4: 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします 2021/02/06(土) 20:50:21.416 ID:FSaFeYdS0.net
A男はこの世界で海を見たことがある数少ない人間の一人だった。


地球の海はとうの昔に枯れ果て、最寄りの海があるのは本の中か200光年離れたZ星のみだ。

そこには全身灰色で足と思われるものが10本生えた、地球でいう烏賊のような生物が平和に暮らしていた。


Z星の海は、その巨大な星にしては小さく浅いものであったが、地球人の数倍の知能をもつZ星人ですらその全体像が掴めずにいた。


そんなZ星に、A男はたどり着いたのだ。

事故で宇宙船の機能が停止し、15人の船員は緊急用の未だ技術が確立していないコールドスリープに賭けた。

生き残ったのはA男ただ一人だった。


A男は明るく乾燥した部屋で目が覚めた。

覚め切らない頭をゆっくりと持ち上げると、ガラス越しに烏賊の丸く大きな瞳と目が合う。

その烏賊はゆっくりと声を作りながら言った。


「あなたは地球からきましたね?私たちに敵と思うのは違うことです。

協力しましょう」
A男は黙って烏賊の言葉を胃に収めた。

寝起きの回らない頭では、キンキンした声と不自然な文法を処理するのには時間がかかった。


5: 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします 2021/02/06(土) 20:51:39.755 ID:FSaFeYdS0.net
烏賊の表情は何一つ読み取れなかったが、どうやら笑顔を作ったようで、頭についたヒレのようなものを震わせながら言った。


「私はBです。

仲間からはイカと呼ばれています。

科学者です。

あなたの体を見せてもらいました。

元の情報と同じく、ニンゲンの体と一致しています。

ニンゲンは水に耐性のある生物です」
A男はなんとか意味を理解すると、恐る恐る尋ねた。


「ここはどこだ?地球じゃないのか?」
「Z星です。

ここの生き物はみな健康で平和的です。

言葉がわかりますか?あなたはこの星に来る初めてのニンゲンです」
「地球に返してくれ! 俺に変なことをしなかっただろうな。

いくら弄ってもイカ墨は出ないぞ」
「落ち着いてください。

我々に協力していただければ嬉しいです。

その後返します」
A男は黙り込んだ。

イカから敵意は感じなかったが、彼の言うことは脅迫に近かった。

おかしな実験に参加して無事でいられれば地球に返すと言うのだ。

A男は地球で見た宇宙人への虐待を思い出し、身を震わせた。


その様子を見ていたイカは、なにやら仲間に指示を出すと、滑らかにヒレを揺らし始めた。

すると、彼の体に薄いピンク色の模様が浮かび上がってきた。

その時、A男は確かになにかを”聞いた”。

その場で声を出したものはいない。

だが、なにかがA男の鼓膜を震わせた気がしたのだ。


ふとイカの目を見た。

A男には優しさに溢れた美しい瞳に見えた。


6: 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします 2021/02/06(土) 20:52:22.449 ID:FSaFeYdS0.net
イカは地球の言語に慣れてきたのか、さらに穏やかに、なだめるような声で言った。


「不安なのもわかります。

ですが、あなたに危険な目に合わせないことを約束します。

これは脅迫ではなくお願いです。

もしどうしてもというのでしたら、断っていただいても構いません」
A男は少し考えてから、幾分か落ち着いた態度で言った。


「思えば、イカさんは命の恩人です。

取り乱してすいませんでした。

私はA男。

まず、何をすればいいか聞かせていただけませんか?」
イカは少し体を膨らませると、足の数本を動かした。

A男には、それが感謝の印であると直感した。


「我々は数万年の時を経て、あらゆる毒や病気に打ち勝ち、不老不死の体さえ手に入れました。

ただ、どうしても克服できない物資があるのです。

それは”水”です。

あなた方地球人には理解できないかもしれませんが、我々は触れるだけで命を失うような猛毒なのです。

ここには地球ほど水分はありませんが、それでも海があります。

そこを調査して欲しいのです」

7: 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします 2021/02/06(土) 20:53:09.909 ID:FSaFeYdS0.net
「そんなはずはない。

水は全ての生物の基礎です。

あなた方の体内に少しも水分が存在していないのですか?それに、海があるなら雨が降るはずです。

空気中にだって少しは水分を含んでいるはずだ」
「あなたが困惑するのも無理はありません。

ですが、現にそういう生物が存在しているのです。

我々が認識できている宇宙には、そのような生物が住む星が5000程度確認されています。

それと、我々の体内にも血は通っています。

不思議に思われるかもしれませんが、我々は一生この水分を循環させて生きているのです。

不老不死の技術が確立する前は、死体の水分に相当苦労させられたそうです」
A男は呆然と天井を見た。

あまりにも地球と違う条件下で、正常な判断ができるはずもなく、質問すら出てこなかった。

A男は笑った。


「烏賊なのに水がだめなんですね」
イカは目をきょろきょろさせるだけだった。


「いえ、すいません。

この部屋はどうするんですか?私の息や汗にも水分が含まれています」
「その程度なら問題はありませんが、念のためあなたが出た後焼却処分します。

少し考える時間が必要ですか?」
A男は笑って言った。


「その必要はありません。

今すぐにでも出発しましょう。

それと、喉が渇いたので一杯水をいただけませんか?」

8: 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします 2021/02/06(土) 20:54:35.875 ID:FSaFeYdS0.net
A男は防護服のような厳つい服を着せられ、施設の中を案内された。


海は埋め立てられ、厳重に管理されていた。

イカの話によれば、海の底に新たなエネルギー資源がある可能性が浮上し、調査を依頼したとのことだ。


A男は5、6匹のZ星人に囲まれながら廊下を進み、厳重な扉の前に立たされた。

そこには武装したZ星人が2匹、A男を睨んで立っていた。

おそらくこの先が海だ。

Z星人たちは合図をすると、ゆっくりと扉を開けた。


その瞬間、遺伝子に刻み込まれたあの波の音が聞こえた。

そこは、確かに海だった。

それまでの無機質な部屋や廊下からは想像できないほど、大きく雄大な母なる海の姿だった。

砂浜まである。

A男も、写真でしか見たことのない、本物の海だ。


A男は、イカ達の制止する声を無視して、ふらふらと海に近寄って行った。

頭を覆う金魚鉢を外し、砂浜に崩れ落ちる。

少し海水を口に含むと、強烈な塩の味が口の中に広がった。

海の水がしょっぱかったというのは本当だったのだ。

よく見ると、小さな魚が海面の近くを悠々と泳いでいる。


A男は自分が泣いていることに気づいた。

人間の愚かさのせいで、地球から姿を消した海。

それを200光年離れたこの星で、初めて目にすることになったのだ。

A男は涙を拭い、イカ達の元へと戻った。


11: 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします 2021/02/06(土) 20:56:00.162 ID:FSaFeYdS0.net
蒸発した水分を恐れているのか、あの分厚い扉は閉まり、イカ達もあまり長居はしたくないように見えた。


「あまり勝手な行動をしてもらっては困ります。

先程説明したように、水は我々には猛毒なのです。

では、これから調査の説明を……」
イカがいい終わらないうちに、A男は口に含んだ海水を護衛の一匹に吹きかけた。

Z星人は苦しみながら倒れ、落とした銃をA男はイカに向けた。


「動くな」
困惑したZ星人達を、A男は次々と撃ち殺していった。

残されたイカは、怯えきった様子で言った。


「なぜ、こんなことを……我々に失礼があったなら謝ります。


A男は黙って首を振った。


そう、水が存在しないこの星でA男が生きていくには、長くて3日かそこらしか持たないのだ。

その間に深海へ潜り、仮に有益な情報を得られたとしても、その後は? 地球へ帰るまでの水や食料は? そもそも帰ることができるのだろうか。


考えれば考えるほど、A男には自分が生きていけるという希望が持てなかった。

海の水は、飲めたものではなかった。

水を求めてもイカ達から貰えなかったのは検証済みだ。

そうなると、生き残る術はただ一つ……。


A男は、黒い血の流れるZ星人の死体を見やって言った。


「喉が渇いたんだ」
イカはしばらく黙ってA男をみつめていると、観念したように言った。


「私は人質ですか?」
「それもある。

だが、それ以前に殺したくなかった」
A男は荘厳な海を見た。

どこかで魚が跳ねる音がする。

食料はなんとかなるだろう。


A男はゆっくりとイカに近づき、顔に触れかけて、やめた。


「さっき俺を従わせるために何かしたんだろうが、今となってはそんなことどうでもいい。

イカ、お前が好きだ」
波の音が二人を包み込む。

海を前に2人の男女が結ばれる。

A男が昔観た、映画のワンシーンのようだった。


12: 以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします 2021/02/06(土) 20:56:30.856 ID:FSaFeYdS0.net
おわり
読んでくれたひとはありがとう

引用元: さっき立てた即興小説できたからみせるわ お題「深海」「行き遅れの恋」「主人公はイカ」