて、あとは好きにしなって」

「そうか」

 それはなんとも有り得そうな姿に思えた。
 龍驤だけではない。鳳翔さんも、夕張もそうであるが、彼女らは自主性を何よりも尊重する。奇しくも漣の言った通りの「好き勝手やっている」ということだ。

 そこで漣がだんまりであることに気が付く。バイタルサインは正常。心拍数が高いくらいで出血の影響は見られないし、怪我で会話もできないというわけではなさそうだ。
 赤城とのやりとりであいつが何を思ったのか、感じたのか、想像してみるしかない。俺たちは提督と艦娘であり、提督と艦娘でしかないのだから。急ごしらえの。

「漣、好きなもんはあるか」

 だからこんな言葉しかぱっと出てこないのだった。


139: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:22:25.36 ID:tRg8GXZS0

「……は?」

「腹が減ったな。朝から食べたのは、あれか、フィッシュアンドチップスの紛いもんみたいなやつだけだもんな」

「……別に、特に、です。漣は好き嫌いないほうですけど、お肉よりはお魚かなぁって」

 反応があっただけでも儲けものだろう。漣の訝る視線が痛い。

「あ、じゃあちょうどいいや。今日は大漁だったんだよ」

「大漁?」

 つい鸚鵡返しになってしまう。

「あ、ご主人様、今見えました。タリホー!」

 お前は空軍所属じゃないだろうに。
 海の向こうに目をやれば、波間にぶんぶんと大きく手を振る漣の桃色が映えていた。隣には漣よりもいくぶんか背の高い、最上の姿がある。

「ボクはのんびりと釣りをするだけで十分だったんだけどねぇ」

 ふと岩礁にいた釣り人へ視線を向ける。
 ……誰もいない。ただ釣竿だけが、倒れていた。
 傍らにあるバケツで魚が跳ねた気がした。


140: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:26:35.96 ID:tRg8GXZS0

――――――――――――――

 もぐもぐ。

「うまいなこれ。なんて魚だ」

 はふはふ。

「わかんない」

 ごくごく。

「メシウマ! 細かいこと気にしてると禿げますよ、ご主人様」

 色は奇天烈でも味はなかなかによかった。適当に下ろし、適当にフライパンで焼いた魚の切り身と、大して量の無い米。時折鱗が引っかかるのが気に障ったが、すきっ腹には全てがうまい。
 最上が釣ってきた六匹の魚は全てそうして平らげてしまって、随分とまぁいつの間にか馴染んだなぁなんて他人事みたいに、俺は最上へ視線やる。

「?」

 きょとんとしていた。


141: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:27:01.66 ID:tRg8GXZS0

 龍驤たちの態度、そして赤城の態度を考えれば、恐らく最上こそが少数派なのだろう。穏健派といってもいいのかもしれないが、それは少し、龍驤や赤城に悪いような気もした。
 そして少数派の最上と真っ先に出会えたのは僥倖だった。一手順番が違っていれば、漣が赤城に沈められていたかもしれない。そう考えればなおさらだ。

 すっかりとこの家の住人といった風情で最上は桟敷にごろりと寝転がる。漣も満たされた腹を撫でながら、その隣に転がった。

 それでいいのか、とは言えなかった。

「寛ぎのところ悪いんだが」

 マル秘と判が押された資料を手に、俺は最上へ問いかける。

「赤城、ありゃなんだ。鬼か?」

「鬼じゃないよ。赤城さんは赤城さんさ」

「気が振れたわけではなくて、もとからあんな感じだったと」

「そういうわけでもないけどね。前はあそこまで、殲滅に執拗じゃなかった」


142: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:27:40.92 ID:tRg8GXZS0

 尋ねながらも、俺は抱いていた疑問の一つが氷解していくのを感じていた。
 近海に深海棲艦は出没しないのだろうかと思っていた。本土においてさえ遠洋漁業は斜陽の一途を辿って久しい。こんな辺境のトラックで、深海棲艦に怯えることなく漁ができるのだろうか、と。
 勿論龍驤たちだってやっていないわけではないのだろうが、恐らく、この泊地周辺の深海棲艦は、軒並み赤城が根絶やしにしているに違いない。

 艦娘の中には親や親戚を深海棲艦に殺された者もいる。多いとまでは言えないが、かといって珍しいわけでもない。赤城のあれも同じ類の感情か。
 そりゃそうだ。くだらない自問自答。この泊地は一度壊滅していて――今も壊滅したままだ。

「俺たちは次なるイベントのためにここに来た」

 真っ直ぐに最上と向き合う。のんべんだらりとするのもいいが、〆る時はきちんとしなければ不見識だ。人と人が接するというのはそういうことだ。
 自らの内に獣が住んでいたとしても、俺はまだ、人でありたいと思う。

 希う。


143: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:29:16.83 ID:tRg8GXZS0

「イベント、ね」

 最上も俺の雰囲気を察してか、居住まいを直してくれた。漣も、もちろん。

「お前らが上層部を許せないってのは重々承知だ。遺恨はあるだろう。が、それを飲み込んで手を取ってくれねぇか。じゃないと、漣もさっき言ったが……全員死ぬぞ」

 トラック泊地の生き残りも。俺も。漣も。
 当然ここで暮らす人々だって。

 自らの手で決着をつけると貫ける存在が一体どれほどいるだろうか。赤城は決して普遍的ではない。

「最上さん」

 正座をして、その膝に手を衝いて、漣。

「漣もご主人様も、誰かが深海棲艦に殺されるのを、ただよしとはしません。一人より二人。二人より三人。そうじゃないですか。違いますか」

「……こっちにもまだ戦力はいるけどね」

 最上の目が泳いだ。その言葉がどれだけ真実かはわからないものの、どうせ彼女自身が信じていないのではないか。
 生き残った十人やそこらで泊地周辺を防衛し、敵の邀撃を為すなんてのは、用兵や作戦がどうという問題ではない。言ってしまえば奇跡か神業。


144: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:29:46.30 ID:tRg8GXZS0

「そうしてるうちに赤城は傷つく。他の奴らも、そうだ。
 俺たちの手足になれとは言わん。今まで通りの生活をしていてくれればいい。ただ、状況が逼迫した際に、選択肢は増えたほうがいいだろう」

「ん、まぁ、そうだねぇ」

 細く息を吐き出すと、一瞬だけ視線が合った。

「もともとね、戦いは好きじゃないんだ。ただ適性があっただけで、本当はのんびり……うん、釣りとかをしてるのが性に合ってる。
 久しぶりに誰かとご飯を食べた気がするよ。一人のご飯ってのはおいしくない。おざなりになりがちで、きっと赤城さんも、ほかの皆も、そういう感じなのかなぁ」

 滑らかな動作で手が差し出された。

「そういうのはよくないね。うん。よくないよ、やっぱり」

「……いいのか?」

「自分から誘っといて何言ってるのさ。ボクだってまだ死ぬのは嫌だし、それに、このままじゃだめだってのもわかってるんだ。
 これからよろしく。できることは大してないかもしれないけど、手伝えることがあればなんだってやるよ」


145: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:30:13.71 ID:tRg8GXZS0

 俺と握手、そして続いて漣とも。
 一瞬だけ漣がびくりと震えたのは、いつぞやの大井との一件を思い出してのことだろうか。

 あの顛末はいまだに俺の中で消化できずにいる。いつかわかるときがくるのか、そしてわかったほうがいいのかも曖昧だった。

「早速で悪いが、いくつか訊きたいことがある」

「赤城さんのこと? それともまだ見ぬ他の生き残りのことかな?」

「後者だ」

 鳳翔さんは自らの足で探せと言い、俺もそれに同意した。その立場を崩すつもりはない。だが、果たして龍驤一派に与しない艦娘なら、どうだろう。そう思ったのだ。
 言動を見るに最上は他の艦娘のことを知ってこそいるが、現状それほど親しいようでもない。口添えをしてもらうというのはあまりにも都合のいい考えだが、今は少しでも情報が欲しい。

 まずは、突破口を見つけなければならない。


146: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:31:07.89 ID:tRg8GXZS0

「神通、と赤城は言ったな。子分と間違えた、と」

 聞き間違いであるはずもない。はっきりと、あいつはそう言ったのだ。
 神通。そしてその子分。少なくとも二人、艦娘がいるのだ。

 赤城と敵対関係にあるようにも取れる発言だったが、果たして艦娘同士でのいざこざが今更あるのか? 今更だからこそ、という可能性もないわけではないが……。

 どのみち敵を間違えてもらっては困る。
 敵は深海棲艦で、そして、俺たちなのだから。

「どうしました、ご主人様」

「いや、失礼。なんでもねぇよ」

 自嘲気味に浮かんだそれを、口で手を覆って隠すことにした。

「別に居場所まで教えろ、事情を詳らかに話せ、とは勿論言わねぇ。ただの確認だ。『神通』、及びその『子分』がこの島にはいるんだな?」

「神通ってのは、確か」

 漣がこめかみをとんとんやりながら呟く。

「軽巡ですね。大井……さん、と、同じ艦種です。だから子分ってのは、駆逐艦だとは、思います」


147: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:32:44.32 ID:tRg8GXZS0

「軽巡が戦艦やら空母を『子分』とするのは考えづらいってことか」

「そうですね。年齢的なこともあるっちゃあります。大型艦になるにつれて、素体の年齢層もあがるという話ですから……言葉のニュアンスを加味すれば、って感じかなぁ」

 最上をちらりと見た。正座している彼女の視線は自らの膝元、そしてそこに置かれた手に向けられている。
 俺と視線を合わせたくない、何かを悟られるのが嫌だ、そういうわけでもあるまい。きっと単純に苦しいのだろう。息が、心が。
 それだけの何かが神通とやらにはあるのだ。

「……最上」

 急かすつもりはなかった。が、時間に余裕があるわけではないのもまた事実。
 いっそ深海棲艦が攻めてくれば、なし崩し的に共同戦線を張れるのではないか――そこまで考えて頭を振る。だめだ。少なくとも赤城を見た限りにおいて、だからどうしたと言わんばかりの鬼気迫る様相だったじゃないか。


148: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:36:39.90 ID:tRg8GXZS0

「うん、ごめんね、ちょっとまって」

 そう言って、すぅはぁすぅはぁ深呼吸。何かを口の中で反復しているようだったが、何を言っているかまでは聞こえない。

「もう大丈夫。言いたいことはまとまった。準備ができて、覚悟も……できた。
 鳳翔さんは艦娘の名前と居場所を教えなかったんだって? 気持ちはわかる。気持ちはわかるんだ。だけどボクは、それは逃げだと思う」

 幸せの中で死ぬのなら、それは不幸せの中で生きるよりも、幸せなことなのかもしれない。
 漣はその言説に否定的だった。どうやら最上もそうであるらしい。

 俺? 俺は……。

「ボクたちには、ボクたち自身を幸せにする義務がある。諦めるのは、逃げるのは、まだ早い。もっと手遅れになってからでもいい。
 このまま――あのまま、何もなければ、あるいはそれでよかったのかもしれないね。いずれ来る終末を、みんな好き勝手やって待っていれば、それでよかったんだ。だけど事情は変わった。
 あなたが」

 と、最上は俺を見た。

「来たから」


149: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:37:44.21 ID:tRg8GXZS0

「……はっ」

 反応に困って、とりあえず笑い飛ばしてみることとする。
 買い被ってもらっちゃ困る。実際に戦うのは艦娘のお前らじゃねぇか。

「きっと、これが最後の機会なんだ。いや、好機かな。ボクたちが、みんなまとめてどうにかなるための。そう思った。そう思ったんだよ」

「だから漣たちを手伝ってくれると?」

「うん。期待してるんだ。きみたちがみんなを幸せにしてくれるってわけじゃないよ。きみたちが現れて、それをきっかけとして、みんなが幸せになればいい」

「それはつまり、最上さんは、幸せじゃない誰かを知ってるってことですよね」

 漣の指摘。目を瞑った対面の最上の表情は、いまいち茫洋として窺い知れない。
 閉じた瞳の裏で一体誰を想起しているのだろうか。

 龍驤か。夕張か。鳳翔さんか。
 それとも赤城か、神通か、まだ見ぬ他の艦娘か。


150: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:39:29.08 ID:tRg8GXZS0

「赤城さんは、深海棲艦を殺して回ってる。それは見た通りさ。どこまで殺せば気が済むのかはわからない。本当に根絶やしにするつもりなのかもしれない。
 そして、だから、神通とは相容れないんだ」

「仲間なのに?」

 問うたのは漣。気持ちは俺も同じだった。
 手段と目的が入れ違ってしまっているような、そんな感覚に陥ったから。

「仲間なのに、さ」

 応じる最上はあまり明るくない。いっそ笑い飛ばしてしまえればどれだけ楽か。

「赤城さんは独りだったけど、神通は独りじゃない。漣ちゃんの言った通り、駆逐艦が二人、合計三人で行動してる。
 雪風と響。年齢は、そうだね、漣ちゃんと同じくらいかな。雪風は茶色いショートボブ、響は銀髪の、まぁ目立つとは思うけど。
 その三人もまた、赤城さんと同様に、深海棲艦を倒して回ってるんだ。だから赤城さんとは獲物の横取りしあい。最近は互いに暗黙の縄張りみたいなものを設定したらしいけど、だからどうしたって感じだよね。気にしないときは気にしてる様子もない」


151: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:40:42.29 ID:tRg8GXZS0

「だから『相容れない』? どうしてですか?」

「赤城さんは簡単さ。あの人は『自分が』、だからね。見たでしょ? 自分がやるんだ、倒すんだ、殲滅するんだ、って。信用してくれてないのか、それとも意固地になってるだけなのかはわからないけど。
 神通は逆。神通の目的はね、雪風と響に経験値を与えることなんだ。一刻も早く二人を強くしなきゃって東奔西走。だからいっつも引き連れて、どんな雑魚でも見逃しはしない」

 なるほど。ならば、ぶつかるのも必然と。

「まぁでも、神通は別に、赤城さんみたく襲ってくるわけじゃあないからね。勿論敵視してくるとは思うけど、もともと落ち着いた、静かなタイプだし、話し合いには応じてくれる……と思う。
 それに神通には休息が必要だ。心も、体も、酷使しすぎてる。仮にきみたちが雪風と響を指揮してくれるっていうなら、負担も軽減されるだろうし」

「そんな切羽詰まってるんですか。何がそこまで、神通さんを」

「襲撃のことが漏れてるからじゃないか」

「それもあるね。けど、多分、なくっても変わらないと思うよ」

 意味深な発言だ。

「死にすぎたからね。赤城さんじゃないけど、みんな、みぃんな……」


152: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:42:39.13 ID:tRg8GXZS0

 ……。

 あぁ。

 そうか。
 そういうことか。

 なんて単純な話なんだ。

 強くなければならない。
 強く在らねばならない。

 赤城と神通がたどり着いたのは、きっと、そんな……。

 そんな、真理。

「強くなければ生きていけない……」

 優しくなければ生きていく資格がない。

 漣が呟いた――そう、呟いた。誰ともなしに、誰に聞かせるでもなく。
 こいつは言動によらず聡明だから、俺たちに優しさを要求する世界こそが優しくないというダブルスタンダードを理解しているに違いない。
 神通と、そして赤城すらも慮れる懐を持てと言うのは、中学生相手に酷だろうか。事実赤城は漣に「優しく」なかったわけだし。


153: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:43:08.64 ID:tRg8GXZS0

 思いのほか言葉が強く出た。

「勿論あっちがどう出るかによるが、俺たちを手伝ってくれるなら、そのあたりはいくらでも譲歩する。どうせ戦ってもらうことになるんだ。指揮を任せられないほどに信用してもらえないのなら、そんときゃまた、別の方法を考えるさ。

「ご主人様、格好いいですよっ」

 頬を紅潮させて漣が言った。決して俺に惚れたがためのそれではなかった。興奮しているのかもしれない。

「強くなければ幸せになれないなんてのは、絶対、ぜーったい間違ってるって、漣は思うんですっ!
 強くなくたっていい! 特別じゃなくたっていい! 格好良くなくたっていい! その上で幸せになれないと、だって、じゃあ私たちはどうすりゃいいんですかって話じゃないですか!」

 そういう人が殆どなんだから――漣の言葉の裏にはそういう意味が隠されている。
 確かにそうかもしれなかった。俺たちにはやらねばならないことがある。弱いままで、平凡なままで、泥にまみれたままで、俺たちはそれを為さねばならない。
 成さねばならない。


154: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:44:35.12 ID:tRg8GXZS0

 最上は小さく頷いた。心地よさそうに目を瞑っている。

「この状況をなんとかしなくちゃいけないとは思っていても、実際、ボクはこの状況が『なんとかならないかなぁ』止まりだった。きみたちに乗ることにするよ。
 他に訊きたいことはあるかい? 知っている限りなら教えるよ。別に龍驤たちに反目するつもりもないけどさ」

「赤城、神通、雪風、響。あとは?」

「生きていれば」

 最上が一旦言葉を切ると、漣の唾を呑みこむ音が、やけに大きく聞こえた気がした。

「霧島。扶桑。伊58。その三人くらいかな、泊地が壊滅してから、ボクが出会ったことのあるのは」

「戦艦、戦艦、潜水艦ですね。戦力的には申し分ないです」

 疎い俺のための説明。生死不明……泊地壊滅後に出会ったとはいえ、その後の足取りを最上も掴めていないということなのだろう。あるいは必要以上に深入りしないようにしていたのか。

155: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:46:09.31 ID:tRg8GXZS0
いうことなのだろう。あるいは必要以上に深入りしないようにしていたのか。
 現状艦種に戦艦はいない。もしその霧島および扶桑を仲間に加えることができたのならば、ようやく邀撃の二文字に光明が差しこまれる。
 勿論仲間は多いに越したことはなく、駆逐艦だろうが潜水艦だろうが、俺は喜んで出迎えてやるが。

「龍驤さんたちも知らないんですか?」

「さぁ、どうかな。ボクは知らないってだけだから……」

「教えてくれるとは思えないけどな」

 鳳翔さんのあの態度を見ている限りは。

「でもさっき、最上さんは龍驤さんから漣たちのことを聞いたって言ってました。ってことは、少なくとも龍驤さんは、ある程度生存している艦娘の居場所がわかっているってことになりませんか」

「そりゃまぁそうだが」


156: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:47:51.66 ID:tRg8GXZS0

 あいつらは所謂世話役だ。たとえば赤城と神通がドンパチを始めたら、すぐに割って入れるくらいの情報網はあるだろう。そしてそこに、他の艦娘の居場所が含まれていないと漣は思っていないようだった。
 考えていることは俺も同じ。しかし僅かにスタンスが違う。漣のプラグマティズムは、少し、やはり、「他者もそうするべきである」という認識に立っているようだったから。

 それは危うい認識だ。本人がどう思っているかは、わからないまでも。

「まぁ龍驤はわかると思うよ。一から十までってことはないだろうけど」

 確信的な物言いの最上だった。
 あいつらが艦娘の居場所を突き止められるというのなら、俺たちの話を盗み聞きしていた大井も、見逃されていたということだろうか? そして大井はそれすらもコミで盗み聞きをしていた?
 もしそうだとするのなら、あまりに茶番である。どんな確執があったって、あの性格だ、おかしくはないのだが。


157: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:48:57.11 ID:tRg8GXZS0

「指揮権を委譲されたから?」

「……! 凄い、よくわかったね」

 単純な推測だった。前提督が死んだのなら、その指揮権はいまだ宙ぶらりんになっている可能性がある。そうでないのなら誰かが引き継いでいるしかない。
 理由はともあれ俺は本土から正式な辞令を受けてやってきている。しかしいまだ龍驤たちへの指揮権を得ていない以上、誰かが指揮権を占有していると考えるのが妥当だろう。

 まぁ、そんなものはお飾りでしかないのだろうが。

「指揮権たって意味がねぇや」

「ご主人様の仁徳のせいですか?」

「は?」

「じょーだんですよ、あはは」

 半分くらい本気の目をしていたが?
 まぁいい。仁徳なんてものはコンクリに固めて海中へ投棄してきた。漣の言い分も間違っちゃいない。

「権力ってのは同じ組織、共同体の中にいるからこそ効果を発揮するもんだ。俺が提督だっつったって、それを担保する何物も、トラックにゃ存在しねぇ」

「あ、パーソンズだね。渋い」

「渋いかぁ?」

「ぱーそんず?」

 漣はちんぷんかんぷんの様子だった。中学生には権力の何たるかはまだ早い。


158: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:49:34.08 ID:tRg8GXZS0

「さしあたってはボクも他の仲間の居場所を突き止めてみるよ。あんまりのんびりはしてられない、だったよね?」

 立ち上がり、尻をはたきながら最上は言った。

「……いいのか」

「もう、何度も言わせないでよ。やるよ。やるったらやるんだ。ようやく、遅咲きの覚悟ってやつが、ボクにも芽生えてきたみたいだしね」

 最上の言葉はなんとなくわかる。しかし所詮なんとなくどまりである。
 そこまで深入りする必要もないのだと、俺の中で自分が忠告していた。きっと本土ならばその姿勢は正しかったに違いない。体にも、ましてや心にも、傷を持つ人間は増えた。いちいち関わりあっていたら身がもたない。

 だが、ここでは。トラックではどうだ。

 ギャルゲー。奇しくも漣の言葉は妙だった。まさかそんなはずのない単語が、ここに来て関連しだす。

 決してそちら方面に造詣の深い俺ではないが……。


159: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:50:53.43 ID:tRg8GXZS0

 少し意識して呼吸をし、自らを落ち着かせることにした。慣れないことはすべきではない。今は、まだ。

「最後に訊きたい。霧島と扶桑、伊58の情報だ」

「戦艦二人は大学生、ゴーヤは……高校生だったかな? 受験生だって言ってたから、うん、多分、そうだと思う。どっちかって言うと霧島がタカ派、扶桑がハト派かな。ただどっちも年長者だからね、割り切り方も心得てたよ。
 ゴーヤは……なんて言ったらいいんだろう。面倒くさがりってわけじゃないけど、仕事をてきぱきこなすタイプでもなかった。いっつもハチとかイムヤにせっつかれて、ようやく重い腰をあげてた」

「お前の目から見て、三人は手伝ってくれそうか?」

「霧島は、多分。あの人は真面目で愛国心に篤いから。事情を話せばわかってくれるだろうさ。扶桑は、どうかな。あの人は平和主義者でどんぱちが向いてるタイプじゃない。でも、心残りはあるはず。扶桑がそうしたいと思う限り、そうしてくれると思う」


160: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:51:44.69 ID:tRg8GXZS0

「伊58……ゴーヤ? といったか。そいつは」

「……さぁ、どうだろうね」

 意識的に視線を逸らされた。あまりいい邂逅ではなかったように見えて、俺は踏み込むか一旦退くか、逡巡する。

「……」

 いや、やめておこう。どのみち三人同時に折衝するのは骨が折れる。まずは戦艦二人に交渉を持ちかけよう。残りはその後だ。
 霧島。扶桑。戦力的にも申し分はない。

「霧島は浜辺で体を鍛えてるのを見たよ。扶桑は漁船の護衛についていることが多いみたいだけど、どこから出航してるのかはわかんない。ま、具体的な場所がわかんないのは霧島の方もだけど。
 龍驤たちならわかると思うけど、それは難しいのかな?」

「どうかな」

 会いに行くことに大した抵抗はない。問題はあちらが会ってくれるかどうかということと、こちらの行動があちらの不利にならないかということだ。
 次回のイベントを乗り越えるという点において、俺たちと龍驤たちは手を取り合えるはずだった。目的は合致している。だからこそ最上も手を貸してくれるわけなのだし。


161: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:52:46.59 ID:tRg8GXZS0

 だが、艦娘の不幸を彼女たちは望まない。

 そんなのは当然俺たちだってそうだ。殊更に世論を煽る真似は三流雑誌だけで十分だった。だが、彼女たちは不幸にならないためなら死んでもいいとさえ思っている。
 そこだけが相容れない。

 霧島や扶桑が自主的に、最上のように、自らの意志で俺たちに与してくれるのがよかった。龍驤たちも「二人なら自主的にこいつらに賛同するだろう」と判断してくれるのが輪をかけての最良だ。
 艦娘を巡って龍驤たちと対立するのだけは避けたかった。自主性を重んじるとはいえ、俺たちの行いは結局のところ、兵隊を戦地に送り出す血のポンプに等しい。彼女たちがどれだけこちらの勧誘を不問としてくれるのか、判断はいまだつかない。

「不毛なことを考えても不毛ですよ、ご主人様」

 トートロジーとしても忠告としても正しかった。漣は決してぶれることのない、その桃色の姿を凛と立たせている。


162: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:53:29.69 ID:tRg8GXZS0

「失敗も何も、戦力が揃わなきゃゲームオーバーなんですから。是が非でも霧島さんと扶桑さんは見つけ出さなきゃなんないでしょ、そうでしょう?」

「ま、そうだな。俺たちに選択肢なんてあってないようなものだ」

 トラックの艦娘たちと一緒に生きるか、あるいは一緒に沈むか、それしか選びようのないのだから。
 一蓮托生。それならそれなりの動き方というのもある。

 俺はそれを知っている。

「座りっぱなしも腰に悪いな。痛んできやがる。散歩がてら、二人を探してみよう。龍驤にも話がある」

「え、会いに行くんですか?」

 露骨に顔を顰める漣だった。
 申し訳ないが、今回に限り漣に拒否権はない。言葉ではなく行動で表そうと、俺は伸びをしながら立ち上がる。ぽき、こき、と腰の骨が音を鳴らした。


163: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:54:03.42 ID:tRg8GXZS0

「指揮権が前提督から龍驤に委譲されたという仮定。それが正しいのなら、龍驤は恐らく所属している艦娘の位置を追跡できるはずだ。となれば、赤城と俺たちの邂逅、最上との接触、ここでこうして会話していること、全て御見通しとなる」

「でもあの人がそんな真似しますかね。束縛したくない、やりたいようにやればいい――そう思っている御仁が、ですよ? ご主人様、漣的には、それはちょーっと納得がいかないです。
 漣の龍驤さん像は、情に篤いが故の放任主義というか、あくまでフェアを気取るんじゃないかって。勝手にしろと言いつつ、嘗ての仲間の居場所を必要もないのに探るだなんてアンフェアな真似、採用するとは思えません」

 ふむ。そういう考え方もある、か。

「理解はできる。知識としても、頭の中にはある。その上で信じられねぇな。実利を捨てて矜持によって生きるのはさぞかし立派だろうが」

「だからそうなんですよ」


164: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:54:38.49 ID:tRg8GXZS0

 漣は偉ぶるわけでもなく自信ありげに言うでもなく、今日も空が晴れている、それと同じように言葉を紡ぐ。

「立派なひとなんです」

 それは確たる事実だった。疑いの余地はない。

「……早速行くか」

「う、本当に行くんですかぁ」

「当たり前だろうが。最上」

「うん、いいよ。道案内、だよね」

 外様二人だけで歩くよりも、トラックの地理や人々に明るい最上を連れ立つほうが、なにかにつけて安全だ。 
 最上と漣はさっさと立ち上がり、長話で痺れた脚に悶絶していた。
 ふらふらと歩きながら、それでも楽しそうに扉を開け、日差しの中へと走り出していく。歳の近い同性がここにきて現れて、高揚しているのだろう。俺も漣のおもりからの解放感がある。

「おい、あんまり先に行くな。飲み物はいらねぇのかよ」

 仕方がなしに水のペットボトルを三本抱え、俺は二人の後を追う。


165: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:55:07.24 ID:tRg8GXZS0

「……?」

 部屋の扉の前、そしてその周囲が濡れていた。
 水の沁みは強い日差しと気温である程度蒸発してしまっている。が、どうやら道の先から来たらしい。俺たちがやってきた海の方向を示している。
 海からやってきて、部屋の前で立ち止まり、少しうろうろしていた形跡。

「……跡をつけられていた?」

 そして俺たちが来る前に逃げ出した。
 なぜ。なんのために。……だめだ、心当たりが多すぎる。

「ごーしゅじーんさまー!」

「あぁ、いま行く」

 警戒に一層心を引き締め、俺は戸締りを再度確認して、二人の後を追った。


166: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/27(火) 23:58:02.33 ID:tRg8GXZS0

―――――――――――――――

 泊地跡は海沿いにあった。ドックが併設されていて、桟橋、倉庫など、おおよそ必要そうな施設も視界の中には捉えられる。
 中身がどれだけ稼働しているのかは判断がつかなかった。艦娘としての任務に就いているやつらがいる以上、最低限度の設備はまだ使えると考えていいはずだ。だが、その最低限度すら、俺には怪しい。

 艤装の整備や燃料の補給など、赤城や神通、その他の艦娘たちはどうしているのだろう。ふと気になった。ドックでのみ受け付けるのであれば、必然、ここでニアミスを起こす可能性は格段に上がる。
 俺たちと、というだけではない。例えば犬猿の仲であるという赤城と神通であったり、最上の知らない艦娘だって。


167: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:00:16.69 ID:j1TEpksy0

「最上は近寄っていたのか?」

「んーん。ボクは海辺で釣りをするくらいだったからね」

「戦闘に赴くメンツが戻ってくる可能性はあるってことですか? ご主人様としては、それは避けたいと」

 勿論それもあった。だが何より、準備も心構えも、これからの計画も立てていない段階で、対象と出会うことはまずい。有体に言うのならば、俺たちは決して地雷を踏まないように立ち回らなければいけないのだ。

「ただ、夕張さんは言ってましたよ。遠征にも出られないから、資材はからっけつだって。ならここに戻ってくるんじゃなくて、自分たちで調達してるんじゃないですか」

「うん、その可能性は十分にあるね」

「そんな簡単に調達できるもんなのか」

「採掘地点自体は衛星使って調べられるし、そもそも周知だからなぁ。海水からだって抽出できないわけじゃない。海から離れなければ、そもそも神様の加護もある」


168: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:01:16.19 ID:j1TEpksy0

 そうだった。こいつらの艤装を動かす主の燃料源は、油や電気ではなく、もっと不確かな――それこそ核よりも不確かなものなのだった。
 海の上、もしくはそばに居続ける限り、艦娘は艦娘足りえる。

 勿論酷使するには追加の資源が必要になるだろう。その心配をする必要は、いまのところなさそうだ。
 それは俺たちにとっては幸運なことだった。限りある資源を龍驤たちと奪い合い、その件でまた対立するなんてことはまっぴらごめんだったから。

 ここまでの道程で尾行者の姿を見つけることは叶わなかった。もう場を離れたのだろうか。
 いや、相手の目的がわからない以上、安心するのは早い。

「よぉ、最上。こないだぶりやな」

 目庇しを調節しながら、入り口のガラス戸に背中を預けたまま、龍驤は言う。ガラス戸は枠だけになっていた。それが襲撃の影響であることは想像に難くない。
 臙脂色の服にぽっくりを穿き、ツインテール。龍驤の姿は先日と変わらない制服のままだ。日常的にここに通っているのだろうか。それとも、そもそも居住している? 有り得そうな話だった。ここには寮も付属しているだろうし。


169: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:02:12.25 ID:j1TEpksy0

「龍驤も、変わらず元気みたいだね」

「まぁな。そりゃな。
 んで、そっちのお二人も、暑い中お疲れさん。諦める気には、なってくれてへんみたいやね」

「諦めてどうにかなるもんでもないだろう」

「なんや、妙に強気やな。仲間ができたからか?」

「どうせ本土に戻ったって居場所なんかねぇことを思い出しただけだ。中にいれてくれねぇか、暑くって堪らん」

「ふぅん。ま、別にええけどね。ただ、エアコンなんかとっくに壊れてるよ」

 まず病院の待合室のような空間があった。弾痕の生々しい痕が残った壁、砕けた鉢から零れた土と枯れた植物、ひん曲がった脚の椅子に砕けた蛍光灯の傘。
 陽光が遮られるだけでも、体感的に随分と楽になった。肌に突き刺さる感覚は、既にない。


170: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:03:01.63 ID:j1TEpksy0

「ここで勘弁しぃや。あんまり奥まで進むと、崩落の危険もあるんでな」

「泊地は機能していないんですか?」

「なんや、最上から聞いとらんのか。……最上」

「ボクよりも龍驤のが詳しいでしょ。そこは頼むよ」

 龍驤は一瞬伏し目がちに視線をさまよわせた後、一息つく。

「建造施設と開発機構は全損や。夕張曰く、塩水が悪さしとったらしいけど、詳しいことは知らんな。どのみち榊の枝も折れてもうたし、玉串は瓦礫の下に埋まったまんま、御札も九字も破れてもうたから、神祇省の人間呼ばんことにゃ太刀打ちできひん。
 ま、不幸中の幸いは、修理機構が辛うじて残っとることやな。ドックはおじゃんやけど、高速修復溶液の原液と、希釈剤、あとは簡易メンテのキット。自己診断プログラムがインストール済みの端末もなんとか持てて逃げ出せた。大破までなら、なんとかなる」


171: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:03:45.61 ID:j1TEpksy0

「赤城もそれを使っているのか?」

「……そか。そっかぁ」

 龍驤は脱力気味にパイプ椅子へと腰かけた――ついに脚が折れ、背中から床へと叩きつけられる。
 慌てて最上と漣が駆け寄るが、しかし彼女は他人事のように、煤けた天井をぼんやり眺めている。

「あいつに遭ったかぁ」

「……あぁ、遭った」

「海の上で?」

「はい」

 俺の言葉を引き継ぐように、漣。

「交戦しました。そこで助けてくれたのが、最上さんで」

「あぁ、そーゆー……。どやった?」

「……変わらず」

 応える最上の顔もどこか暗い。


172: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:04:47.15 ID:j1TEpksy0

「なぁ、おっさん。あいつはそりゃもう愉快なやつやった。健啖家でな、どんぶり飯を三杯喰う女や。酒と肴にも詳しくて、よくあいつと……死んでもうたバカ提督と呑んどった。
 復讐に狂うあいつの顔を見たか? 酷ォ顔をしとったやろ。ウチはな、あいつが望んであんな顔をする人間だとは思っとらんのよ。
 そうさせたんは誰や? どこのどいつがあいつから笑顔を奪った?」

 それは深海棲艦かもしれなかったし、大本営かもしれなかったし、詩人ならば運命の神様とでも答えたかもしれない。だが、きっと龍驤はそのすべてに納得しないだろう。

「弱かったのが悪いと、神通ならきっとそう言うのかもな。強ければ死ぬことはなかったと。けど、ウチはそこまでの傑物やない。
 なぁ、答えてくれんか、おっさん。お嬢ちゃんでもええ。誰かウチに教えてくれや」

「……漣たちは、もう二度と」

 あんな顔を、誰にもさせないために、ここにいる。
 そこまでの覚悟を携えてきたかと問われれば、胸を張って首肯できないのが本音だった。俺がここにいるのは単なる辞令の結果である。大義を両手にやってきたわけでは、決してない。
 そして、今はどうだ。正直、俺は俺のことがよくわからないでいる。


173: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:05:31.93 ID:j1TEpksy0

 覚悟がなければ大事を成せない? 大事を成す権利がない? 俺はそうは思わない。なぁなぁにやったって成功することはごまんとある。
 だが、龍驤を見て、赤城を見て、俺は常に不快な思いに苛まれ続けてきた。自らの怠惰を責められているようで。

「わかっとる、わかっとるよ。単なるいけずや。本気で聞いとるわけやない。
 あんたらが来た理由は大方予想がついとる。仲間の情報か、あるいは指揮権。違うか」

「……違いません」

 どうしてわかるんですか、と言いたげな漣の口ぶりだった。
 恐らく龍驤は、再興に必要であろう数々の権利や情報について、殆ど掌握しているに違いない。だから俺たちの行動が読め、先手が打て、心が読めるかのような言動ができるのだ。

 俺の推測が正しければ、それはあまりにも辛すぎる現実だった。

 彼女は、嘗て再興に失敗したのだ。


174: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:06:53.82 ID:j1TEpksy0

 龍驤は倒れた姿勢からようやく立ち上がり、尻やら肘やらの埃を払う。表情に感情は薄い。まだ、赤城のことを想っているのかもしれなかった。

「仲間の居場所は教えん。答えは前と変わらん。そっちで勝手に探しぃ。ウチも、他人のプライベートを覗き見する趣味はないからな、そういうことはしたくないんや」

「指揮権は」

「それもノー、や」

「どうして!」

「勘違いするなよ、お嬢ちゃん。これに関しては、別にウチのいけずやない。あんたらのためを思うて言うとるんやで。
 トラックの艦娘はもうみんなばらばらや。あんたらに今指揮権が渡れば、監督不行き届きってことになるの、わかるか?」

「それがどうしたって言うんですか!」

「漣」

「っ! でも、ご主人様っ」

「龍驤に最後まで喋らせてやれ。……わからないでもない話かもしれん」

「……?」

 念には念を入れ、というか。微に入り細を穿つ、というか。


175: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:07:37.34 ID:j1TEpksy0

「大本営はあんたらを遣わした。理由は知らん。どうしてあんたらが選ばれたのか、ウチは知らんし、興味もない。だけど、なんとなく、なんとなーく、な、普通に選ばれたわけじゃないと思うとるんよ」

「……漣は、立候補しました」

「……」

 何かを言うべきか迷ったが、その迷いを悟られた時点で、何を言っても意味がないのは明白だった。

「あんたら、まさか自分たちが、ずっと泊地で提督やれると思うとるわけじゃあるまいよね?」

 ……あぁ、そうか。
 やはりか。

「壊滅したと思った泊地が首の皮一つで生き残っていて、そこに着任するなんてのは、どう考えても罰ゲームや。人身御供。生贄。まぁ好きに呼びゃあええけど、うまくいくなんてハナから思われとらん。
 一年? 半年? もしかしたら三か月もすりゃ、新しいやつらが赴任するで。そして根掘り葉掘り粗探しされて、あることないこと……ないことないこと報告されて、ほっぽり出されるのがオチやろ。ならいっそのこと、指揮権なんてないほうが、なーんもかーんも自由にできる」


176: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:08:29.32 ID:j1TEpksy0

 指揮権はいくつかの階層に別れていて、閲覧できる情報や従うべき指揮の系統が厳密に定められている。俺の直接指揮下にあるのは現状漣だけ。トラック泊地に登録されていないはずだから、龍驤からも独立している。
 相手さえ承諾してくれれば、例えば俺も最上に対する指揮権が得られる。さらに上位には龍驤が位置し、彼女の指示は俺よりも優先となるが。

「そんな」

 漣は衝撃を受けているようだった。立候補してまでトラックに来るという不自然さがゆえに、任を解かれることへの危機感が人一倍強いのも、また彼女なのだろう。
 龍驤の言葉がすべて正しいとは思わなかった。大本営に裏切られ、信頼などまるでしていない目線からの意見は、当然ながら認知の歪みに嵌っている。
 ただし、俺自身はどうなのかと尋ねられれば、限りなく黒に近い灰と答えるだろう。

 あいつらは平然とそういうことをやってのける。


177: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:09:04.48 ID:j1TEpksy0

「……ごめんなさい、漣、まだちょっと、呑みこめないっていうか。信じられないっていうか。ご主人様も、なんか言ってほしい、ていうか。 
 ……タイムリミットが」

 時間制限。確かにそうだ。後任が来ると仮定したら、俺たちはお払い箱目前。その後の処遇など考えるだけでも背筋が冷える。

「龍驤、この話はもうやめよう。まだ中学生だよ。断定的な口調で話すのは、ボクはあんまり、善くないと思う」

 最上はそういうが、言葉に力はあまりなかった。

「気を紛らわしに歩こうか? ドックはないけど、高速修復溶液の場所があるとこ、教えないと。ね、龍驤、いいでしょ?」

「……そうやな。お嬢ちゃんに罪はない。可愛い顔に傷ついても困る。それくらいは、まぁ教えても、神サマもご照覧くれとるやろ。
 おっさんも来ィや。ぼさっとつったっとらんと」

「……いや、俺は一服、してくる。そっちは漣に任せた」

「ふぅん。そ。お嬢ちゃんはそれでええか」

 無言で漣はこくりと頷いた。そのまま裏口へ向かい、壁の向こうへと消えていく。


178: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:10:40.09 ID:j1TEpksy0

 煙草は嘘だった。俺の煙草は漣に没収されたままだ。
 だが、俺はどうにもあの空間にいたくなかった。無知な中学生の驚愕も、責任感のみで体を支える古参兵の憎悪も、落伍しかけた優しい少女の傷心も、何一つ見たくなかった。
 それらを守るために俺は船に乗ったのに、いま俺は船を降り、それらの顔から眼を背けている。

 ……吐き気がするな。

 陽光が誘っていた。灼熱に身を焦がせば、少しはこの倦んだ思考もましになってくれるだろうか。
 輻射熱は日本よりもずっと少ない。白い光線が肌を焼く。シャツの袖の白さが眼に痛い。

 汗が流れて目に沁みた。

「――っ!」

 だから俺は襲撃者への反応が遅れる。
 いや、それとも、その瞬間をこそ敵は狙っていたのかもしれない。


179: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:11:15.08 ID:j1TEpksy0

 死角から突っ込んでくる二つの小柄な人影。片目で距離感が狂う。繰り出した拳は回避され、蹴りもクリーンヒットには到底及ばない。
 勢いのついた、しかし存外軽い回し蹴りが、俺のこめかみを突き抜ける。衝撃。視界が揺らぎ、星が飛んで、前後不覚。空の青と地面の緑、強いコントラスト。

 誰だ。なんだ。やはり尾行されていたのか。なんのために!

 必死に体勢を立て直そうとするも、全く無警戒だった背後、誰もいないはずだったそちらからやってきた冷たさに俺は全身を強張らせた。
 細く、硬く、冷たい何かの先端。俺の背中から少し下、僅かに右、そこへ押し当てられている。

 銃口だ、と判断するのは容易かった。


180: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:11:48.60 ID:j1TEpksy0





「抵抗すれば撃ちます。嘘を答えても撃ちます」





181: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:12:15.77 ID:j1TEpksy0

 底冷えのする声。十中八九、はったりではない。こちらが銃を奪うよりも弾丸が身体を食い破るほうが早いだろう。加えて残る二人も相手にするのは、俺には不可能だ。
 せめて抵抗の意は見せまいと、脱力しつつ大人しくホールドアップ。背後にいる人物はそれに満足した素振りすら見せなかった。警戒されているのか、それ以上にこちらの反応を気にする意味もないということなのか。

 前方にいた二人が距離を詰めてくる。

 二人とも低い背丈だった。漣と同じくらいか、もしかしたらそれより下かもしれない。
 茶髪と銀髪。茶色いほうは白いワンピースで、銀色のほうはセーラー服。どちらも艤装を装着している。
 年端に似合わぬ精悍な顔つきだった。特に茶色い方は、歴戦の兵士に酷似していた。直近では赤城を思い出すし、過去を遡れば、現場叩きあげの上官などに近しい。

 対して銀色の方は、怯えがあるのか何なのか、少し遠慮しがちだ。暗く沈んだ表情をしている。


182: ◆yufVJNsZ3s 2018/02/28(水) 00:13:32.89 ID:j1TEpksy0

 俺はこの二人を知っていた。
 そして論理的帰結によって、背後にいる人物にもあたりがつく。

 雪風、響、そして――神通。
 考えうる限り最悪の遭遇であった。


194: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:07:23.31 ID:KLCOlPwi0

 痛いくらいに肉へ銃口がめり込む。踏ん張ってなければそのまま押し出されて前へつんのめってしまいそうになるほどだ。
 骨が体の内側で、ごりり、と音を立てる。わざとだとわかるほどに、その力は強い。思わず身を捩じらせてしまう。

 最上――最上め。あいつ、神通はおとなしいから、赤城みたいに襲ってこないだろうなんて、とんでもない嘘をつきやがって!

「聞こえませんでしたか? 抵抗すれば撃ちます。嘘を答えても撃ちます」

「……」

 どうすればいい。俺はどうしたらいい。
 前に二人、後ろに一人の三対一。いや、もしかしたらそれ以上いる可能性だってある。実力行使は不可能だと見ていい。
 今はとにかく向こうの指示通りに動き、様子を見るのが最善。俺はまだ相手の目的もわからないのだから。

 赤城の情報を知りたいのか。それとも純粋に復讐心か。俺たちに協力できるような事柄が、

 ばん。


195: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:07:52.47 ID:KLCOlPwi0

「――っ!?」

 衝撃が脇腹から全身へと突き抜ける。激痛は一瞬遅れてやってきた。
 体が痺れて息ができない。あまりの痛みに、骨、内臓の状態、なにより命の危機を心配するが、弾丸はそもそも貫通してすらいなかった。あぁそうだ、艦娘の装備は深海棲艦にのみ特攻を持つから、陸の上で俺に撃ったところでたかが知れている、が、それでも。

「ひ、とに、……っ」

 躊躇なく撃つかよこいつは!

「五秒の沈黙でも撃つことにしましょうか」

 脂汗が滲む。痛みで呼吸も覚束ない。眼の端から涙があふれてきて、深呼吸をして調子を整えようとするも、体の中を依然駆け巡る痛みが呼吸を浅く、短いものにしかしない。

「ごーお」

 神通はおもむろに数字を数えはじめた。五秒の沈黙。俺は呼吸と体勢を立て直すので精一杯、思考はまとまらず滅茶苦茶のまま。

「よーん」

「お、れは、本土から、来た」

「さー、……あぁ、やはり、聞いた通りですか。目的は?」


196: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:08:48.06 ID:KLCOlPwi0

「ふ、復興、だ」

「復興?」

 くふ、と声が頭上から落ちてきた。それが神通、彼女の笑い声だと理解するには、少しの時間を要した。
 倒れ伏した俺の後頭部に再度銃口が押し当てられる。箇所がどこであれ、こいつは容赦なく引き金を引けるだろう。体温が一気に冷めていくが、ようやく頭は晴れつつある。唾液を呑む音を誤魔化そうとする知恵が回るくらいには。

「本当に? それだけですか?」

「あぁ。壊滅したトラック、その後任として、任命された」

「なぜ? どうして今更? あなたにはそれだけの実力があるのですか?」

 そんなことは俺が一番聞きたかった。いや、結局のところは厄介払いなのだろうが、それを一から説明するには時間が足りない。そもそも説明する気など全くないのだが。


197: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:15:59.11 ID:KLCOlPwi0

「……嫌われてんだよ」

 端的に答える。
 神通はまた「くふ」と笑った。

「なるほど。おんなじですね、私たちと」

 嫌われ者だと神通は自嘲する。理由は明白で、それは大本営が彼女たちを助けてくれなかったからに他ならない。
 どこまで本心からそう思っているのかは定かではなかった。自虐的なブラックジョークなのかもしれなかったし、本土から来た俺に対しての皮肉なのかもしれなかった。もしくはそう思うことでやっとのこと現状に整理をつけている可能性だって。

 同時に、ふと疑問に感じた。なぜこいつらは大本営をそこまで信じきっていたのだろうかと。
 事前になんらかのやりとりがあって、要請があって、しかしそれが裏切られた。そう考えるのが素直だ。なぜ裏切られたかの理由に関しては、解明は俺の仕事ではない。理屈と膏薬はどこにでもつく、という諺もある。
 通信施設の損傷、トラック―本土間での敵の存在、予備兵力の不足、考えればキリがなかった。


198: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:16:44.85 ID:KLCOlPwi0

「大井さんから話は伺っています。トラックだけではなく、東南アジア諸島が深海棲艦に狙われつつあると。先立ってのイベントですら初撃に過ぎず、だから可及的速やかに泊地を復興しなければいけない。橋頭保とするために」

 ごりり。一層強く、銃口が押し付けられる。

「神通さんっ」

 俺の右に陣取っていた銀髪、響が悲鳴にも似た制止の声を出す。
 神通の動きがぴたりと止まった。こいつ、いま俺を撃とうとしたな。

 深呼吸の音が聞こえた。

「私たちが死にもの狂いで戦って、辛くて辛くて辛くて、苦しくて苦しくて苦しくて、怨嗟の声をどれだけあげても助けになぞ来てくれなかったというのに。
 今更! あなたちは! ここを!」

 強く押し付けられた銃口は、僅かに震えていた。恐怖のためではなく、興奮のために。

「神通さん! それ以上はだめです!」

「敵に渡したくないなんて、寝ぼけたことを言う!」


199: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:18:09.40 ID:KLCOlPwi0

 返す言葉はない。鬼畜生にも劣る行為をしたのは間違いなく海軍の側だ。恨まれるのも、こんな扱いをされるのも、当然と言えば当然の話。
 その憎悪の海を泳ぎ切って、俺は彼女たちの心の内側へと辿り着かなければならないのだった。

 そんなことができるのか。

 ……するしかない。少なくとも、俺はここで神通に殺されることを望んではいない。

 気持ちを癒すだなどと大風呂敷は広げられない。そこまでの覚悟は抱いてきていないが、サンドバッグになるくらいの覚悟なら、こんな俺にでも十二分にはある。

「それでも、戦わなければ、もっと死人が出る」

「……えぇ、えぇ、そうです。そのとおりです」

 俺の襟首を引っ掴んで、神通は強制的に俺に前を向かせる。そして値踏みするかのように覗き込んできた。

「ただ、私は思うんですよ。強ければ負けないんだ、と。
 死んでしまった人たちの無念を思えば、勿論心が張り裂けそうになりますが、しかし弱かったから死んだのです。苦難を乗り越えるだけの強さがなければ、この世は少しばかり私たちにつらく当たりすぎる。違いますか」


200: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:20:07.99 ID:KLCOlPwi0

「……軍人の鑑だな」

 自己研鑽があまりにも過ぎる。研いで研いで、折れてしまわないか心配になるくらいに。
 神通の側は心配などして欲しくはないに違いなかろうが。

「自分さえも守れないような人間が、どうして誰かを守れましょうか。無論、誰かを守るために強く在れる者もいることは理解していますが、茨の道でしょう」

「別にお前たちの邪魔はしない。互恵関係と、いかないか」

「断ります」

 にべもない返事だった。もとより答えは用意していたのだろう。

「あなたがたの実力を信じるつもりがないというのが一つ。そして、たとえ信じるとしても、それは今度はこちらの慢心を招きます。最大公約数の孤独のみが、孤高を齎してくれるのです。私には、この二人がいればいい。
 ……しかし、あなたの顔、どこかで……?」

 どきりとした。大井くらいにしか知られていないと思っていたが、果たしてどうだろう。新聞には間違いなく載っている。ニュースにだって出た。数年前の出来事を、今更覚えていないものだと信じたい。

 後頭部から銃口が離された。毛穴が弛緩したのか、一気に汗が噴き出てくる。

「……まさか、そんな」


201: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:21:00.52 ID:KLCOlPwi0

 神通の声には、今までなかった種類の震えが、確かにあった。
 気づかれてしまったのだと理解するにはそれだけで十分。俺は自らの表情が消えていくのを感じていたし、一瞬のうちに神通との間でぴりりと走る何かの存在にも気づいた。

「『鬼殺し』! なぜ、あなたが!」

 先ほどの詰問と字面こそ似ているが、本質的には全く異なる問いかけだ。そしてその答えはとっくの昔に用意している。

「嫌われてんだ」

 冗談のつもりではなく、はぐらかしが目的だった。より本質的なことを言えば、『俺はお前に明かすつもりはない』という明確な意志表示。

「そんな、そんなはずはありません! だってあなたは英雄で――英雄だった! 『鬼殺し』の異名は誉れだったはずです、それが、こんな僻地にやってくるなんて!」

「マスコミがそうやって俺を囃し立てた。それだけだ」

「謙遜にもほどがあります! だってあなたは!」

 初めて鬼を屠った存在なのに、と神通は、まるで現実が受け入れられないかのように叫んだ。
 まるで癇癪を起した子供のようだ、と俺は思った。


202: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:22:04.71 ID:KLCOlPwi0

 強くなければ生き残ることなどできやしないと説く彼女の瞳に、俺はどう映っているのだろうか。大井はそれを「戦いに勝って勝負に負けた」と表現した。それはまったく正しい表現だ。俺は間違いなく勝ったし、間違いなく負けた。
 手に入れた様々なものは、最終的には滑り落ちていったのだ。

「あの、雪風。どういう、ことなんだい」

「知らないなら黙ってください。興が殺がれます。まさか、こんな人と、こんなところで出会えるだなんて……!」

 羨望にもにたまなざしを向けてくるのは雪風。その輝いた瞳を直視できず、思わず目を瞑ってしまう。

 いつか見た、彼女の笑顔が焼き付いて離れない。


203: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:23:49.92 ID:KLCOlPwi0

 数年前の暑い夏の日、俺は数十人、あるいはもっとの犠牲の上に、戦艦棲鬼を打ち倒した。今でこそ艦娘の登用も進み、システム周りや戦術も確立されてはいるが、当時、種別「鬼」へと対抗できた存在は皆無だった。
 人類史に残る偉業だと人々は誉めそやす。特進のみならず紫綬褒章さえ贈呈される予定だったというのだから驚きだ。

 対峙したのは俺ではなく、彼女だというのに。
 そう。俺は指をさしただけだった。あいつを倒せと――倒してくれと、願っただけだったのに。

「事情はわかりませんが、事態は理解しました。提督、私はあなたを尊敬しております」

 背筋をまっすぐにぴんと伸ばし、神通が敬礼の姿勢を取る。
 歓迎ではないのがともすれば皮肉にすら聞こえる。しかしそこまでの意図はないのだろう、神通の瞳には純粋な意志のみが宿っているから。

「しかし、まこと申し訳ありません。我々は強くありたいと願っています。孤高を貫き、自らを高めるためには、提督の助力は不必要。別行動をとらせていただきたく思います」

 そうして、反転。俺の背後へ。
 砂利を踏みしめる音が、ゆっくりと遠くなっていく。


204: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:24:40.55 ID:KLCOlPwi0

「見ていてください。私はもう誰も死なせません。
 雪風、響、行きますよ」

「はい」

「……うん」

 二人もまた、背後へと消えていく。

 ……。
 それから何十秒が経っただろうか。十? 二十? 一分は経ったか?
 音は潮騒に紛れてとっくに聞こえなくなっている。さすがに傍にはいないだろうと、俺は大きく息を吐き、立ち上がった。

「……死ぬかと」

 一歩間違えれば脳みそをぶちまけていたかもしれないと思うとぞっとする。神通、あいつもまた赤城とは少し違う意味で、頭がぶちきれている。

 俺は尻が汚れることにも構わず地面に座した。
 さて、どうしたものやら。

 どうすれば、十全に丸く収まるだろうか。


205: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:25:24.91 ID:KLCOlPwi0

 最上は神通のことを、「雪風と響に経験値を与えることを目的としている」と言っていた。なるほど、言動を鑑みるに、それは多分に正解らしい。

 あの背中は語っていた。過剰な仲間は慢心の源。孤高のみがひとを強くする。
 強くなければ生きていけない。誰も助けることができない。

 それは軍人の本懐ではない。

 死んだ仲間はみな弱かったから死んだのであり、残った仲間を強くするほかに、生存確率を上げる術はない。紛うことなき正論。そして、その正論に行きつくまで――逝き尽くすまで、どれだけの絶望があいつを襲ったことか。斟酌すらおこがましい。
 白羽の矢が立ったのが雪風と響、あの二人。

「いや、違うか」

 あの二人しか最早残されていないと考えるのが自然だ。駆逐艦として、というよりも、神通の心の支えとして。

 赤城は鬼だった。憎悪に灼熱する赤い復讐鬼だった。
 対する神通もまた鬼。彼女も同じく燃えている。その身を焦がす罪悪感と、何より使命感に駆られ、全てを生存の一点突破に懸けて。


207: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:26:07.73 ID:KLCOlPwi0

 究極的に言ってしまえば、神通と赤城からの信頼は得られなくともよかった。あの二人はその性質上、深海棲艦と戦い続けるだろう。例え俺の指揮下になくとも、その役目さえ果たしてくれるのなら、どの陣営に属しているかは問題ではない。
 ……つまり彼女たちを諦めるということだ。それは見捨てることとは少々趣を異にする。手放すのではなく、適正な距離に。人間関係とは案外そういうもので。

 過去の映像が一瞬だけ去来した。誰のものかわからない叫び声が聞こえる。
 あの時、俺と彼女は、諦めなかった。あぁ、諦めなかったさ。だが、今とは関係がない。何も。そうだ。当たり前だ。過去が現在を縛っていい道理はどこにもない。

「比叡」

 お前ならどうした。あの持ち前の明るさで、太陽のような笑顔で、どんな理不尽な局面だってひっくり返そうとするのか。
 俺はどうしたってお前にはなれそうにもない。


208: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 00:26:42.57 ID:KLCOlPwi0

 この罪悪感は謝罪がためなのか。であるとするならば、神通もきっと、こんな気持ちであるに違いない。

「……」

 煙草が欲しかった。気を紛らわせる何かが欲しかった。でなければ狂ってしまう。おかしくなってしまう。

「ん」

「お、おう、悪いな……」

 差し出されたソフトボックスから一本取り出す。メビウス、1ミリ、メンソール。鼻に抜けるのは好きではなかったが、この際文句は言っていられない。

「……なにやってんだお前は」

 太陽を背に大井がいた。


217: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 21:32:25.11 ID:KLCOlPwi0

「ご所望ではなかった?」

 屈んで、煙草をこちらに差し出したまま、大井は言う。
 相も変らぬ病院着。日除けの麦藁帽は庇が大きく、顔から鎖骨のあたりまでをすっぽりと陰で覆っている。長袖は日焼け対策かもしれない。熱くないのだろうか。
 茶色い髪の毛が首から鎖骨へ流れ、そして胸の谷間へと落ちていっていた。俺は妙に恥ずかしくなって、思わず視線を逸らす。向こうがなにも意識していないのに、こちらだけ意識しているということが、なんだかいやらしく思えたのだ。

「ここは散歩のコースなのか?」

「火。持ってるでしょう? 貸してほしいんですよ」

 言葉のキャッチボールは明らかに失敗していた。それでも意思が疎通できるということは、俺たちが投げ合っているのは言葉ではないに違いない。

「病人が吸っていいのか」

 その前にこいつはいくつなんだ。

「あら、体のことを気にしてくれるんですか?」

「戦力のえり好みをできねぇのが辛いとこだな」

 本心である。たちの悪い女に雁字搦めにされるような趣味は、今も昔もこれからも、持っていないし持つつもりもない。

218: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 21:32:52.76 ID:KLCOlPwi0

「ひどいですね。こんなにも積極的に、あなたに与しているというのに」

「俺は煙草を吸う女が嫌いだ」

「くくっ。煙草を咥えながら言うのは卑怯ですよ、『ご主人様』」

「……ちっ」

 どうにもこいつといるとペースが狂う。真正面から相手にしようとした俺が馬鹿だった。

 煙草は漣に没収されたが、ライターはあった。ズボンのポケットをまさぐって、大井の口に加えられたブツに火をつけてやる。

「……待機時間が長いんですよ、艦娘ってのは。参ります」

 自分の煙草にも火をつけ、大きく息を吸う。煙をたっぷり肺に溜める。


219: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 21:33:24.14 ID:KLCOlPwi0

「随分とやられたみたいですね」

「見ていたのか」

 こいつは盗み聞きと出歯亀が得意だから、このタイミングでここにいるということは、つまりそういうことのはずだが。
 なら助けろよとは口が裂けても言えやしない。矮小であるが、俺にも矜持というものがあるのだ。

「まぁ落ち込むことはありません。神通は薙刀だか空手だかの道場に通っていたとのことなので」

「お前が俺のことを教えたか」

「まさか!」

 甚だ心外だ、という風に大井。どうやらそれはポーズではないらしい。

「漣はあなたのことを知らないようだったけれど、第三次徴兵までの面子は、大体知っていると思うわよ。前人未到の偉業だ、日本軍人の誉れだなんだ、あの時は騒がしかったから」

「……実際に戦ったのは俺じゃねぇ」

「そりゃそうだわ、あなたは艦娘ではないもの。でもね、寧ろそっちのほうが都合がよかったんじゃない? 戦いが艦娘だけのものになることを、決して快く思わない連中もいるでしょうし。
 そう言う意味で、あなたは適任だったんでしょうね。『戦い』をそちらに取り戻すための言い訳としてね」


220: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 21:34:56.96 ID:KLCOlPwi0

「龍驤や最上も、知っていて黙ってるのか」

 だとすれば俺は稀代の道化だ。

「さぁ? 純粋に知らないってことは、ないと思うけれど。……まぁ、数年前のことだし、興味がないコは顔なんてとっくに忘れているでしょう?
 ――人相もだいぶ悪くなっているようだし、ふふ」

 余計なお世話だった。大井はどこか楽しそうに、縁起の悪い俺の表情を論う。

「でも、謙遜するなというのはその通りだと思うわよ。あなたが成し遂げたのは、実際讃えられて然るべきことだと思うし、……艦娘の中にも、憧れているコはたくさんいたわ」

「はぁ?」

 なにを言っているんだこいつは。一体どこからそんな話がでっちあがる。
 艦娘の寄宿舎なんてのは、海の上に出る前も出てからも、男性一切立ち入り禁止の女の園。隔離された文化が奇妙に歪むのは今に始まったことではないが、大井の口から語られた事象は、俺の理解を容易く超えた。

「何度でも言ってやる。戦ったのは俺だけじゃねぇ。倒したのは俺じゃねぇ。事実を誇張されても煩わしいだけだ」

 本当にあの行いが名誉なのだとすれば、なぜ、どうして、俺は。
 いや、彼女は。


221: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 21:36:23.99 ID:KLCOlPwi0

「どんな強大な敵でも、いずれ、いつか、打ち倒せるときが来る。そう信じられるには十分な出来事だったのよ、あなたがやったことは」

 諦めなければ、きっと、必ず。大井が語ったのは理想であり、現実ではない。大抵の人間の夢への道中では、目的地のずっと前に諦めの境地が横たわっているものだ。
 自らの行為をして自らが特別であると信じるには、俺は少し大人になりすぎていた。あるいは心が歪んでいた。諦めなければ俺はトラックに来ずに済んだろうか。今よりももっと幸せになっていたと?

「もう、その話はするんじゃあねぇ。その結果がこれじゃあ、誰もうかばれねぇだろう。違うか」

 言及するのはやめにした。何を喋っても墓穴になりそうな予感がしたから。


222: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 21:37:17.41 ID:KLCOlPwi0

「なにしに来た」

 こいつと二度目の不毛な探り合いをするつもりはなかった。切り口鮮やかにさっさと済ませてしまうに限る。

「煙草を吸いに来たらあなたがいた、ではダメ?」

「病院を抜け出して、か?」

「もちろん。院内は完全禁煙ですから、たとえトラックだとしても」

「ならあとは勝手にしろ。漣たちを待たせてある」

「進捗を尋ねようと思いまして」

 驚くべき変わり身の早さだった。大井は変わらぬ姿勢で大空へと紫煙を吐き出す。

「時間は有限なので。あんまりぼやぼやしていると、何もかもが手遅れになります」

 それさえ盗み聞きしていたのか、とさえ思えるほどのどんぴしゃり。それくらいはやってのけそうな人間性だと感じるが、後ろめたさが漏れ出していないことを考えれば、お得意の頭脳労働なのだろう。
 俺たちが間に合わなければ、大井の実妹である北上を探す約束、それも当然反故になる。大井自身で探しきることは能わず、俺の代わりの助力を得られる可能性はどこにもない。


223: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 21:38:12.86 ID:KLCOlPwi0

 こいつは北上の生存をどれだけ信じているのだろうか。願っているのは当然だとしても。
 言葉遊びには違いなかった。ただ、願いが裏切られることが常の世であれど、期待はなるべくなら裏切りたくないものだ。

 常識的に考えて、数か月前に海へと消えた人間が、今なお生きている可能性は絶望的だから。
 そして、絶望的だからこそ、悔いが残らないようにしたいものじゃない? 大井は決してその口で紡ごうとはしないけれど、シニカルな笑みの向こう側に、俺はそんな意図を感じたのだった。

「当て所ねぇな。仲間は少ない、協力も得られない。どころか海へ出たら赤城に襲われる始末だ」

「陸の上でも神通に襲われて?」

 襲われっぱなしじゃねぇか。
 どいつもこいつも、血気に逸りやがって。

「とりあえず、いまは少しでも助力が欲しい。協力的なやつらの居場所、知っちゃいねぇか」

 こちらを襲って来ないような。


224: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 21:39:39.76 ID:KLCOlPwi0

「仲間の居場所はわかりませんが、敵の居場所ならわかります」

「はぁ?」

「狩場、というやつです。赤城の、神通の、どちらにも属さない、どちらにも属す、とりあえず4パターン。それを作ってきたので、うまく役立ててくださいというお話をしに来たわけですが。
 あなたの秘書艦、さすがにあの練度じゃあ、どう転んだって死にますよ。こちらとしてもそれは困るんです。役立たずが三人集まったところで北上さんを探すことなど叶わないので」

 病人の大井、新人の漣、そして海の上に立てない俺。

「最上も仲間になってくれた」

「へぇ、それは」

 大井は意外そうな表情でこちらを見た。

「しょっぱなから当たりをひいた、と。中々運のいい。あのコはいいコです。素直で、仲間想いで、練度もそこそこ。偵察機も飛ばせますから、目として活躍してくれるでしょう」

「あぁ、随分と気持ちが楽になった」


225: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 21:42:31.94 ID:KLCOlPwi0

 楽観的な気持ちでやってきたわけでは勿論ない。しかし、実際の有様、そして艦娘たちの姿を見れば、どこまでいっても俺が部外者であることは明白だった。
 手を取り合える艦娘が現地でできたことは僥倖と言って差し支えないだろう。癪であるが、大井、こいつもそのうちの一人のつもりだ。

「まぁ、ですが、それだけでは困るんですよ」

 わかりきったことを、さも講釈のように大井は言う。

「最上が戦力として十分でない、とは言いません。どの口が、と反論されるのがオチでしょうし。ただ彼女一人で戦況ががらりと変わるわけではないのもまた事実。あなた方には、是が非でも戦艦、ないしは航空母艦を仲間にしてもらいたいのよね」

「大物狙いってわけか」

「雑魚なんていないわよ、うちの泊地には。馬鹿にしないでもらえるかしら」

「……すまん」


226: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 21:43:01.10 ID:KLCOlPwi0

 適材適所。戦闘力で駆逐艦が戦艦に及ばずとも、それだけがために駆逐艦の必要性がなくなるということは、決してない。

「わかればいいんです。戦艦や空母を動かすための燃料や弾丸も、結局は主として駆逐艦、あるいは潜水艦に調達してもらうことになりますから。兵站を疎かにする者に勝利の二文字は訪れません。
 頭数は最重要ですし、艦種も様々揃えておいたほうが、万事に融通が利くでしょうね」

「霧島、扶桑、伊58、だったかな。最上から名前があがったのは」

「ですと、霧島あたりは協力的かと。あとは、うーん。微妙なラインですね。協力的かもしれませんが、協調性に欠けているというか」

 それはお前のことではないのか?

 顔に出てしまっていたかもしれない。大井がこちらを冷めた眼で見ていた。

「私は単に性格が悪いだけです。怠惰でも強欲でも傲慢でもありませんから」

 いや、それもどうかと思うが……。


227: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/03(土) 21:43:36.51 ID:KLCOlPwi0

「どういうことだ?」

「どういうことも、そういうことですよ。七つの大罪、まさか知らないなんてことはないでしょう? 権化がいるの。我が泊地の誇るナチュラルボーン屑が」

 大井はパジャマのポケットから携帯灰皿を取り出し、ちょうど一本吸いきったそれをしまいこんで、踵を返した。

「それでは、私は逃げますので」

 は?

「おい、ちょ」

「狩場のデータ、海図と照合したものをあとで送りますので、隅から隅まで余すところなく目を通してください」

「大井ッ」

「必ず、ですよ」

「ちょっとちょっと、ちょぉーっとぉっ! 大井ッ、さっきから聞いてりゃあんた、人のことをボロクソに言い過ぎなんでちっ!」

235: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/04(日) 21:08:28.60 ID:MZkUa+Q60

 建屋の中から小走り気味に走ってきたその少女は、勢いもそのままに地を踏み切った。低い弾道で放物線を描き、そのまま大井に跳び蹴りを喰らわせる。
 しかしすんでのところで大井は身を翻していた。大井の口元から、ちっ、とはっきりと舌打ちがこちらまで届く。遭いたくない相手と遭ってしまった、そんな表情。顰めた眉を隠す様子さえ見せない。

 跳び蹴りを放ったのは……うん? なんだ、こいつは。

「なんだこいつは」

「はぁっ!? あんたまでそんなこと言うでちか! さもてーとくヅラしてるけどね、来てまだ数日のペーペーじゃん! それはこっちの台詞なんでちよ!」

 桃色の髪の毛はショートボブ。流れる二筋の髪留め。白いセーラー服は撥水加工の光沢が見られるが、なぜか上だけしか身に着けていない。
 かといって下が裸というわけでは当然なく……なんだ?


236: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/04(日) 21:09:07.05 ID:MZkUa+Q60

「なんだこいつは」

「だーかーらー!」

 水着だった。濃紺の、普通の、といえばいいのか。俺は少なくともソレを説明する言葉を持っていない。競技用ではなく、学校指定の。そう、それに近しい。
 しかも靴さえ履いていない。

 ここは陸の上だぞ。

「大井! こいつが龍驤の言っていた、新しくきたてーとくでちか! このファッキン不躾なヤローが!? 勘弁してくだち、冗談じゃないでちよ!」

「……でちでちうるさいのよ、でち公。あなたのテンションに付き合ってられる程、私は体力が有り余ってないの。脳筋ではないの。わかる?」

「うっせーばか! 知識で海が泳げるわけねーでち!」

 俺そっちのけで二人は言い争いをしていた。言い争いというか……不快感をあらわにする大井と、烈火の如き勢いで喰ってかかる水着、といったふうだ。
 割って入るべきなのかどうなのか、一瞬だけ躊躇する。矛先がこちらに向いたら厄介だ。一方的に知られている状況はやりにくい。話を漏れ聞く限りでは、やはりこの水着もまた、艦娘であるようなのだが。


237: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/04(日) 21:09:58.73 ID:MZkUa+Q60

「提督」

「ん、なんだ」

「先ほどの話、努々忘れぬよう、よろしくお願いします」

「あぁ。狩場と海図の照合データ、な」

「隅から隅まで余すとこなく、十全に役立ててください、です」

「目論見はわかんないけど、赤城と神通の邪魔だけはすんじゃねーでち。あの二人が戦いたいって言ってるなら、おとなしく戦わせとけばいいのに、首突っ込む真似は野暮でちよ」

 不貞腐れ顔だった。その辺の椅子に腰かけて、頬杖をついて、ぶすっくれている。
 こいつが俺と大井の話をどこまで聞いていたかは不明だ。予め龍驤から、俺が新しくやってきた提督であることは知らされていたようではあるが、俺の目的や立場を全て知ってくれていると考えるのは流石に都合が良すぎる。

「あなた、『野暮』なんて言葉をよく知っていたわね」

「おーおーいー? 艦娘から喧嘩の小売りに商売変えたでちかぁ?」


238: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/04(日) 21:11:11.92 ID:MZkUa+Q60

「大井、さっさと病院に戻れ。なんでいがみ合ってんだ、馬鹿かお前ら」

「へへーん、ほーら、てーとくもこう言ってくださるでち! 病弱はさっさと建物ン中に戻るでーち!」

 おい馬鹿。

「もとよりそのつもりよ。それじゃあ、提督。ついでに58も」

「その減らず口がいつまで叩けるか見ものでちっ」

 付き合ってられないとでも言うように、大井は手をひらひらさせて、その場を後にした。煙草を吸いに来たというのは事実なのだろうが、まさか二言三言の会話で済むのは意外だ。もう少し込み入った意図があると思っていたのだが。
 いや、あいつの意図は一旦置いておこう。件のデータ、それを見てからでも遅くはない。

 と、唐突に通信承認が入った。対外秘匿通信。視界の隅に小窓が映り、表示されたいくつかの数字の羅列、識別番号は……主番がトラック泊地、枝番が001。
 目の前の水着の少女に気取られないよう、出る。


239: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/04(日) 21:11:43.19 ID:MZkUa+Q60

『あ、もしもし。大井よ』

 大井だった。001……まさか語呂合わせではないだろうが、奇妙な偶然もある。

「で、てーとく、あんたとは話したいことが山ほどあるでちよ。返事次第によっては、力を貸してあげなくもないかなって」

『さっきのは伊58。ゴーヤと呼称されてるわ。艦種は、潜水艦。
 別に仲間にしたいってのなら、止める権利は私にはないけど、存分にろくでもない人間なので、徴用するならそれは覚悟の上でお願いするわ』

「あたしは伊号の58。まぁゴーヤでいいでち、みんなそう呼んでるし」

 同時に喋るな。俺の頭はそう言う風にはできていない。

『仲悪いのか』

『別に? 私が文化系、あっちが体育会系。論理が違うのよ』

 いまいち同意しづらい内容だった。
 まぁ、だが、確かに、一連のやり取りを見聞きしている限りではそのようである。
 大井の思慮深さと慎重さを陰気と受け取る人間もいるだろうし、58の自信と直情を傲慢と受け取る人間もいるだろう。


240: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/04(日) 21:12:20.29 ID:MZkUa+Q60

「てーとく? 聞いてる?」

「あ、あぁ、悪い」

「ぼーっとしちゃってさぁ。そんなんじゃ困るんでちよ」

「お前、話をどこまで聞いてた?」

「大体、でちよ。神通とのやりとりもそうだし、大井とのもそうだし。あたしは新聞読まないからよくわかんなかったけど。
 ……てか、赤城のも見てたでち」

『多分潜水艦の生き残りはゴーヤだけよ。一応練度は泊地で三番目だから、戦闘力に関しての保証はするわ』

「は?」

 待て、大井もそうだが、58も、同時に言うんじゃあねぇ。
 頭の処理が追いつかない。

 58は赤城との一件を見ていた、という。それは今朝のできごとだ。現在時刻は十五時を回っている。58はここにいて、大井とのやりとりも、その前の神通とのいざこざも、全て目撃している。
 ……目撃? その言葉が本当に正しいのか、疑問であった。図らずとも見てしまったのならそうだろうが、しかし、そうではないのだとしたら?
 誰かに尾行されている気がしたのは、やはり勘違いではなかったようだ。
 

241: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/04(日) 21:12:56.55 ID:MZkUa+Q60

 いつの間にか大井との通信は途切れていた。58と俺を慮っての通信、だったのだろうか。よくわからない。

 それよりもまずは58に集中すべきだった。すべきである、と俺の感覚が告げている。狙いのわからない相手とのやりとりに、精彩を欠くわけにはいかなかった。

「偶然ってわけでは、なさそうだな」

 極力脅しに聞こえない声音を作って、そう詰めてみる。

「ん、まぁね」

 58は俺の目の前に立ちはすれど、手を後ろに組んで、視線を逸らす。踏ん切りがつかないのかもじもじしている。大井を前にしていた時とはえらい差だ。
 俺から切り出した方がいいのか、それとも彼女が自発的に話してくれるのを待つべきなのか、結論すら出ずに時間だけが流れていく。58は困ったような顔をしているが、恐らく俺も似た表情のはずだ。


242: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/04(日) 21:13:25.02 ID:MZkUa+Q60

「ごーしゅじーんさまー!」

 救世主か、はたまたその逆か。遠くからぶんぶん手を振って、漣がこちらへやってくるのが見えた。その後ろには当然最上もいて、しかし龍驤の姿はない。
 58がびくりと震えた。漣に、というよりは、最上の存在に対して驚いたのだろう。
 最上の口ぶりでは、あいつは58に出会ったことがある様子だった。そしてその邂逅が決して幸運ではなかったことも、俺は少なからず理解している。詳細はわからない。ただ、トラックの過去と現在を考えれば、不幸なニアミスはいくらでもあると思った。

 龍驤もそうだったに違いない。俺たちは遅れてきたから、時間が瘡蓋にしてくれた傷が、彼女の時よりも少しだけ多い。たったその程度の、ゆえに決定的な、状況の差異がそこにある。

 最上もやや遅れて58に気が付いたようだった。気まずそうな表情で、明らかに歩幅が狭くなっている。
 事情など露知らぬ漣は、反対に大股で、元気いっぱいという様子だった。赤城に襲われ、ほうほうの体だったのが今朝のこととは思えない。高速修復材の場所を教えてもらったという話だから、そのせいもあるのかもしれない。


243: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/04(日) 21:14:11.26 ID:MZkUa+Q60

「あれ、誰ですか、この人」

「伊58。潜水艦だそうだ」

「あぁ、どうりで。……もしかして、仲間になってくれると?」

 期待を込めた瞳で58をじっと見る漣。58は漣と視線を合わせ、なぜか助けを求めるように俺を見て、最後に最上を見た。

「……ゴーヤ」

「そっか、最上は戦うんでちね。偉いなぁ。偉いよ」

 58が駆け出す。逃げ出す、と表現しても、きっと間違いはないのだろう。

「ばっかみたい」

 潮風に乗って吐き捨てるようにそんな言葉が聞こえた。漣にも聞こえたようで、面喰った顔をしている。

「……」

 最上にも聞こえたようで、ばつが悪そうに、取り繕うように笑った。

「あはは、嫌われちゃってるみたいだね。ごめんね」

「まぁた気難し屋ですか」

「漣」

 窘めるように名を呼ぶと、漣はしおらしく肩を落とした。


244: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/04(日) 21:14:57.52 ID:MZkUa+Q60

 誰が望んでああいう風に――龍驤や、赤城や、神通のように――なるものか。その責任も、悪名も、彼女たち自身に背負わせるのはお門違いだ。
 俺たちは既に境遇を知ってしまっている。知らない人間がとやかく言うのでさえ不快極まりないというのに、俺たちがそうするのは、まるで配慮に欠けている。

 とはいえ前線で傷を負い火花を散らすのは漣である。彼女の不満や不安も、俺は理解しなければならない。どちらか片一方ということでなく。

「龍驤から話は聞いてきたか?」

「そうですね、好きに使っていいとは言ってくれました。資材も……もう必要とする人間は、殆どいないから、と。
 まぁ、漣は駆逐艦なんで、燃費はすこぶるいいから」

「将来的には入用になるだろうし、備蓄に越したこたぁねぇよ」

「ですねっ。三か月だなんて、漣、言わせませんよ!」

 そうだった。それはさしあたりの問題ではないにせよ、いつか解決しなくてはならない、捨て置けない問題だ。

「とりあえず漣的な用事は済んだかなーって感じなので、あとはご主人様次第ですよ。最上さんも、あの、多分いろいろあったとは思うんですけど。おーあーるぜっと、みたいなのは、漣はやっぱりよくないかなって」


245: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/04(日) 21:15:54.06 ID:MZkUa+Q60

「なんだ、そのおーある? ぜっと、ってのは」

「英語ですよ」

 と言って漣は空中にアルファベットの小文字を描く。orzか。英語じゃねぇし、使い方があっているのかもてんでわからん。

「うーん、困ったな」

 最上は笑った。正真正銘困ったように。

「死にたくないんだってさ。戦いたくないんだってさ。無駄なことは、したくないんだってさ」

 顔をぷいと背けて歩き出す最上。目指す先は家だろう。どんな顔をしているのか想像もできないが……見られたくないから、前を歩いているのだ。それを想像するのはデリカシーが足りない。

 デリカシー、ね。縁のない言葉だとずっと思っていたが。

「なるほど、怠惰か」

 七つの大罪。その意味するところ。

 漣の小さな手のひらが、俺の左手を握った。外気に晒されてなお、体温は漣の方が高い。
 くいくいと引っ張られる。行きますよ、と示していた。

 俺たちは最上のあとを辿り、そのまま帰路へとついたのだった。

250: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:44:08.77 ID:yRNRvsBm0

 トラックは熱帯夜であることが多い。高温多湿の熱帯で、そこの夜なのだから、熱帯夜なのは当然かもしれなかったが、まぁとにかく。
 深夜であった。もともと少ない街の灯りはさらに数を減らし、一つ二つ、数えられるほどだ。さらに遠くを見れば小さな光点が中空に浮いているのがわかる。星とは違う瞬き。恐らくあれは漁火だろう。

 こんな遅くまで漁に出ている船があるのだ。いや、もしかしたらあれは艦娘の灯かもしれない。護衛か、哨戒か。戦闘ではないだろう。方角的に、あそこは深海棲艦の出没が稀な海域だから。
 俺はピンチアウトで海図を拡大した。大井からもらったそれと、この数日間ずっと格闘していたのだ。

 海図自体は読み慣れている。大井は専門ではないから、記述についてまるで要領を得ない部分があったのも確かだが、最終的には読解できた。一人でこれを完成させたとすると、大井が自らを指して頭脳は貸せると言ったのも、あながち大風呂敷を広げたわけではなさそうだ。
 海図上に書き込まれた四つの象限。赤城、神通、共有、独立。厳密な境界があいつらの間で定められているとは思えなかったが、ゼロからの手探りを考えれば助かるどころの話ではない。


251: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:46:40.48 ID:yRNRvsBm0

 そして、俺の目下の問題は、この海図をどう活用するかだった。

 大井は言った。隅から隅まで利用しろと。
 表向きの用件は漣の練度をあげろということだったが、果たしてそれが全てではないことを、短い付き合いながらも理解するに至っていた。
 
 手付かずの海域を哨戒し、イ級を初めとする小物を倒し、経験値を稼ぐ。漣に現在できる精一杯がそれだ。
 それはいいとして、俺は俺で、やはり何らかの動きを起こさなければ、それこそたんなるお飾りになってしまう。すげ変わっても一顧だにされない木偶の坊に。

 それは何としてでも避けたかった。矜持の問題ではない。尊厳の問題でもない。俺の存在意義を表明しなければ、トラックの艦娘は誰一人として俺について来やしないだろう。

 だからきっと大井は言外にこう言っていたのだ。「赤城と神通に接触を図りなさい」と。そこまで命令的ではないせよ、赤城と神通を仲間に引き入れないことには、トラックの再興も、北上の探索も成立しないと理解している。

252: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:47:16.18 ID:yRNRvsBm0

「まぁだ起きてんですかぁ? 乙カレー様です」

 扉をノックもせずに漣が俺の部屋へと入ってくる。淡い青のパジャマにナイトキャップをかぶり、手には兎のぬいぐるみ。随分と少女趣味だったが、実際に少女なのだから不思議はない。

「お前こそまだ起きてたのか。子供は寝る時間だぞ」

「あっ、子ども扱いして! もう漣は中学二年、立派な大人ですよ」

「ちんちくりんが何言ってんだ」

「それはご主人様が漣の『ぷろぽーしょん』を注視していたという申告ですか?」

 ふふふ、と笑って背後から首へ腕を回してくる漣。小柄な体は随分と軽い。このままでも難なく立ててしまいそうだった。
 なので、とりあえず立ってみることにする。

「ぎゃー! 脚が! とど、届かなっ、ちょっと!
 ……あっぶなぁ」


253: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:47:43.67 ID:yRNRvsBm0

 十センチ浮いたくらいで何を言ってんだ。地面からの距離で言えば、海に浮いている方が、ずっと高くを浮いているというのに。

「漣はこれからぼんきゅっぼんの、魅力あふれる女性になる予定が控えてるんです。あとで後悔しても知りませんからね」

「その頃俺は四十近くのおっさんだわな」

「その時まで一緒にいれたらいいですけどねぇ」

「いいかぁ?」

 思わず言ってしまった。漣はその返事が大層お気に召さなかったように見えて、思春期の女子にあるまじきしかめっ面をしている。

「……ご主人様は漣のことが、その、お嫌いですか」

 その口調が余りにも深刻に聞こえてしまったので、俺も慌てて背筋を伸ばした。これだから子供はやりづらい。言葉がぶっきらぼうなのは悪癖だとわかっているのだけれど。


254: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:48:18.64 ID:yRNRvsBm0

「嫌いじゃねぇよ。お前はよくやってくれてると思うし、こんなところで味方はお前っきりなんだ」

「でも、最上さんも大井さんもいます」

「そりゃそうだが、そういうことじゃねぇだろう。どこまでいってもあいつらはトラックの艦娘で、お前は……お前だけが、俺の部下なわけだ」

「……うん」

「龍驤がこの間言ってたろ、遅かれ早かれ新しい提督が来る。その時俺がどうなるかはわからんが、まぁいいようにはならんだろうな」

「いいように?」

「配置転換ってんならまだ不幸中の幸いだ。現実的なラインは、事務仕事に回されるとか、倉庫番とか、まぁそんなところか。少なくとも人目につくところには就けねぇだろうが」


255: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:48:49.24 ID:yRNRvsBm0

「なんで?」

「なんで、って」

 あぁそうか。こいつは俺のことを知らないのだ。
 ようやく気が付いたその事実に、俺はなぜだか心底ほっとした。こいつが見ている俺は、正しく俺なのだ。

 鬼殺しとしての俺ではなく。
 人殺しとしての俺でもなく。

 ただそれだけのことが、どんなにか嬉しいものか!

 上がる口角を必死に抑えて続けた。

「とにかく、代わりが来た後に、じゃあお前の処遇はどうなるんだっつー話よ。お前の行く先はお前じゃ決められない。理不尽かもしれないけどな、軍人のみならず、公僕ってのはそういうもんだ」

 いや、生きるということそのものが、そういうことなのだ。


256: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:49:45.75 ID:yRNRvsBm0

「ご主人様といられるわけではないと?」

「引き続き艦娘を指揮できる立場に就けるとは思えんなぁ。サンドバッグ役くらいになら、なれるかもしれん」

「よくわかんないですけど、うーん、それはやっぱり嫌ですね。漣はご主人様がいいです。一期一会だと思いますから、世の中ってのは。人生ってのは」

「おいおい、十四、五のガキが人生を語るかよ」

「だったらご主人様だって三十くらいしか生きてないくせに」

 そりゃまぁそうだが。

「だから、なるべく頑張ります。可能な限り尽力します。とりあえず敵をぼっこぼこにして、一杯経験値を手に入れればいいんですよね?」

「そうなるな。経験を積めば、神様の憑依も深まる。艤装もスムーズに動かせるし、攻撃の効果も高まる、らしい」


257: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:50:20.87 ID:yRNRvsBm0

 本当かどうかはわからない。俺に理解の及ばない、高度な統計的情報処理を経て、そういう結論が導き出されるという噂は聞いた。そこまでだ。
 とはいえ使えば使うほどに馴染むというのはしっくりくる考え方だった。例えそれが八百万の神だったとしても。

「練度、ねぇ」

 漣は空中をスワイプして自分のステイタス画面を呼び出している。

「ゲーム感覚じゃないですか」

「理屈は軍の学校で習ったろう」

「……多分」

 あんまり覚えてないです、と漣。

「kwsk」

 そう言われても、俺も精通しているというわけではないのだが。


258: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:51:17.24 ID:yRNRvsBm0

「艦娘の登用も増えて、階級を逐一割り振るなんてかったるい、とさ。昨日やってきたばかりの戦艦と、設立当初からいる駆逐艦、どっちが偉い? お前は伍長だ曹長だ、一週間したら軍曹だ? やってられるかよ。
 それでも上意下達は軍隊には必須だ。練度の高い者を優先する仕組み自体は、俺は間違っちゃいないと思うが」

「やっぱり経験が、ってこと?」

「あと武勲だな。だから旗艦とMVPが加算されるような式になってるんだと思うぞ」

 練度は無論給金にも深くかかわってくるし、改、あるいは改二への換装も含めて、よりよい環境が与えられる。モチベーションの維持は重要だ。
 現在の漣は改にさえ遠い。一人だけの出撃ならば自然と旗艦ボーナス、MVPボーナスは手に入る理屈になるが、それでも一週間はかかるかもしれない。最近は最上も伴うことが多くなったから、きっとさらに。

「……頑張る」

 そうしてくれ。


259: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:51:47.51 ID:yRNRvsBm0

「明日も朝から哨戒と掃海作戦なんですよねっ、じゃあ漣、本当にそろそろ寝ます!」

 形だけの敬礼をして、ばいびー、と古臭い言葉とともに漣は俺の部屋を去った。どうせ隣の部屋だ、ぽつねんと残されても思うところは何もない。

 漣の練度を十分にあげないまま、赤城や神通に掛け合うのは気が退けた。どうやら自分でも知らないうちに、俺は随分と臆病になってしまったようだ。いたいけな少女を痛めつけるリスクをなるべくとらないようにしてしまっている。
 しかし、赤城と神通が鍵であることに半ば確信を抱いていた。戦力的にも、それ以外の面でも。

 将を射んと欲すればまず馬を射よという言葉もある。赤城と神通を仲間にしなければならない、という考え自体が性急なのか。だとすれば、次に打つ手は、すべき行動は、一体どこに正解が?

 結論は出ない。


260: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:52:23.54 ID:yRNRvsBm0

 もし仮に、先に馬を射るのが正しくあるのなら、まずは二人にとってのそれが誰で何なのかを知る必要があった。俺に残された時間はあまり多くない。赤城と神通が重要人物だとしても、二人に時間をかけすぎるのは、

 ……。

 あまりにも下種な思考に吐き気がした。自らがくそやろうだと認めるのは、非常にきつい。

 違う。違うのだ。俺がすべきは、一人一人について真摯に向き合うことだ。その結果時間が足りなかっただとか、そもそもうまくいかなかっただとかは、今ここで考えるべきことじゃあない。
 考えていいことじゃあない。

 いくら保険をかけることが重要だからといっても、時間内に終わらせられないようだから、こいつはパスして次の誰かを――そんな判断は認められない。認めていいはずがない。

 だって、指示したのは俺なのだから。


261: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:52:58.33 ID:yRNRvsBm0

 右手の指を見た。何の変哲もない、五本の指。普段と違いなどありゃしないのに、五本それぞれの先端が、じんわりと熱く感じた。あの時比叡と触れあった先端が。

 熱がゆっくりと手のひらへ降りてくる錯覚。骨まで浸み込んで、そのうち体中を犯し尽くすのではないかというありもしない恐怖に、俺は思わず椅子から立ち上がる。

 部屋の扉を開けると生ぬるい、湿度の高い空気が押し入ってきた。不快感に抗いながらサンダルをつっかけて外へと踏み出す。
 闇がそこにはあった。足元の感触を確かめ、砂利を往く。

 漁火はまだ消えていない。
 それとも、やはりあれは漁火などではなく、セントエルモの灯なのかもしれなかった。

「……?」

 灯はもう一つあった。少し離れた先の岩場に、小さな灯りが転がっている。
 ランタンだ。当然そばには持ち主がいた。夜だのに麦藁帽を被って、釣り糸を垂らしている姿が、灯りによって夜の闇の中に浮かび上がっている。


262: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:53:24.10 ID:yRNRvsBm0

「最上」

 俺が声をかけると、一瞬最上はびくりと体を震わせた。まさかこんな時間に出会うとは、お互い思っていなかったようだ。

「提督か、なんだ驚かせないでよ」

「そんなつもりはなかった。夜釣りか。何が釣れるんだ?」

 聞いたところでわかるとも思えなかったが。
 だが、最上はゆるゆると首を振った。

「真似事だよ。……眠れなくてね、なにもしないでベッドで横になってるのも、なんだかなと思って」

「そうか……」

 気の利いた言葉を返せるほど、こんな場数は踏んでいない。隣に座ることすらできず、ぼおっと釣り糸の先、墨汁のように暗い海面を眺めていた。ともすれば吸い込まれそうになるほど、底知れない佇まい。
 深淵を見る時、深淵もまたお前を見ているのだとは、誰の言葉だったか。そもそも言葉ではなく、文章の一節だったような気もする。


263: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:53:51.55 ID:yRNRvsBm0

「……58か」

「も、かな」

 だけではなく。58も。
 俺はまた「そうか」と返した。どこまで最上に踏み込んでいいものか、判断がつかないのだった。

 無言に耐え兼ねて視線を上へとずらす。海と空の境界線は曖昧だ。月光に照らされて、ほんのわずかに水平線の輪郭が白い線となっているのが、わかるような……どうだ? 目を細めれば、なんとか。
 そのとき、海上を揺蕩っていた灯りが、ふっと消失した。漁が終わったのだろうか。あるいは、もしあれが本当にセントエルモの灯なのだとすれば、加護がなくなったことを意味するように思えた。


264: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:54:31.65 ID:yRNRvsBm0

 とん、とん、とん。

「最上?」

「え、なに?」

 いや、これは、違う。最上ではない。
 というよりも、俺の耳に直接届いているわけでは、ない?

 つー、つー、つー。

「……お前には、聞こえるか?」

「聞こえる、って……あれ、え? これ?」

 とん、とん、とん。

「最上!」

 これは! まさか!

「龍驤!」

 寸分の狂いもなく同時、最上も叫ぶ。


265: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:55:10.68 ID:yRNRvsBm0



「メーデーか!?」
「救難信号だ!」



266: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:55:36.74 ID:yRNRvsBm0

 すかさず最上はピンチ・アウト。バーチャル・ウィンドウを展開させ、艦娘のリストから龍驤を選択する。先ほどの叫びで既に彼女と通信は確立していたようで、応ずる龍驤の返事も早い。

『わかっとる! こっちも受信した!』

「龍驤! 俺も一緒だ! 今から最上を現地に向かわせる、通信を共有にして、俺にも寄越せ!」

『なんや夜の逢瀬かいな!』

 くだらない冗談に返している余裕はなかった。俺も龍驤も最上も、咄嗟のメーデーに混乱しているのが現状だ。

「最上、悪いがっ」

「わかってるさ、ぜんっぜん、悪くない!」

 地面を踏み切って最上は跳んだ。そこそこの高さなどものともせずに着水、勢いをそのままに夜の海を切り裂いて走る。


267: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:56:19.87 ID:yRNRvsBm0

『ほい、やったよ!』

『……デー! メーデー! こちらは扶桑! 日本海軍トラック泊地、遊撃特務作戦群、「艦娘」所属! 繰り返す、こちら扶桑!』

『扶桑! うちや、龍驤や! オーバー!?』

『オーバー! 龍驤、あぁよかった、本当に……!』

『追跡信号辿る! 最上をそっちに向かわせた! 何があった!?』

『あぁ、本当に、よかった……幸運、だわ……』

『扶桑! 答えぇや!』

『不幸中の、幸い……』

 断絶。

『扶桑ッ!?』

 通信途絶。ぶちりと引きちぎられた電波からは、悪い予感しか想起しない。


268: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:56:55.94 ID:yRNRvsBm0

 体は勝手に動いていた。共有通信に追加、リストから選び出す漣の名前。

「漣ィッ!」

『ん、んにゃっ!? なんですか、ご主人様!』

「悪ィが起きろ! 不測の事態だ、艤装を伴って信号消失地点まで全速力! ことは一刻を争う、猶予はねぇ!」

『な、なにが――』

 回線越しに、ばちんと何かを張る音が聞こえた。……恐らく、頬。気付けの一発。
 小躍りするほどの歓喜。漣は、あいつはわかっている。理由など二の次三の次で、「今」動かなければならない時があることを。

『――了解しました! 駆逐艦漣、向かいます!」

「龍驤、お前は泊地にいるのか!?」

『おらんよ! どうして!?』

「こ」

『高速修復材なら夕張と鳳翔さんに持ってきてもらう算段はついた! ウチはいま、そっち向かってる! けど、くそ、陸はあかんな、ちょっちかかるよ! それまで大事なければええんやけどっ!』


269: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:58:19.28 ID:yRNRvsBm0

「消失点まではどれくらいだ、最上ッ」

『もーちょい! 2海里も離れてない!』

 俺は視覚の共有申請を最上へ――即座に承認。海の暗さと空の暗さが印象的な中を、ぐんぐん進んでいく最上の視界がウインドウに表示される。
 並行して漣、最上の生体情報。装備、耐久、ステイタスも表示させた。途端に俺の目の前はバーチャルウインドウで埋め尽くされたが、拡大と縮小で最適化を図り、少しでも脳内で整理しやすく並び替える。
 血を流すのも、苦しむのも、艦娘に任せきりだ。提督業がそういうものだと理解してなお、気分が悪いことこの上ない。ならば俺にできることは、眼を背けず、目を逸らさないことだけ。

『龍驤、提督、もうすぐつくよ!』

 青白い光が見えた。
 橙色の光が見えた。

 それらは互いに絡み合い、螺旋を描いて、海上をいったりきたり、浮遊している。


270: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:59:10.67 ID:yRNRvsBm0

『あれは……?』

 最上の戸惑いの声。しかし俺はそれすらも出なかった。驚愕に喉が引き攣って、一瞬で口の中が乾燥し、声がうまく出せないのだ。

 俺はそいつを知っていた。

 髑髏にも似た巨大な頭部、杖のようなインタフェース、そしてその周囲を旋回する球状の悪鬼。

『空母ヲ級だ。提督、見えてる?』

 通信が入るが、返事ができない。

『でも、あれ……?』

 そうだ、おかしいじゃないか。

 今は夜だ。

 空母が夜戦に参加できる道理はない。今までそんな個体は確認されていない。

 公式には。

 深海棲艦はたとえ同種であっても、個体差が存在する場合がある。やつらがどうやって生まれ、死したのちにどうなるのか、海軍は依然として詳細を把握していない。ただ、赤い気炎や黄色い気炎を纏った、上位種の存在は、かねてより知られていた。
 種別エリート。種別フラッグシップ。名づけられたそれらの上位種の、さらに上。

 一度だけしか見たことのない、二度と見たくもない、青い気炎。

 俺はそれを、改フラッグシップと理解していた。

271: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 09:59:43.72 ID:yRNRvsBm0

「そのヲ級は夜戦もできる。お前は夜戦は」

『苦手じゃないよ。だけど、一人だと、どうかな。こいつを潰してる間に……扶桑の行方が分からなくなるのは困る』

 最上とは視覚を共有しているため、見ている景色は同一だ。少なくとも今見えている映像の中には、扶桑と思しき影は見当たらなかった。

 ヲ級は最上へと真っ直ぐに意識を向けているようだが、周囲に展開した悪鬼を飛翔させる様子は、今のところは見られなかった。燃料が切れているのか、それとも間合いを計っているのか、わからない。何らかの目的のためにあえてそうしている可能性もある。

「今、漣が向かってる。龍驤も、遅れてくる。夕張と鳳翔さんは高速修復材を持って」

「わかった。それまで任さ」

 閃光が世界に満ちた。海中から突如として生まれた光が、熱が、何より水柱が、最上を宙高く打ち上げたのだ。

 敵襲! 二隻目!?


272: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 10:00:11.06 ID:yRNRvsBm0

『ぐ、うっ』

 痛みに悶える声が俺の胸を掻き毟る。
 焦燥に吹き荒ぶ脳内の片隅で、しかしやけに冷静な自分が確かにいた。そいつは最上の声などおかまいなしで、どうやればこの窮状をなんとかできるか、目一杯に思索の手を広げている。

 視界には依然として暗い夜の海と空と、そして黄色と青のたなびく気炎しか映っていない。だが、今の攻撃は確実に雷撃だった。雷撃。それが空母ヲ級のものではありえない以上、二隻目は確実に、どこかにいる。
 潜水艦。あるいは、雷巡……いや、雷巡で開幕雷撃を行うほど索敵能力の高い個体はいまだ確認されていない。雷巡だとしたら新種になる。

 空中で脅威のバランス感覚を発揮し、最上は無事に着水した。損傷は軽微。艤装にも異常は見られない。
 ちりちりと服の端が焦げて赤熱している。頬に煤。手の甲から出血。咄嗟の回避が成功したのか、とりあえずはその程度で済んだようだった。


273: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/08(木) 10:00:39.18 ID:yRNRvsBm0

「うご、ぅえ、ぐる、ぁ」

 獣のような方向と吐息が、緊張感を伴って伝わってくる。

「……増援確認」

 戦いは避けられないと察したのか、俺が指示を出すよりも早く、最上は瑞雲を展開。砲も全門構え、背後にうっすらと、だがしっかりと、嘗て沈んだ艦船の存在感。

「……なんだ、ありゃ」

 現実感など喪失して久しいと思っていた。深海棲艦なんて化け物が姿を現した時に半分、比叡が沈んでからの事後処理で半分、俺は地面に足をつけずに生きてきたと言っても過言ではない。
 だが、ここにまだ、直面している光景を疑いたくなるだなんて。

『ボクに聞かないでよ』

 最上も笑っている。苦笑だ。信じられないというよりは、彼我の戦力差に、笑う以外の決着をつけさせられないのかもしれない。

『……新型だよ』

 それは見るからに人間であった。
 パーカー? レインコート? ともかく、フードを被った、水着の女のように見えた。


285: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:20:49.65 ID:rHObM76b0

「うぐ、え、がぅる、ぶぁがばばばばっ!」

「きひっ!」

 尾が叫び、呼応して人型も叫んだ。

 不可視の衝撃が――否、眼には捉えられない速度の砲撃が、強か波を撃つ。波濤は砕け、水柱を立て、閃光と熱風が暗夜を一瞬煌々と照らす。
 その新型の深海棲艦はどこからどう見ても完全なる人型をしていた。唯一異なるのは、脚先が奇締目のようになっていること。そして衣服の後ろから太く凶暴な尾のようなものがまろび出て、醜悪で奇怪な叫び声を発していることだけ。

 だけ? 冗談じゃない。

 俺は頬を張った。漣がそうしていたように。

 データベースにアクセス、最上の視覚情報を援用し、敵の同定を試みる。……0件。候補は見つかりません、条件を変えて再検索をしてください。


286: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:21:58.51 ID:rHObM76b0

 深海棲艦は基本的に化け物のような姿をしている。イ級などそれが顕著で、機械の硬質な要素と生体の脈動する部分が謎の融合を遂げているように、油と血の区別が不明瞭なのがやつらだった。
 そして、より高位になればなるほど、深海棲艦の「肉」の部分は割合を増していく。たとえばル級。たとえばツ級。たとえば、目の前に佇むヲ級。俺は絶対にその事実に対して「人」の割合が増していくとは考えたくなかった。

 極地が種別・鬼。二本の脚を持ち、二本の腕を持ち、口と舌と牙から成る艤装を携え、まるで艦娘然とした存在。
 人型に近ければ近いほど、その戦闘力、脅威の度合いが増していくという予測を立てることはとても容易かった。事実として海軍の行動規範には、撃滅の優先順位として人型を狙うべし、となっているのである。

 種別・鬼からは逃走を図れ、とも。


287: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:22:31.52 ID:rHObM76b0

 最上の目の前にいるそいつは、信じたくないことであったが、やはり新種の個体に違いない。さらに、鬼とも見間違うほどの形態。雷撃、砲撃、果てには艦載機までも展開し、枯渇を知らない殺意を持って、今なお最上に襲いかかっている。
 種別が鬼クラスに分類されるかどうかは海軍の稟議を経て決定される。だが、対峙している俺たちにとっては、そんな書類上の区分は問題ではなかった。

 唯一の問題は、敵の戦闘力が段違いであるという点。それだけであり、それが全て。

 尾の口の中に砲が見える。光が収斂し、放出。暗夜と空気と海面を切り裂き、高圧と高熱で触れた全てを蒸発させた。
 瑞雲が音も立てずに数機、消失。タイミングを同期させて意識の虚を衝かんとする雷撃は、最上が踊るように回避したが、合わせて飛んでくる爆撃機を避ける術はない。吹き飛ばされるも波を掴んで体を起こす。

 空高く敵影が舞った。巨大な尾を叩きつける一撃。防御を放り投げた動きはまさに本能的で、最上はその隙を逃さない。ありったけの力を籠めて砲弾を二発、敵へと撃ちこんだ。


288: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:22:58.20 ID:rHObM76b0

「ぐる、ぅ、ぎぃ、ぎゃっ!」

 単純な質量は、単純が故に対処法が少ない。敵を大きく引きはがすが、すぐさま海を蹴って切迫、砲弾と尾による狭叉射撃が最上を襲う。

『照明弾! いっくよー!』

『最上ッ、伏せぇっ!』

 飛来した何かが空中で弾けた。と同時に、あたり一面が、まるで昼間のように明るく照らされる。暗闇に慣れた視界では、全てが真っ白に塗り潰されんばかりに。

 投下された爆弾が敵の表面で激しく爆ぜる。十や二十ではとてもきかない物量に、敵も負けじと砲撃で応ずるが、闇と硝煙の中では思うように狙いが定まらない。
 轟音と共に最上の放った砲撃が圧倒。尾ごと人型を吹き飛ばし、二回海面をバウンドさせ、波濤に勢いよく頭から突っ込ませる。

『待たせたな! 状況はどないや! ってか、なんやあれは!』

『龍驤! 夕張に、鳳翔さんも!』

 照明弾に照らされる中を全速力、現れたのは何とも頼りがいのある三人。


289: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:23:28.73 ID:rHObM76b0

 臙脂色の上着とツインテールが風に靡く中、龍驤は巻物を模した艤装を再展開。周囲に梵字と九字を混ぜ込んだような陣が現れ、式神が通るごとに艦爆、ないしは艦攻へとその姿を変える。
 夕張は機銃を主として敵艦載機への警戒。二門の砲塔と、肩から腰までには魚雷管を山ほどぶら下げていた。
 鳳翔さんの獲物は弓と矢だ。いつか見た、赤城のそれと酷似している。彼女は既に弓を持ち、構えることはしないまでも、いつでも筈に矢をかける準備は万端整っているようだった。

「ヲ級のほうは改フラッグシップだ、夜戦対応型、気をつけろ」

『改フラッグシップ、ですか?』

 通信に介入。鳳翔さんの声。

『聞いたことありませんね。種別フラッグシップまででは?』

「そのさらに上位個体がいる。
 ……もう一体のほうは、俺もわからん。データーベースに情報はねぇ」


290: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:23:57.41 ID:rHObM76b0

 重々しい音を立てて、狂ったような唸りとともに、敵が立ち上がる。今にも跳びかからんという前傾姿勢。あわせて、ようやくヲ級も艦載機を展開しだした。

『鬼ってことはないよね。人型にだいぶ近いけど……新型、か』

 夕張が探照灯を小脇に龍驤の傍へと立った。鳳翔さんも、恐らく高速修復材と思しき容器を持って。

『ちっ! おっさん、ウチはヲ級とやる。どのみち暗がりじゃ本気は出せんしな。余力がありゃ、あの尾っぽも相手するけど』

『私は扶桑さんを探したいと思います。信号消失地点はすぐです。……大破なら、まだ間に合います』

『なら、もがみんさんとあたしで、あの怪物と? あっちゃあ、きっついなぁ』

『漣もっ!』

 超々高速で突っ込んできた桃色の影が、一直線に新型へと向かい、そしてそのまま突っ込んだ。

『いますよっ!』


291: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:24:31.49 ID:rHObM76b0

 いや、突っ込んだのではない。大きく水面を蹴ってのドロップキックだった。横っ面と首筋を的確にとらえ、おおよそ30ノットは出ていたであろう速度での蹴り、それは最早衝突と言っても過言ではない。
 ごぐん、と思わず耳を覆いたくなる鈍い音。新型は大きく吹き飛び、張本人の漣も空中で数回転の後に落水。加護で溺れることさえないものの、その際の衝撃は地面にぶつかったときと似たようなもの、らしい。

『逃がしませんから!』

 漣は倒れながらも砲を構えた。艦が啼く。吼える。本懐を遂げることがこれほどまでに嬉しいのだと、滂沱の涙を流している。
 両の脚で波濤を捕まえ、耐衝撃姿勢、そのまま撃つ。

「げ、ごあ、ぎぃ、ろっ!」

「きひっ!」

 しかし新型の対応も早い。巨大な意思を持つ尾、それがバランスを取る役割を果たしているようで、上半身が捩じ切れそうな体勢からも砲弾へと手を伸ばして軌道を逸らした。

『んなっ!?』

 漣が叫ぶ。だが気持ちは他の者も同じだったろう。

292: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:24:59.91 ID:rHObM76b0

 新型の右腕はほぼ半壊になったが、それを一顧だにする様子は見えず、寧ろ痛みこそが快楽であるかのように笑った。至極満足そうに。

 ごぎ、ごぎ、ごりりと首を唸らせ、百八十度回転。その視線の先には漣がいる。
 漣へと跳ぶ。狙いを定めた――それとも、遊んでくれる相手だとでも、思ったのか。

『さ、せぇえええっ!』

 慌てて最上が割って入った。大ぶりな尾のスイングを体捌きで回避し、胴体へと組みつく。

『るかぁあああああっ!』

 投擲。踵を中心にして、遠心力を利用した。

 夕張へと向かって。
 既に彼女は砲を全門構えている。漣よりも、最上よりも、単純な数だけならば圧倒的な砲塔。どういう仕組みなのかビットが如く宙に浮いたものまで存在している。
 遅れはとるまいとばかりに漣が吶喊をかけた。魚雷をちょうど十基顕現させ、巨大化とともに発射。さらにその後ろを全速力で追う。

『全弾ッ、叩き込んでやるんだからっ!』


293: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:25:35.55 ID:rHObM76b0

『合わせますよぉ!』

 砲弾を受け止めようとした襤褸の右腕、それを機銃の掃射が肉片まで薙ぎ払い、肘の先から断裂させた。防壁を失った新型の右肩へ砲弾が直撃、体液と僅かな火花を散らして大きくぐらつく。
 ビットから放たれた弾丸が、浮いた新型を上から射抜く。だが、金属音とともに周囲へと散らばる数の方が多いように見えた。一体どれだけ頑丈な装甲をしているのか。

 月を背負って最上が大きく駆ける。瑞雲を数機足場にして、そのままもう一度跳躍。軸を横に回転しながらの踵落としは寸分の狂いもなく新型の鼻っ柱を捉えた。

 着水。そこを襲う漣の魚雷群。
 轟音と共に巨大な炎が、水が、水蒸気が、新型を呑みこんだ。

「ぐ、ぎる、ぐげ、ご、じるる、ぐじゅはっ!」

「きひ、きひひひっ!」

 月光の微かな光の中でも確かにわかる、その笑顔。
 爆炎と水柱、そして濛々と立ち込める水蒸気の晴れた後に、その新型は殆ど無傷で立っていた。
 唯一目立つ損壊と言えば、右腕の肘から先がないことだけだが……。


294: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:26:01.62 ID:rHObM76b0

 金属製の皮膚と細く残ったどす黒い筋線維、数本の神経を模したコードだけで繋がっている右腕を、新型は珍しそうに見て、掴んだ。

『ボクが真正面から行くから、二人は左右』

『わかった』

『わかりました』

 焦燥感を含んだ声音で三人。

 ぐちゅり。油なのか、それとも血液なのか、暗い中では判断がつかない。新型は断裂面を無造作に継ぎ当てると、皮膚を食い破って上腕から二の腕へ、うぞうぞと肉片のようなものがまとわりついていった。
 固定。保護。修復。肉片が同化したのちには、健全な右腕へと戻っている。

『自己修復機能まであるのか……っ』

『こりゃ、俄然調べてみたくなるわね!』

『砲じゃだめですね、やっぱり魚雷、ありったけぶつけてみましょう!』


295: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:26:52.02 ID:rHObM76b0

「……」

 俺は何も指示を出すことができなかった。そんな暇さえなかったと言えば、それはある種の事実ではある。一秒かそれよりも短い単位の世界に生きている彼女たちに対し、俺が耳元でうるさく喋る必要は、どこにもない。
 彼女たちの思うがままに任せて最高の結果が得られるのであれば、無論それが一番良いに決まっている。
 だが、岡目八目という言葉もある。客観的に物事を見て初めてわかること、当事者では決して気づかないこともまたあるのだ。

 この新型に、果たして勝利することはできるのだろうか。

 共有された視界の中で、新型は依然として醜悪で奇怪な声を発しつつ、まるで子供が絵具をぶちまけたかのように、狙いも意図も何もない攻撃を続けていた。
 航空機が機銃を放ち、魚雷を、爆弾を投下する。分断された三人の真ん中へと突っ込み、砲を乱射したかと思えばすり抜け様に全方向への魚雷。少しでも掠れば、装甲の薄い三人には致命傷と見えて、必然距離を詰め切れない。


296: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:28:11.23 ID:rHObM76b0

 砲は当たる。しかし新型の装甲は硬く、バランスを崩す助けにはなれど、効果があるようには見えなかった。すかさずに反撃を喰らい、最上は魚雷の炸裂に巻き込まれて吹き飛ぶ。それを助けに行った夕張も巨大な尾の一撃を回避しきれずに海面へと叩きつけられた。
 何度目かわからない漣の吶喊。魚雷に応ずる敵の魚雷。それらは海中でかちあって、連鎖に次ぐ連鎖、からの大爆発を引き起こす。

 塩水の驟雨が激しく降り注ぐ中、水滴に目を瞑ることなく、二者が激しくぶつかり合う。漣の砲弾は左肩と顔の一部を削ることに成功するが、それで敵が怯んだ様子をまるで見せないことが、なによりも恐ろしかった。
 もう一発と構えた漣の右手首を新型が掴んだ。鋭い爪がそれだけで柔肌に食い込み、血が滲む。

 新型の尾が大きく口を開けた。舌が砲塔になっていること以外、どこに繋がっているのかわからない虚空がただ広がっているばかり。
 牙が唾液に濡れててらてらと艶めいている。

『なめんっ、なっ!』

 口の中に魚雷を叩き込んだ。尾の下顎と上顎がもろとも吹き飛んで、彼我の距離も開く。


297: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:28:46.86 ID:rHObM76b0

「ぐぅるぎえやごるがぁごぎがっ!」

「きひ、きひ、きひっ!」

 自己修復。だが、修復が済むより先に、新型は漣へと向かって走り出した。
 ……狂っているとしか、思えなかった。

「龍驤! そっちは!」

『無茶言わんでや! このヲ級、さすがに頭おかしいで! 電探の、精度……くそ、防戦一方や!』

 それでもあのヲ級をたった一人で食い止めているのだから、龍驤の働きは値千金どころの話ではない。普通のスケールから大きく上に外れている。

『もしもし! こちら鳳翔!』

 全体への通信。今にも泣きだしそうな鳳翔さんの声。

『扶桑さんを発見! 状態は大破……まだ、なんとかなります!』

『よっしゃ! 鳳翔さんは泊地へ急旋回、即座に扶桑の回復を図ってくれ!』

『わかりました!』


298: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:29:20.78 ID:rHObM76b0

 いつでも退かせる用意はできていた。俺たちの目的は扶桑の保護であって、こいつらの討伐ではない。勝利条件を見失ってはならない。欲をかけば全てを失う。
 そう思う反面、この敵たちを野放しにしておいていいものか、と極大な不安が胸を占拠するのもまた事実。こいつらが海を闊歩するというだけで、俺たちは夜も眠れなくなるだろう。

『夕張、漣、散開!』

『弾幕集中させないと!』

『ってか、どっちが本体ですか!? どっちを狙えば!? ヒトガタか、尻尾か!』

 尾が強か漣を打ちつける。苦し紛れに魚雷を放つも、新型は装甲の頑丈さで以て無理やりに突破。夕張へ砲口を向けた。
 最上の砲弾が敵の顔面を半壊させる。眼球がだらりと垂れさがり、脳漿と血の混じったどす黒い液体が、首元までべったりと染めた。

「きひ、きひひっ!」

 それでも止まらない。
 まさかその状態から即応してくるとは思わなかったのだろう。接近する新型に対し、最上はあまりにも反応が遅れた。それ故に懐へ入ることを許し、気づいた時にはもう、彼女の肩へと手がかかっていた。

299: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:29:46.21 ID:rHObM76b0

 お返しだと言わんばかりに新型は最上の顔面へと拳を振るった。大きく仰け反るが、肩を掴まれているために距離が開かない。そのまま二度、三度と殴打を受け続ける。
 苦し紛れの反撃、砲を構えるが、発射よりも先に尾に備わった牙が最上の上腕へ食らいついていた。

『――ッ!』

 声にならない声が最上の口から溢れ出す。聞いているこちらが耳を塞ぎたくなるような悲痛の声。

『吹き飛べっ!』

 苦肉の策。夕張の放った魚雷の群れは、甚振ることに集中していた敵を、最上ごと吹き飛ばした。

『大丈夫!?』

『く、ぅ、つぅっ、……ま、なんとか、ね』

 激痛に顔を歪める最上ではあるが、なんとか五体満足を保っていた。出血量は多いが、意識を失うほどでもないようだった。

 俺は大きく深呼吸をする。これは、だめだ。そう思った。
 ここでこの新型を倒せるならば倒すべきではある。だが、それにただの一人も犠牲を出すつもりはなかった。このまま戦いをつづけたとき、新型が沈んだ後の海に誰が立っているのか、俺には読み切れない。


300: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:30:24.24 ID:rHObM76b0

「全員に通達。撤退だ」

『撤退!?』

 真っ先に反応したのは漣だった。

『待ってくださいご主人様! 漣は、まだ、やれます!』

『ボクも、こいつをこのままにはしておけないよ』

『同意見。新型、なんでしょ。ならもうちょっとデータは取るべきじゃないかな』

 夕張と最上もそれに同調する。

『ウチは戦いには賛成できん。が、こいつがこのまま逃がしてくれるとも思えん。泊地まで連れてくわけにも、な』

 龍驤は中立。立場的には俺の気持ちを汲んでくれているのだろうが。

『俺は、お前らが沈む可能性があるような判断を、するわけにはいかねぇ』

『といいますか、手負いの皆様は退けてくれると助かるのですが』

 ノイズ。通信への強制的な介入。


301: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/10(土) 23:30:52.74 ID:rHObM76b0



『あとは私が――私たちが、引き受けましょう』




309: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:20:30.66 ID:SeQhtB0C0

『あぁ、いい夜風です。颯爽と吹いて……姉さんを思い出します』

 ちゃぷん、ちゃぷん。極めて静かに、だが極めて素早く、神通は歩を進める。

『あぁ、いい月です。まるでスポットライトのようで……那珂さんを思い出します』

 鉢金を巻いている。腰には魚雷が三連装。眼には光。口には決意。

『龍驤さん、提督殿、この場は私に預けていただいても?』

『好きにしぃ、どのみちウチはこいつで手いっぱいや』

「任せる。戦術論を、俺は大して知らん」

『ありがとうございます』

 待っていられるかとばかりに新型が墳進。水を蹴り上げながら、最も近くにいた漣を襲う。
 漣へと向けられる大口。その中に砲弾を撃ち込んで頬を半壊、けれど勢いは止まらない。すんでのところで回避、水面へと突き刺さる。
 そこを支点にして新型が跳んだ。漣が応戦――砲弾は装甲の前に弾かれた。


310: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:21:00.78 ID:SeQhtB0C0

『ちっ!』

『狙いがぶれてます。腰が落ち切っていない。重心を低くできていないから、反動に耐えきれないんです。一発目はきちんと撃てていても、連射するごとにずれていきます』

 土壇場に至っても神通は目を見張るほど冷静で、神通と同期し通信を行う雪風と響にも、新型の異形を目にしたことによる動揺は見られない。
 雪風が海面と新型の間に体をすべり込ませ、砲撃でかちあげた。効果は少ない……しかし至近距離からの攻撃により、大きく体勢が揺らいでいる。

 尾を振り回し、無理やりにバランスの修正を試みる新型。しかしそこへ響の放った魚雷が炸裂、尾を半ばから大きく抉り取った。そして、ほぼ同じタイミングで、神通が新型へ接近している。
 反撃は艦爆による目晦まし。だが神通は怯まない。何より躊躇がない。初めから決めていたその挙動を、例えどんな困難があっても貫き通す、一振りの刃のような鋭い意志。
 リボンを焼け焦がしながら切迫した。尾の再生は間に合っていない。砲塔が四つ神通を狙うも、光が収斂するより先に神通が新型を蹴り飛ばしていた。


311: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:21:40.26 ID:SeQhtB0C0

 その先には雪風がいる。管からありったけの魚雷を顕現させて、神通から送り込まれたそいつへ、容赦のない雷撃をぶち込んだ。

「きひ、きひぃっ!」

 左の頭部から頬にかけてがごっそりと抉れている。右の腰から肋骨までが損壊、肺腑がコードに絡まって垂れ下がり、海を油で汚す。
 左足の膝からしたは消失し、再生途中の尾で補っていた。

「きひひ、きひ、ぎ、ぎひぃっ!」

 それでも戦意は衰えない。

『最上さん、夕張さん、漣さん、戦えますか?』

 勿論、と三人が応えた。

『近接はこちらで対応します。可能な限りの魚雷を展開し、私からの合図で一斉射出をお願いします』

『響ッ、動きがありますよ!』

『……うん』


312: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:22:06.37 ID:SeQhtB0C0

『基礎を疎かにしては、万事がうまくいきません。きちりと狙いを定めて……あと、そうですね。四肢の末端などを狙うのは下策です。脚や腕の一本二本吹き飛ばしたところで、それにどのような戦術的価値が?
 少なくとも、私なら動きます。赤城さんでも動くでしょう。身体的欠損など、精神的支柱によって、どうとでもなるものです』

 動き出す新型に対し、駆逐艦二人が応戦した。雪風は前に、響は後ろに陣取って、周囲を旋回しながらも徐々にその半径を狭めていく。
 新型は荒々しい獣のようだった。一人に突進したところをもう一人が背後から狙い撃ち、それに反応すれば、今度は逆から撃つ。回避に自信のある駆逐艦ゆえの戦法だ。だが、それも僅かな動揺で瓦解する綱渡り。二人の練度は間違いなく神通の業に違いない。

『狙うなら、ここ』

 と、神通は自らの顔を指さした。

『顔面を潰しましょう』

『漣も、やりますっ』


313: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:22:54.37 ID:SeQhtB0C0

 加勢しようと踏み出した神通へと声がかかった。神通は首だけで振り返り、肩越しに漣の姿を見る。
 小さい桃色の少女は疲弊し、恐らく初めての実戦だからだろう、殺意に中てられて脚ががくがくと震えている。額は割れて眉のあたりまでが赤く染まっており、非常に痛々しい。数多の火傷。セーラー服からむき出しの肌には、いくつもの青痣ができていた。
 それでも、依然として目には闘志が宿っている。いや、それは本当に闘志なのか、回線越しの俺には判断がつかない。決死の覚悟は無論あるとして、なら、なぜ漣は今にも泣きそうになっているのか。

 神通は漣にかかずらわっている時間すら惜しいというふうに、無感動で前を向いた。

『待って! 待ってください!』

『自分の言葉で喋りなさい』

 神通はぴしゃりとそれだけ言って、推進する。


314: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:23:35.80 ID:SeQhtB0C0

 新型と二人の戦いはいまだ続いていた。航空機の攻撃も、魚雷も、砲撃も、全て二人は紙一重で回避していく。神経を使うだろう。疲労の蓄積も並みの比ではないはずだ。僅かに反応が間に合わなくなってきているのを、俺は理解した。

「神通、二人が」

『無論です』

 響に叩きつけられんとしていた巨大な尾を神通は正確に撃ち抜いた。砲塔が粉々に砕け、生まれた隙を見逃すまいと雪風は反転、海面を蹴って一直線に新型へと向かう。両の手には魚雷を握って。

「雪風ッ!」

『頭上!』

 しかし気づいていなかった。彼女の死角から敵の航空機が編隊を組んで雪風へと向かっている。
 俺の声と、神通の叱咤が雪風の意識を頭上に向ける。しかし間に合わない。既に爆弾は投下された。
 闇夜が爆ぜる。爆炎に包まれはじき出された雪風を、響が咄嗟に回り込んで抱き留めた。


315: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:24:01.55 ID:SeQhtB0C0

『雪風ッ、大丈夫かい!?』

『ばか、だめ! なにやってんですか!』

 損傷は軽微。それ以上に位置が悪かった。
 最悪、と言い換えてもいい。

 二人を、新型はすでにその手の届く範囲までに近づけている。尾が振りかぶられ、左翼から航空機、右翼から魚雷群が既に放たれていた。新型の殺意に限りはなく、故に暴力も桁外れ。それはこの場にいる誰もが理解していること。

『神通ッ!』

 魚雷は神通が咄嗟に迎撃、水面下で大爆発を起こして無力化させる。水柱は煙幕にも障壁にもならず、新型の吶喊は止まらない。
 砲撃は装甲の前で効果はたかが知れている。最早敵は狙いを駆逐艦二人に定めたようで、神通を一瞥することすらせず、その中でも一際巨大な砲塔をがごんと構えた。

 と、その時である。

 水面下が一瞬の盛り上がりを見せ、数瞬後に巨大な爆炎が新型を呑みこんだのだった。
 全ての火力をその一撃に籠めたかのような、途方もない光と衝撃、迫力は、その場にいた者の呼吸すらも困難にさせる。閃光に視界が潰れ、轟音が音を掻き消し、突然の出来事は意識を正常に働かせない。


316: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:25:12.89 ID:SeQhtB0C0

『斉射!』

 神通以外は。

 漣も、最上も、夕張も、予想だにしない事態に対して反射的に行動できるほどの訓練は積んでいない。が、俺は咄嗟に海図のデータ、そして敵機の位置を照合し、網膜へと投影する形で送りつけてやった。
 自分と相手の位置がわかって、あとはどちらを向くか、それだけでいい。何故ならそこは海の上で、敵も同じ平面上にいるのは自明の理。

 魚雷の軌跡が海面を走り、四連装が四人分、計十六基の熱量が、新型を今度こそ、完膚なきまでに破壊しつくす。
 尾が千切れ、首から上が消滅し、残った四肢も右脹脛と左上腕だけという惨状になって、ようやく新型はその動きを止めた。自動修復も起こらない。ぐずぐずの黒い油が体表へ浮かび上がると思えば、そのまま溶解して海の底へと沈んでいった。


317: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:25:44.93 ID:SeQhtB0C0

『そっちはやったんか!?』

 龍驤の声。

「なんとか、恐らく! 増援を送るぞ!」

『いや、もうえぇ! 負けを察したのか逃げていきおった! 深追いはする気ィはないが、神通、お前はそれでもええか』

 もしも彼女が経験を欲しているというのなら、逃げた敵すらも追いすがる可能性は十二分にあった。

『いえ、今晩はやめておきます。航空機との経験はまだ浅く、いきなりあの練度のヲ級と戦わせるのは、聊か分が悪く感じますから』

『……ほうか』

 龍驤は少しばかり安堵しているようだった。

『ウチは扶桑が心配や。最上、夕張、お前らもなるべく早く泊地に戻ろう。その怪我、残っても嫌やろ。
 ……お嬢ちゃんも』

 声をかけられても漣はぽかんとしていた。先ほどまで新型のいた、新型が沈んでいった水面から視線を逸らそうとしない。


318: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:27:00.51 ID:SeQhtB0C0

「漣、大丈夫か」

『……うん、大丈夫、だよ。……マジ卍。草生える』

 絞り出す何のような強気。それには嘆息で答える。

『龍驤さん、漣はあとで、ちゃんと行くから、先に行ってて』

『おっさん、ええんか?』

 ……悩むふりをしてみるが、俺にできることなど、どう考えても何一つ存在しなかった。俺はこいつらを慮ることはできるが、寄り添えはしないのだと痛感するばかり。

「……あぁ、すまんが、漣は後で向かわせる。すぐに処置に入れる準備だけしてくれると、助かる」

『おっけー』

 それだけを言うと、龍驤は最上と夕張を伴って、暗い海の向こうへと消えていった。

 俺は視界を漣の視野に切り替える。

 いくつか、考えなければならないことがあった。例えばあの新型はなんなのか、なぜ突如としてこの海域に出没したのか、何が目的だったのか。最後の最後で隙を生み出してくれた魚雷の主は。
 だが、それらは全ていつでもできることだった。後回しにできることだった。


319: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:27:28.97 ID:SeQhtB0C0

「漣」

 俺が声をかける、たったそれだけのことで、漣は大きく肩を震わせた。
 隠し事がばれてしまった子供のような反応。それの何が悪い、隠し事だとか後ろ暗いことだとか、言ってしまえば全部過去だ。過去がない人間なんているものか。
 ……そう言ってやれればどれだけよかったろう。少なくとも、そんな権利は、俺にはないのだ。

「疲れたか」

『……うん』

「風呂でも沸かしとくか」

『うん。……あ、でも、高速修復材、使うから。お風呂にも、そのとき』

「あぁ、そうか。そういうもんか」

『あの、ご主人様』

「ん?」

『……なんでもないです』

「……そっか、気を付けて」

 帰投しろよ、と言いかけた俺の声を、何かが弾けるような音が掻き消した。

 漣が思わず振り向いた先には、雪風が響の頬を張った、その直後の現場があった。
 雪風は涙を浮かべ、響は頬の痛みではない何かを堪え、そして神通は無念そうにただ見守っている。


320: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:27:55.58 ID:SeQhtB0C0

『このぐず! どうして、どうしてあそこで陣形を崩しちゃうんですか!?』

『……ごめん』

『ごめんじゃありませんっ!』

 雪風が手を振り上げた。漣があわやと一歩を踏み出すが、それよりも自制のほうが早いのは助かった。ぐっと手を肩の位置でとどめ、下唇を噛み、代わりとばかりに響をきつく睨みつけている。

『先日のブリーフィングで決定したじゃないですか! ツーマンセルの基本は挟撃! だからそれを終始、しつこいくらいに徹底すると! それなのになんですか、さっきのあの動きは! 自ら的になりにいってどうするんです!』

『……ごめん』

『それはもうわかりましたったら!』

『ちょ、ちょっと、ストップ! ストーップ!』

 とどまる様子を見せない雪風の激昂に、さすがに漣も割って入らざるを得なかったようだ。


321: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:28:39.98 ID:SeQhtB0C0

『雪風さんの言いたいこともわかりました。でも、響さんはあなたを助けようとしたんですよ? それなのに……』

『部外者は首を突っ込まないでください。これはわたしと響、そして神通さんの問題なんですっ』

『違います! 一緒に戦って、深海棲艦を倒すという目的に変わりはないはずです!』

『わたしが響とか、たとえばあなたを守って、代わりに沈むかもしれない。今回だって、結果的に助かったからよかったものの、最悪二人で沈んでいました。作戦の遂行率を下げるような真似をする軍人がどこにいますか?』

『そりゃそうですけどっ、でも違うでしょ! 仲間じゃないんですか。まずは『ありがとう』の一言じゃないんですか!? なのになんで、そんなつらく当たれるんですか!』

『強く在るべし。弱者に生きる権利はないんですよ』

『っ!』

 ひりつく何かを、疑似感覚越しに感じた。

 思い出す。赤城との邂逅を。神通との激突を。その感覚はあの時に感じたものと酷似していて、いや、そもそも同一なものなのかもしれなかった。
 しれなかったが、しかし。


322: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:29:14.17 ID:SeQhtB0C0

 漣。

「漣!」

『なんですか』

「お前」

『それよりもご主人様』

「拒否する」

『強制帰投を解除してくれませんか』

「繰り返すぞ。拒否、だ」

 まさか畏怖にも近い感情を、この桃色の少女に対して抱くことになるだなんて。

 意識してでの行動ではなかった。俺は半ば無意識に、反射ともいえる速度で、漣に対して強制帰投の要請を飛ばしていた。
 強制帰投を俺が指示している以上、漣は艤装の使用ができない。リソースは全て足回りに消費する、航続距離と速度を重視した出力に変更されている。


323: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:29:51.51 ID:SeQhtB0C0

 漣は同じくらいの背丈の雪風を、不動でぎろり、睨みつけている。相対する雪風もまた同じ。

『弱者に生きる権利がない? 何言ってんですか、あんたは軍人でしょ? 艦娘じゃないんですか?』

 そうして胸ぐらを掴んで、

『弱者を守るのが漣たちの役目でしょうが! 悪を挫き、弱者を助く、それが艦娘ってもんのはずです! それが「弱者に生きる権利はない」だなんて、よくもまぁ言えたもんです!
 強く在るべし、確かに結構! 雪風さん、あなたはもう十分強いのかもしれません。神通さんだって百戦錬磨なのでしょう。でも、じゃあ、あなたたちが守るべき人々にまで、そんな強さを要求するんですか!
 強くなれなくたっていい! 強く在れなくたっていい! 弱いままで、それでも幸せに生きていくことができる世の中にするのが、あたしたちの役目じゃん! 違う!?』


『……なに泣いてるんですか。ださ』

 雪風は吐き捨てるようにそれだけ言って、もう付き合っていられないとばかりに反転、飛沫も大きく岸を目指しはじめる。


324: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:30:19.25 ID:SeQhtB0C0

 漣は雪風が指摘するとおりに泣いていた。大粒の涙を眼尻から眦から関係なくぼたぼた落とし、海のまにまに消えていく。それでも決して嗚咽は零すまいと歯を食いしばっているのが強情だった。
 その涙が少女の心の何処から来ているのか、俺には依然判断しかねた。感情の高ぶりが自然と涙腺を刺激したのか、何か思うところがあったのか、響を悲しんでいたのか。

 強くなれずとも、強く在れずとも、平穏を。寧ろ、弱者にこそ幸福を。漣のそういう価値観は過去にも垣間見たことがある。
 優しい少女だと、俺は誇らしく思う。

『……ありがとう。ごめんね』

 正反対の言葉に同じ想いを混めて響もまた反転。漣は一瞬何か声をかけようとしたようだが、諦めたのかうまく言葉を紡げなかったのか、伸ばした手を空中で止める。
 神通も響のあとを追い、すぐに三人の姿は見えなくなった。泊地へ戻ったか、損傷は少なかったので、自分たちの棲家へ帰ったのだろう。


325: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:31:02.66 ID:SeQhtB0C0

『うー……っく、ひっく』

 ようやくしゃくりあげだす。誰も見ていないからだと思うが、俺がいることはすっかり忘れているようだ。

 正誤の判断をするのは俺ではなかったし、そもそも正誤なんてものがこの世に存在するはずもなかった。何より俺に正誤が判断する資格があるとも思えず、三重で俺に出る幕はない。
 ただ、漣の言葉は守られる側の論理であり、雪風の言葉は守る側の論理である。そこに食い違いが生じている部分はあるのかもしれない。雪風は仲間を何人も失っているのだから、なおさら。

 大群が襲い、提督が死に、それでも終わらぬ地獄のような邀撃に次ぐ邀撃。押し込まれる戦線を維持するのが精一杯な、いつ終わるとも知れぬ泥沼の撤退戦。
 結果として平和は訪れた――平和? 違う。彼女たちはこの平和が仮初だと知っている。一時的な安寧だと知っている。


326: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/11(日) 22:32:49.61 ID:SeQhtB0C0

 兵隊は凪に身を委ねたりしない。

 死にそびれたのは苦しかろう。
 漫然と生きるのも辛かろう。

 このままではいけないと誰もが思っている。発露の仕方が違うだけ。

 ……しかし、少し気になることが見つかった。アレは単なる言葉のあやだろうか。それとも。
 もしそうなのだとすれば、随分と利用価値があるのではないか。

 少し癪だが、仕方がない。大井に確認を取ろう。

「漣、お疲れ。怪我を治してゆっくり休め」

『……うん。わかった、そうする。もう、やだ』


332: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/13(火) 01:45:03.57 ID:IXUNONRt0

 夜が明けた。

 漣は結局泊地で寝泊まりするということで、本人から直々に連絡があった。監督は龍驤か鳳翔さんか……どちらにせよ、まぁ安心だ。あちらとはスタンスこそ違えど、目的は一致している。決して悪いようにはされない。
 最上や夕張の損傷は酷いものだったが、話をちらりと伺う限りでは、扶桑の被害が甚大らしい。高速修復剤によって見てくれの怪我や艤装自体はどうにかなったものの、まだ目を覚まさないと。
 神経や臓器、精神の状態も安定していないとのことだ。あの新型、そしてヲ級と数的不利を抱えながらの戦闘だったはず。よく沈まずに耐えてくれたと、素直に思う。

 いずれ扶桑にもあって挨拶し、話も交わさなければならない。とはいえそこを急いてもしょうがない。俺にもやるべきことは山積している。


333: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/13(火) 01:47:04.15 ID:IXUNONRt0

 湯を沸かしてインスタントのコーヒーを溶かす。酸味が強く、味は薄い。経年のため到底飲めた味ではないが、これくらいのまずさが意識を賦活させてくれる。ぼんやりとした朝の頭では何もできやしない。
 漣を迎えに行くべきだろうか。いや、あいつも一人になりたいときはあるだろう。少なくとも、こんな歳の離れたおっさんといるよりは、同世代の女子に囲まれている方が気も休まるに違いない。
 そう、たまに忘れそうになるが、あいつはまだ十代半ばの子供に過ぎないのだ。俺が理解しえない生き物なのだ。

 漣が俺の傍らにいないのであれば、こちらも今しかできないことをすべきだった。邪魔というわけでは当然ないけれど、俺たちの問題と言うよりは、寧ろ向こうの問題である。
 大井。あいつの顔が脳裏をよぎって、しかし俺は頭を振った。まだ、いい。あいつと話すときは自らの中で確信を得てからだ。
 

334: ◆yufVJNsZ3s 2018/03/13(火) 01:47:55.99 ID:IXUNONRt0

 ならばと俺は外へ出た。朝はまだ日差しも弱い。うだるような暑さも、噎せ返るほどの湿度も、どこにもない。
 海辺へときもち小走りで急ぐ。通信がとれればいいのだが、一度も回線を確立したことのない相手には、こちらからコンタクトすることができないのだった。
 提督としてのあらゆる権限は龍驤にある。ネットワークの外にいる俺は、自分の脚で探すか、向こうからこちらへの接触という幸運を待つしかない。

 だが、心配はさしてなかった。恐らくあちらはこちらを意識している。四六時中監視、というわけではさすがにないだろうが、海辺を歩いていれば接触を図りに来る可能性は高い。
 伊58。
 尾行者の正体。

 なぜ、どうして、何の目的で。それらを考える必要はなかった。全て、本人に聞けばよかった。

「……」

 少しの沖合で、桃色が水面から突き出ているのが見えた。
 二筋の流星が、真ん中から左にかけて流れている。