1: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:00:33 ID:???Sd
エヌ氏がロケットに乗り込むのを、地球の人々は歓喜の声を上げて見送った。

夏美「皆! 行ってきますの!」

きな子「夏美ちゃん……無事帰ってきてほしいっす」

エヌ氏の恋人も潤んだ瞳で彼女を見送る。エヌ氏はこれから5年もの長距離宇宙航海に向かうのだ。その涙も無理からぬことだった。

夏美「きっと、人類が移住できる星を見つけて戻ってきますの! 待っててほしいですの!」

きな子「5年は長いっすけど、絶対待ってるっすから!」

夏美「なっつー♡ 愛されてますのー♡」

応援の叫びの中、光速ロケットユイガオー号はエヌ氏を乗せて未踏の宇宙へと飛び立っていった。

2: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:06:08 ID:???Sd
夏美「さてさて、無事出発出来ましたの」

夏美「外の景色は……なんですのこれ! 星が見えませんの!」

ユイガオー号は光速で宇宙空間を飛行していた。
そのせいか窓の外はパノラマのように捻れており、それはそれで綺麗ではあったものの、無数の星々を期待していたエヌ氏は落胆の溜息を漏らした。

夏美「これから5年ですの……長丁場なのに、早速つまずきましたの」

暇な時は星でも見上げればいいと思っていたのに、窓の外がこれではどうしようもない。

夏美「まぁ仕方ありませんの、これも仕事ですの」

エヌ氏は気持ちを切り替えて、どっかりと座り心地のいいチェアに腰を下ろした。これから長い航海をしなければならないのだ、気持ちくらいすぐに切り替えられなければやっていけない。

3: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:11:21 ID:???Sd
この長い長い航海における。エヌ氏の目的は一つ。
人類が移住できる、環境のいい星を見つけることだ。

夏美「地球はもう限界ですの。私の航海に全てがかかってますの!」

温暖化による水位の上昇で、5年後には大地は海の底に沈んでしまう。
エス博士の作った、環境のいい星を自動でマーキングする機械を使いながら、光速宇宙船で星々を探し回るのがエヌ氏の仕事だ。

仕事といっても、エヌ氏が宇宙船から出ることはない。
ただエヌ氏はこの宇宙船内でのんびりとしながら、片道2年半、往復5年の光速飛行を楽しむだけである。

夏美「しっかし、やることがありませんのー……」

夏美「1ヶ月に1回、機械を点検する以外に仕事が全くありませんの!」

5: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:14:34 ID:???Sd
夏美「ま、そんなこともあるだろうと暇つぶし道具はたーっぷり持ってきてますの♡」

夏美「きな子がセレクトしてくれた大量の小説本、恋さんが選んだ5年かかってもやりきれないほどのゲーム、AIきな子♡」

きな子『夏美ちゃん、好きっす!』

夏美「私もきな子が好きですのー!」

エヌ氏は早速AIきな子とお喋りをしながら、テレビゲームに取り掛かった。ゲームに疲れたら小説を読み、地球を離れる前に投資しておいた株の値上がり益を妄想しにやにやとした。

しかし、それが持ったのは数カ月だけだった。

6: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:17:56 ID:???Sd
夏美「なっつー……なんだか飽きてきましたの」

夏美「ゲームをやっても小説を読んでも楽しくないですの……誰かと話したいですの」

きな子『私がいるっすよ!』

夏美「AIは所詮AIですの。生の人間と話したいんですの!」

きな子『はにゃ!?』

エヌ氏の精神はどんどん不安定になっていった。
人と話せないことを軽く考えていたエヌ氏だったが、閉鎖空間に一人きりでいる恐怖はエヌ氏の心を想像以上に蝕んでいた。

夏美「うう……」

7: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:22:11 ID:???Sd
1年が経つ頃には、エヌ氏は空中に向かって話しかけるようになっていた。

夏美「メイ、今度はこのステップを試してみたいんですの」

夏美「かのん先輩~♡ そんなに褒めたって何も出ませんの!」

夏美「千砂都先輩は厳しいですの……もっと頑張りますの!」

『搭乗員のメンタル・バイタルサインに異常が発生しています。至急メディカルチェックをしてください』

夏美「なっつー! 私はおかしくなんてありませんの! ……あぁ、また幻覚を見てましたの」

エヌ氏の目は常にぎらつき、ろくに食事も喉を通らない為に頬はこけ、リサイクルシャワーを浴びなくなったせいで身体は薄汚れていた。

そんなエヌ氏を見かねた宇宙船のAIは、エヌ氏にこんな提案をした。

『冷凍保存を試してみてはいかがでしょう』

夏美「冷凍保存?」

9: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:27:17 ID:???Sd
『はい、肉体を冷凍保存しておけばどんな長期間の航海だって気になりません。寝て起きたら目的地に到着していますよ』

夏美「うーん……あまり気が乗りませんの。点検もあるし……」

冷凍保存は確立された技術ではあったが、エヌ氏のように自分の身体を氷漬けにすることを嫌がる人間は多かった。
稀に流れる、冷凍されたまま意識が戻らなかった、という事故のニュースを見ていれば尚の事だ。

『しかし、このままでは精神が壊れてしまいます。きな子さんが悲しみますよ』

夏美「なっつー……」

愛する恋人の名を出され、渋々エヌ氏は冷凍保存を了承した。
銀色のカプセルがゆっくりと壁からせり出し、ぱかりと蓋が開いた。

『点検のタイミングで都度起こします。それでは良い夢を』

夏美「おやすみですの」

11: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:32:09 ID:???Sd
それからのエヌ氏の旅は、全くと言っていいほどストレス無く進んだ。

1ヶ月に1度、点検をする為だけに冷凍保存から目覚めて機器を調べる。
調子のいい時にはAIきな子と話したり、本を読んだりゲームをすることもあった。

冷凍保存を始めてから、みるみるうちにエヌ氏のメンタルは回復していったのだった。

夏美「ありがとうございますの、AI。冷凍保存は正解だったみたいですの」

『あなたが幸せそうで、私も嬉しいです。次回は点検日よりも早いですが、折り返し地点に着いた際に起こしましょうか?』

夏美「是非お願いしますの。旅も半ばまで来たんだ、って実感したいですのー♡」

AIにそう頼むと、エヌ氏は再度カプセルに入った。
次に目覚めるときは折り返し地点だ。さてさて、どれほどの星がマーキング出来ているか。人類が住める星はあるか。そんな想像を楽しみながら、エヌ氏は冷凍ガスの中で眠りについた。

13: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:37:04 ID:???Sd
『夏美さん、夏美さん』

夏美「なっつー? もう折り返し地点ですの?」

エヌ氏が目覚めると、窓の外には美しい無数の星々が広がっていた。

夏美「ほわぁ……すごいですのー! 宇宙、って感じですの!」

『反転のため、一時的に光速航海を切っています。宇宙の景色を楽しんでいただけましたか?』

エヌ氏は興奮しながら何度も何度も頷いた。
それから、星をマーキングする機械のモニタを操作した。

そこには無数とも思える移住候補がずらりと並んでいた。地球人類一人一人に星を与えても、まだ余るほどだ。

夏美「きっと皆喜びますの……私は人類の英雄ですの!」

地球に帰れば、きっと歓迎されることだろう。成長し更に美しくなった恋人は熱いキスで出迎え、人類はエヌ氏の名を叫び続けることだろう。そうして、教科書に大きくその名が残るのだ。
移住先の星で銅像だって立つに違いない。

エヌ氏は地球に戻った時の幸福な想像に、思わず口元を綻ばせた。

14: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:40:30 ID:???Sd
ぴこん、と宇宙船のモニタから軽快な音が鳴った。
宇宙船が光速メールが受信したのだ。

夏美「なつ?」

差出人はエヌ氏の恋人だった。
見れば、エヌ氏がロケットで飛び立ってから4分後に送信されている。

夏美「ははあ、光速同士で飛んでいたから今まで追いつかなかったんですの。だから、止まってから4分後にメールを受信したんですの」

夏美「それにしても4分後なんて、きな子も我慢ができない子ですの♡」

エヌ氏は笑顔で、そのメールを開いた。

15: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:42:08 ID:???Sd
『エヌ学園のアール博士が開発したロケットが移住先の星を発見したっす。今すぐ帰ってきてほしいっす。1ヶ月後には地球の皆、移住しちゃうらしいっすから!』

17: 名無しで叶える物語◆wgWGOUlX★ 2025/06/20(金) 21:44:57 ID:???Sd
エヌ氏は呆然とそのメールを見ていた。

ぴこん、ぴこんとメールが届き続ける音が虚しく船内に響いている。

『反転が終わりましたよ、さぁ、地球に向かって航海を始めましょう!』

状況を理解していないAIが楽しそうに告げる。

呆然としたままのエヌ氏を乗せて、ユイガオー号は光速飛行を始めた。

無人の地球に向かって、長い長い航海が始まる。

終わり

引用元: 夏美「長い長い宇宙の旅」