1: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:01:49 ID:???00
「じゃあ配達行ってくるけど」

渋々といった具合で外にすべり出していくかすみさんを見送ります。

不満を隠そうともしない彼女に、こちらとしてできることは笑いかけることくらいです。

帰ってきたらまた、「しお子もちょっとは外に出たほうがいい」といったようなことをくどくど言われるのでしょう。

もちろん、かすみさんなりに私のことを案じてくれているのはわかっています。

ですが中央から目をつけられてしまっている以上、完璧におとなしくしているほかできることはなさそうです。

このあたりの判断をかすみさんに任せきりにするのも不安ですし……。

それにそもそも、私の油断によるものであってもペケがつくのは私に対してではなく、ここの局に対してです。

かすみさんにご迷惑をおかけするのは本意ではありません。

2: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:03:30 ID:???00
ここK市S区は、この国第2の都市圏のベッドタウン地域ではありますが、これといって人口の多いところではありません。

穏やかな海岸が広がるのどかな場所ですけどね。

ですので1つの郵便局にそこまで人を割り当ててももらえません。

それにしてもここは人が少なすぎると思いますが。

局長の異動ののち、補充されることもなくその椅子は空席のままです。

私は名ばかりの局長代理であったはずですのに、いつの間にやら実務者です。

そのほかにはかすみさんがいるのみです。

いくら地方とはいえ、これでは常に慌ただしいばかりです。

3: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:04:20 ID:???00
人をやってももらえない忘れられた場所であるのならそのまま忘れておいてほしかったものですが、そうもいきませんでした。

こんな場所ですが、抜き打ちの監査は来てしまいました。

名目上、局がきちんと運営されているかを見るとなっていますが、その実末端の検閲が滞りなく行われているかの監視です。

監査人の来訪は意外なものでした。

中央がここのような枝葉末節を気にすることなんてないと思っていましたし。

実際私の判断——油断でもあります、で検閲は行っていないも同然でした。

4: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:05:11 ID:???00
信書の秘密の守護、といった大それた理念があったわけではないと思います。

皆無ではないのでしょうが、それより配達の迅速性を重んじていたということです。

一通一通目を通していたら、いくら寂れた局に集配される手紙であっても結構な時間を要します。

送り主はなるべく早く届いてほしいと願っているでしょうし、届け先はきっと到着を待ち望んでいるでしょうから。

これは通してよいものかなどと躊躇していたら、配達が遅延してしまいます。

こうして右から左へ流していたものが、監査人の再検閲——実際には再ではありませんが、によってせき止められ、”懸念のある内容”の”軽微な見逃し”として抽出されました。

幸い初回であること、内容がそれほど重大でなかったことから是正勧告と経過観察で済みました。

6: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:05:59 ID:???00
“見逃し”を防ぐために、今まで以上にしっかり中身を”確認”しなければなりません。

今までがゼロなんですからなにをしても今まで以上ですけど。

これが思っていた以上に堪えました。

単に読むだけ、そして体制に反する思想の萌芽を摘み取ればよいだけ。

そう言ってしまうのは簡単ですが、ではどこで線引きをすればいいのか、なにをもって反体制とするのか、それが自分の判断に委ねられ、私たちの今後をも左右する。

なにより、そうしてはじき出した言葉はすべて、どこにも届かないものになってしまいます。

離れている人々を結びつけ、声を届けることが可能になる唯一の方法である郵便の、これは明確に理念に反していると思っています。

7: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:06:45 ID:???00
『雪や雨や暑さや夜の闇にも妨げられない』のではなかったのでしょうか。

しかし今ここで事を大きくしてしまうと、私たちが路頭に迷ってしまいます。

他のすべての手紙を巻き添えにするわけにはいきません。

できることをやるしかない、そう思って心を無にしてやっています。

検閲という作業自体にかすみさんを近づけていないのもあって、彼女からの風当たりはだいぶ厳しいですが。

8: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:07:32 ID:???00
ひとりで抱え込むなという旨のことをたびたび言われています。

かすみさんに判別できますか?と冗談めかしてかわしていますが、心苦しくはあります。

私のことを思って言ってくれているのはわかりますので。

ですが私としても、あなたにこんなことはさせたくありません。

配達に行って、手紙を届けるとともにみなさんに笑顔と元気を振りまいているあなたがいちばんです。

………
……

9: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:08:15 ID:???00
「最近もうひとりの子見ないけど元気にしてる?」

元気ではなさそうなんだよね。

「はい、元気でやってます。今度連れてきますね」

そうだ、引きずってでも連れてこよう。連れ出そう、外に。

局を空にするけどまあいいでしょ、そんな来る人いないし。

10: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:08:58 ID:???00
「ではまた、よろしくお願いします」

本日分終了。

動き出しが遅くなってるから割とずっと走り回ってる。

体力ついてきたなと思うよ。

そもそも検閲だってふたりでやればもっと早く終わるのに、しお子はどうしてもかすみんを近づけてくれない。

こういうとこ頑固だよね。

11: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:09:45 ID:???00
ずっと曇っててパッとはしないけど、そろそろ陽が沈むみたい。

なんとなく海の向こうが赤くなって、どことなくここいらが暗くなってくる。

早く帰ろう、それで言うんだ、検閲に近づけてくれないのは勝手だけど、じゃあこっちも勝手に配達にしお子を連れて行くからって。

薄闇の海岸沿いを走ってたら、左手、線路の向こうの道を西に——かすみんとは逆に、走っていく人が見えた。

自分が走るようになると、おんなじように走る人のことが少し気になるようになる。

今までは気にもとめなかったのに。

髪留めから枝分かれした髪がピョコピョコ跳ねてる女の子。

かすみんとおんなじようなかばん持ってるんだな。

なんで配達かばん?

郵便公社の制服ではない、そもそもここらはかすみんたちの管区だし。

——ごめんしお子、帰り遅くなる。

12: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:10:26 ID:???00
西へ西へ、海沿いをずっと来た。

そこから線路を渡って、海からは離れていく。

もうこのあたりってほとんど山しかないけど。

あとは少し開けたところに、まあいわゆるスラムがあるくらい。

……見失った。

勢いで追いかけて来ちゃったけど、もし追いついたとしてどうするんだろう。

このあたりの人で、どこかで拾った配達かばん使ってただけかな。

まあいいや、帰ろう。

13: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:11:00 ID:???00
普段ほとんど来ないところだし、夜なのも相まってなんか新鮮に感じる。

もっと怖いところかと思ってたけどそうでもない。

波の音が聞こえるくらい海に近いからかな。

おんなじ海辺の街だっていう親近感。

知っているようで知らない場所。

14: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:11:47 ID:???00
それでも廃屋があったり、塀が崩れてたり、壁が落書きだらけだったり、東のほうのS区中心部とはやっぱり違いがある。

ちょっと離れるだけで全然違う世界がある。

別にこんな遠くまで来いとは言わないけど、ずっと局にこもってるしお子はやっぱり一度引きずり出さないとダメだなと思う。

なんとなく壁見てたらちょっと目立つ落書きがあった。

おっきいラッパ?みたいなやつが描いてある。

拡声器か、これ。

にしては音が出るところになんかついてる。

変なの。

………
……

15: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:12:30 ID:???00
配達に出ていくかすみさんを見送ったのちは、ひとりで窓口に立っています。

——実際のところは座っています。

特にお客さんが来ることはないので、窓口業務は発生しません。

今日もなんとなく窓の外を眺め、空を見上げて、雲しかないなと嘆息します。

それでも外は明るく、室内に灯をともさずともやっていける程度です。

「すいません、やってます?」

今日は窓口業務があるみたいです。

16: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:13:12 ID:???00
いつの間に入ってきていたのでしょうか。

「どのようなご要件で」

「これを普通郵便で」

本日のお客さんは私たちと同年代の人でした。

薄青のふたつの髪留めで耳の上の髪をそれぞれ脇へ跳ね除けています。

それになぜか配達かばんを掛けています。

このあたりの人ではない気がします。

別にこのあたりをすべて把握しているわけではありませんが。

17: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:13:53 ID:???00
結局ごく普通のお客さんでした。

案件も切手を貼ってポストに出せば済むようなものでした。

まあ直接持ち込んでくれてもこちらとしては一向に構いません。

こちらに来た時にはすでにハガキを手に持っていましたし、支払いの時にはお財布をポケットから出していたのが少し気になりましたが。

そのかばん、使っていないではないですか。

18: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:14:28 ID:???00
慣れない来客に気もそぞろで、手慰みに辺りの掃除でもすることにします。

埃は毎日少しずつ見えないくらいに降り積もり、気がつくとうっすらと辺りを覆ってしまいます。

今日のような曇天ではその存在を際立たせる陽光がないため目立ちませんが、きっといたるところにいるのでしょう。

せっかく降り積もっていただいたところまことに残念ですが、局の秩序のためにご退場いただきましょう。

今後のご活躍を期待しております。

19: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:15:10 ID:???00
ダチョウの羽を束ねたダスターにはたかれてだんだんときれいになっていく机上——見た目にはっきりとはわからないんですけどね、を見ていると、覚えのない封筒を見つけました。

こんなところに……、本日分でしょうか、今日は……もう間に合わないですよね。明日の分に……、消印は、そもそもチェック済み……?

消印はあります、ありますが……、うちのではありませんね。

公社以外に郵便事業など存在しませんので、単なるお遊びの模倣でしょう。

拡声器を模した標章に、なんらかの覆い——消音器でしょうか、せっかく発した声を打ち消してどうするのでしょうとは思いますけど、が付されているデザインです。

似たようなものを西のほうで見た覚えがあります。

よく壁に落書きされている、いまいちよくわからない内容の一部として。

その時は気にもとめていませんでしたが。

20: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:15:54 ID:???00
少なくともこれはここの局で取りこぼしたものではないようです。

ペケを重ねることにはならず一安心します。

どこから来たのか、少なくとも直近は明らかですよね。

先ほどのお客さんが置いていったのでしょう、伝令のコスプレをしていたあの。

たとえここ宛でなかったとしてもどのみち検閲はしますので。

中を覗かせていただこうと思います。

21: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:16:26 ID:???00
『定められた職務を迅速に遂行する伝令は、雪や雨や暑さや夜の闇にも妨げられない』

22: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:17:00 ID:???00
郵便公社のモットーですね。

なぜそれがここに書かれているのかはわかりませんが。

なにか私たちに用があるのは間違いないのでしょう。

そうでなければわざわざ伝令をよこしません。

どこへ来いと書かれているわけではありませんが、じっとしているよりは外に出たくなってきました。

明日は久々に配達に出ましょうか。

かすみさんにも散々言われていましたし。

23: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:17:36 ID:???00
「ただいま」

落ち着いたトーンで——その割に本人はソワソワしているといいますか……、かすみさんが帰局のあいさつをしてくれます。

いつもより帰る時間が遅いからでしょうか。別に怒りませんよ私。

「おかえりなさい、遅かったですね」

「しお子!明日は——」

「かすみさん、明日は私が配達行きますね」

「そうじゃなくてだからしお子が、……あれ?」

そんなに私は、あなたの提案を拒否していてばかりだったんでしょうか。

24: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:18:16 ID:???00
「気が変わったの?まあかすみんとしてはそれでいいけど」

「じゃいっしょ行こ」

そう言われると思っていました。心苦しいですが、ここは意思を通すしかありません。

このようなよくわからないことに巻き込むのは申し訳ありませんので。

「いえ、かすみさんに局内業務をお願いしたいです」

「大丈夫ですよ、私が外を回るのは久しぶりかもしれませんが、脚も腕もなまっていません」

「腕は使わなくない?まあいいけど……」

………
……

25: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:18:55 ID:???00
「では配達に行ってきますね」

まあまあ元気そうに出かけていくしお子を見送る。

なにか思うところでもあったのかな。

かすみんが連れ出そうとしてた時は頑として行こうとしなかったのに。

別に結果気が晴れたっていうのならそれでいいけど。

いいけど……。

おいていかなくてもいいじゃん。

26: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:19:29 ID:???00
集配物を捌いてる時はバタバタしてるけど、それが終わると特にすることはない。

お客さんでも来れば別だけど。

静か。

時折汽車が通り過ぎていく音が聞こえるくらい。

それも少しの間、線路がガタゴトいって、蒸気がシューシューいってるだけ。

その少しの間だけは十分に賑やかになるんだけどね。

こんなところに毎日ずっとひとりでいたらそりゃ気も病むよ。

はあ、明日こそはふたりで外回ろう。

27: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:20:04 ID:???00
誰も来ないのに窓口にいてもしょうがないから後ろに引っ込んどく。

広い机があるけど、選り分ける手紙がないとそれもなんかさみしい。

暇だし掃除でもしようかと思ったけど、特に散らかってもなかった。

そこらへんはしお子がしっかりやってるか。

じゃあゴミ箱の中身でもまとめておこうってした時に、見覚えのあるマークが見えた。

変な拡声器のマークが描かれた封筒。

中身はない。

28: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:20:36 ID:???00
昨日の今日で出てくるってこれそんなにありふれてるのかな、これ。

なんでここにあるんだろう。

しお子はなにか知ってるんだよね。

訊こうにもいないけど。

そもそも封が開いてるんだから知ってるか。

これになにかあったから外出ようって思ったのかな。

……なんかおかしい気がする。

別に誰が来るわけでもないだろうから、局閉めてしお子追いかけようかな。

29: 名無しで叶える物語◆EsS1L2Ss★ 2026/03/14(土) 00:21:06 ID:???Sd
しおかす支援

30: 名無しで叶える物語◆cR1nZnk5★ 2026/03/14(土) 00:21:10 ID:???Sd
なんかドキドキするな

31: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:21:10 ID:???00
「すいませーん」

誰か来た。

今まで窓口にお客さんが来るなんてめったになかったのに、来ちゃったよ。

開けててよかったけど、変な偶然が重なりすぎてる気がする。特に中央の監査が入ってから。

「はーい、今行きます」

お客さんすっぽかしとくわけにいかないから窓口に向かう。

——昨日見た走ってた子だった。そこに。昨日よりはっきり見えるだけ近くに。

32: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:21:52 ID:???00
「これを普通郵便で」

自分で切手貼ってポストに入れておけばいいくらい普通の郵便だった。

まあ面と向かって人に手渡さないと安心できないって人もいるんだと思う。

今日もその子は昨日と同じで、配達かばんを肩から下げてる。

わざわざ局の中まで来るってことはなにかしら郵便に興味があるのかな。

33: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:22:37 ID:???00
「今日はあなたはお留守番なんだね」

あなたは……?それに今日は……?ってことは以前も来たことがあるのか。じゃあしお子のこと知ってて——

「今日も来てくれるのかなって思ってたのに、あたしたちのとこ」

「いつでも来てね、待ってるよ。じゃ」

そう言って立ち去ろうとするのを慌てて引き止める。

「ちょっと待って、あなたは……」

「そうでした、紹介が遅れちゃったね」

「あたしは花帆。よろしくね、かすみちゃん」

………
……

34: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:23:16 ID:???00
ずいぶんと久しぶりに感じる朝でも夕でもないこの時間、空気があたたかく少しやわらかい世界です。

曇天はまどろみのようなやわらかさで、一日の中で最も活動的な時間を眠たげに包んでいます。

足を踏み出せば二、三歩ののちに駆け出してしまいます。

集落から集落へと足を弾ませ駆けていると、道端の茂みからヒヨドリが群れで飛び立っていきます。

驚かせてしまったのでしょうね。

35: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:23:49 ID:???00
入れ替わるようにやってきたキビタキが1羽、同じほうを目指しているのか私と並走してくれます。

その時ふと肩にかかる配達カバンの重みに気を取られました。

配達ですからね、私は伝令であり、この重みは"人の声"によるものです。

声を伝えるために走るんです。

先ほどいらしたかわいらしい並走者は、すでにどこかへ飛んでいってしまいました。

36: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:24:24 ID:???00
ずいぶんと駆け回っていたので、少し息が上がるくらいです。

ですがおかげで通常より早めに配達を終えることができました。

配達先で久々に会う方たちと少しお話をしてもなお、です。

そうしてできた時間で、西のほうへと向かいます。

おそらくあのあたりで見たのだろうと記憶を掘り起こしつつ。

幾何学模様にも見えれば今は拡声器にも見えるあの標章を探しに。

37: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:25:01 ID:???00
西のほうに行くと、鉄道がかなり海沿いを走るようになります。

海岸と線路の間にはほとんどまとまった土地がなくなるため、建物はありません。

であるからして人もほとんど寄り付きません。

そんな場所ですから、よく落書きがされているのでしょう。

海沿いをお散歩する時以外このあたりには来ませんし——そもそもあまり西に行っては山とスラムしかありません、状況について詳しくはないんですけどね。

38: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:25:47 ID:???00
……先客がいました。

遠くからでもわかる長髪の彼女は、たそがれるにしてはいささか時間の早い今に自身をそぐわせるように、後ろに回した両の手の指と指を触れ合わせながら海岸の向こうを眺めていました。

海岸の向こうには海しかありませんが、海を見ている風をかもさずに。

それは"ここに見るべきものはないけれど、なにかを見ていないと退屈だからしかたなく目を開けている"とでも言いたそうなたたずまいでした。

「やほ」

右手をわずかばかり挙げて——ほとんど前に回してきただけではないですか、いつものように適当なあいさつがなされます。

配達先で、玄関口で、街なかで、日常がそのままの、いつもの慈さんです。

彼女の後ろに見えるのが見慣れた街の景色でなく、狭い海岸と堤防——そこにははっきりと探していた拡声器が描かれていました、であることがいつもと違うだけです。

39: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:26:23 ID:???00
「慈さんもお散歩ですか?」

意外な先客に少し戸惑いますが、いつもどおりで構わないはずです。

「"も"ってキミはお散歩じゃないでしょ、走ってるんだし」

「ジョギングもお散歩の一種です」

「そうか?」

40: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:26:59 ID:???00
「じゃあ配達もお散歩なの?」

「いえ、お仕事はお散歩ではありませんよ」

いつものようになんでもない話をしていることが、この場所の見慣れなさをいや増しにしています。

堤防、そびえ立つ無機質な壁の圧迫感、海、開けているはずなのに打ち寄せる灰白色の波がもたらす閉塞感。

拡声器、あるはずのない場所に現にあらわれる非現実感。

41: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:27:44 ID:???00
「雪でも雨でも暑くても夜になっても、走らなきゃいけないんだもんね」

流行っているんでしょうか、うちのモットー。

……なに呑気なことを言っているのでしょう、この言葉によってこの標章のもとに呼び寄せられたのではないですか、私は。

慈さんに、ということになるんでしょうか。

普段どこかぽわぽわして日差しのもとでうたた寝しているような方がですか。

そう思って彼女のほうを見ると、受ける印象はいつもと違い、やはり彼女があの手紙を出したのだろうとの思いを確かにします。

雲のむこうで傾いでいる陽によって、もしくはこの場所が内包している不確かさによって、あたりは一段薄暗くなった気がします。

そんな中、目の前で控えめに輝く暗紫色のアメジストが、私の周りこの一帯を藤色の紗幕で覆っています。

入り込みすぎたのかもしれません、急に。

42: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:28:23 ID:???00
だからといっていきなり踵を返すのも違う気がします。

「はい、伝令として、言葉を、声を届けるために頑張ります」

当たり障りのないことを言って散会としたく思います。

面倒事しか待っていない、そんな予感がしますので。

ですがこういう時、ことはたいていうまく運ばないものです。

「その伝令が、一部の声をかき消すのに加担してるっていうのに?」

………
……

43: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:28:57 ID:???00
「花帆……さん?、かほ子……?」

「子はいらないんだけどな」

なんでかすみんの名前知ってるんだろう、どこかで会ったことあったっけ?

配達先にいたら覚えてると思うんだけどな。

たいていは、特に同年代の女の子なんて。

じゃあうちの管区じゃないのかな、いるとこ。

「またね」

「あ、待ってまだ聞きたいこと——」

2回目は引き止められず、音もなく去っていった——パタパタ足音はしてたけど、音に数え上げられないくらいわずかな。

44: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:29:33 ID:???00
またひとりで窓口に立ってる。

静けさが戻ってきた。

汽車の音が聞こえる。人を遠くへ連れていってくれる音。

行こう。

今日の営業は終了。

どうせもう誰も来ないよ。1人来たら数週間分働いたことになっちゃうくらいだからね。

戸締まりをして駆け出す。汽車を追いかけて、線路を越える。

45: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:30:10 ID:???00
結構走ったつもりだけど、途中で追いつくことはなかった。

線路から山の手へ向かっていくと、振り返っても海は直接は見えなくなる。

感覚的に、遠くに来たなって思う。

それでも伝令なんだから、伝える先はどんなところでも。

すべての声を届けに行きたい。

46: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:30:42 ID:???00
戻ってきた。昨日も来たところに。

変な拡声器の描かれた壁の前に、さっきの人がいた。

かすみんを見るなり駆け寄ってくる。

「おかえり」

「別に帰ってきたわけじゃない」

47: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:31:14 ID:???00
「でも来てくれると思ってたよ。雪も雨も降ってないし暑くもないし暗くもないからね」

そんなことより訊きたいことがある。

「なんでかすみんのこと知ってるの」

「センパイに聞いた」

おんなじようなことしてる人がほかにもいるんだ……。

48: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:31:49 ID:???00
「ね、かすみちゃん、配達しないといけないものがあるんだ」

なんだかわからないけど配達かばん使ってると思ってたら、ほんとうに伝令なんだ。

でもそうだとしたら国の制度外で非公式にやってるってことだよね……。

「手伝ってくれる?声を届けるの」

………
……

49: 名無しで叶える物語◆cR1nZnk5★ 2026/03/14(土) 00:31:56 ID:???Sd
もしかしたらと思ったけどしおめぐだった

50: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:32:20 ID:???00
言葉に胸を貫かれる痛みに呼吸が乱されます。

逃げられないということのようです。

そして彼女は公社の内情を知っているということになりますね。

不配となる郵便物があってもまずは誤配や郵便事故を疑いますから、外の人でこのことに気づいている人がいるということにまず驚きます。

私の中では単なる近所のお姉さん枠だったんですけどね、その実なかなかに食えない人であったようです、慈さん。

51: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:33:06 ID:???00
「キミだって別にやりたくてやってるわけではないでしょ、検閲なんて」

はい、もちろんそうです——と正直に答えていいのでしょうか。

慈さんは実は中央の回し者で、私が局の是正を遂行できる人物であるのか試しているのだとしたら……?

迂闊なことは言えないのではないでしょうか。

「沈黙、ベストな答えだね。さすが栞子ちゃん」

さらっとバカにされた気がします。

ですがリスクを取れない以上これが最適——

「でもさ——」

52: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:33:56 ID:???00
私の思考を遮るように、慈さんの発言をかき消すように、汽笛があたりを震わせました。

山側を見やれば煙と轟音とともに近づいてくる汽車の巨躯が嫌でも目に入ります。

車輪が線路とともに奏でるリズミカルな騒音で、慈さんがなにを言っているのかまったく聞き取れません。

今しかないと思いました。

まっすぐ来た道を引き返し、振り返らず全力で駆け出します。

なにも聞こえず、なにも見ず——半ば目を瞑りながら、その場から去ることだけを考えます。

ですが彼女が最後、和らいだ表情とともに放った言葉は、口の動きから推測できてしまいました。

それが、届かなかった慈さんの声が、私の声で頭の中で再生され、語りかけてきます。

「おいでよ」

………
……

53: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:34:32 ID:???00
どんな形であれ届けたいものがあるのなら、協力は惜しまないよ。

かほ子も別に悪い人ではなさそうだし。

いる場所は違えどやってることはいっしょなんだ。

なんか拠点があるから連れてってくれるみたい。

「こっちね、鉄骨気をつけて」

拡声器の塀の裏をさらに進んで瓦礫をかき分けていく。

なんでこんなところに階段があるんだろう……。

54: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:35:09 ID:???00
案内されたところは、結構な広さの地下空間だった。

テーブルの上のランプの灯りだけでは部屋の隅まで照らしきれてない。

地下ってもっとかび臭くてジメジメしてる——湿度は紙の大敵だ、と思ってたけどそんなことはないみたい。

郵袋が壁際に並んでて、そのどれもに配達を待ってる手紙が入ってる。

この量をひとりで……?

「全部じゃないよ、このあたりのはこっち」

なにも言ってないのに答えてくれる。

55: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:35:41 ID:???00
「ここはK市のハブになる拠点だから」

「K市の中央からは離れたS区のさらにはずれ、見捨てられた場所。見捨てられた言葉を集めておくにはちょうどいいところでしょ」

やっぱりこれって……。

「ま、それはどうでもいいけど。あたしだけじゃ”迅速に”とはいかないから、手伝ってくれるよね」

ここで手を貸すことは、きっと公社の指針に反することになる。

56: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:36:25 ID:???00
しお子はどこまで知ってるの……?なにをしようとしてるのかな。

でもきっとおんなじところでまた会えるとも思う。

だって根っこの想いはいっしょでしょ。

まあ一報くらい入れるけどね。

かすみんとしては、表立ってだって指針だのなんだの関係なく、伝令としてのモットーにしたがって走り回るほうがいいと思うから。

暮らしていけなくなるのかも、みたいな不安も不思議となかった。

なるようにしかならないね。

「うん、よろしく」

そう答える。

………
……

57: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:37:08 ID:???00
汽車がもくもくと噴き上げる煙があたり一面を覆ったかのように、今日は霧が立ち込めています。

昨日のことは現実感がなく、実際にあったことなのか疑わしくさえ思えます。

なにも考えず届けるべきものを選別しながら、それでも湧き上がる昨日の光景、煙の中の暗紫色の光を霧散させるためひとり頭を振っています。

——かすみさんが来ていません。

今日は外をふたりで回ろうかと思っていたところでしたのに。

本日特になにがあるとは聞いていませんでしたし、どうしたのでしょうか。

倒れていたら大変ですので、配達の際に家まで伺おうと思います。

どうせ「今日休むって言ってなかったっけ?」などと言われるだけでしょうけど。

58: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:37:50 ID:???00
紙にはよくない天気ですね。

外に出てまずそう思います。

ですが雨よりはマシなのでしょう。

漂っているだけであれば、インクが流され落ちてゆくことはありません。

開けた道路に出ても、人っ子ひとり、馬一頭、馬車の一台も見かけません。

通常であればどこからか聞こえてくる鳥のさえずりも、少なくとも私のもとには届いてきません。

息苦しくなるくらいの霧だけが外を漂っていました。

59: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:38:21 ID:???00
服がじっとりと湿っぽくなるなか、通い慣れたルートを走っています。

慈さんのお家の近くを通るのはなんだか気後れしましたが、結局誰にも会うことはなかったのでホッとしています。

ここまで人と会わないと、慈さんに会えたほうがよかったのではないかと思うくらいです。

かすみさんもお家には不在でした。

お出かけですかね。

やはり休みをとってどこか行っているということでしょうか。

事前の連絡は忘れないでほしいものですがね。

60: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:39:00 ID:???00
靄の中配達に走りながら、今自分が声を発したとしてそれは誰にも届かず霧の中に溶け込んでいくのだろうなと思っていました。

たいていはそうなんですよね。

ですから伝令というものはいるのでしょう。

伝えるべきものを伝えるために動く人たちが。

気の持ちようだとは思うのですが、今日は一段と心の中を隙間風が吹き抜けていきます。

霧に包まれていても温もりは感じられません。

露をたたえその重みに傾いでいる下草のつややかな緑だけが、冷たい慰みとして存在しています。

61: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:39:38 ID:???00
局に帰ると多少は暖かさが戻ってきます。

ですが昼間でも薄暗いですし、少し肌寒くもありますのでランプを灯します。

机の上に封筒がありました。

配達物を取りこぼすことなんてないだろうと怪訝に思いながら手に取ると、またしてもあの矛盾した拡声器が描かれていました。

なぜ誰もいないタイミングでここに入れたのでしょう、戸締まりはしたはずです。

私たちのなにがどこまで、この輪郭のはっきりしない相手に把握されているのでしょう。

もはや拠点でさえ安寧の場ではないということのようです。

慌てて中を確認すると、そこにはどうして見慣れた筆跡がありました。

62: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:40:11 ID:???00
『先行ってるね、待ってるよ

K』

63: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:40:45 ID:???00
さすがに筆跡を見間違えることはないので、かすみさんが自身で書いたのでしょうと思います。

ですから今ここに不在なのでしょうね。

どのような手段で籠絡したのか知りませんが、やられて黙っているわけにはいきません。

おそらくは声を届けるということにフォーカスしたのでしょう。

これについては、彼女は人一倍の思い入れがありましたからね。

それを見抜いて与しやすいところから接触する、ずいぶんとやるようです。

64: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:41:33 ID:???00
加えて直感が私を動かします。

確認しておいたほうがよい気がしましたので、ここの地下に向かいます。

検閲ではじいたものは、内容と差出人を控えたのち各局が責任を持って廃棄処分する、がルールです。

中央に集めろと言われないのが甘いところですよね。

そこにつけ込んで申し訳程度に控えを作成し中央への報告としつつ、現物は地下に保管していました。

やはり完全に声を消し去ることなんてできません。

いつか届けられる日が来るのであれば、そんな期待とともに地下へと足を運び、手紙を隠してせめてもの罪滅ぼしとしていました。

案の定、ですね。

はじいた手紙を隠していた郵袋はそこにはありませんでした。

65: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:42:12 ID:???00
一晩考えましたが、やはり海辺の拡声器の場所に行くしかなさそうです。

再配達は明確に公社のルールに違反しています——そもそも廃棄していない時点で違反ですが。

それは国の体制に反旗を翻すも同義です。

ですが私たちのモットーには……?

時に理想を通すため、動かなくてはいけないこともあるのでは。

考えていても埒が明きませんので、やはり訪ねていくしかなさそうです。

海岸へ。

66: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:42:50 ID:???00
「今日は湿っぽくなくていい天気だね、晴れ間さえ見える」

先日の場所にたどり着く前に、探していた人に遭遇してしまいました。

まったくあの時のような緊張感はなく、別人かと思えるほどです。

「お散歩?いいね、私もそういう気分だったところ」

いいともダメとも言っていないのに、慈さんとふたりで海岸をお散歩することになってしまいました。

まあ、海岸沿いもほとんど人はいませんし、込み入った話でもできるでしょう。

67: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:43:28 ID:???00
海と山の境目のわずかな砂浜をふたり歩きます。

足元が揺らぐ踏み固められていない砂、昨日とは違い乾きをもたらしてくれる風。

レールに沿って進んでいく汽車、私のほうを見ながらなんでもない話をしている慈さん。

別にどうということはないはずなんですが、無性に安心している自分がいます。

それもおかしな話だと思いますが。

これからほんとうにひとりで局を回していかなければならないのかと思うと末恐ろしく感じますが、そうはならないであろう予感も感じられます。

かすみさんのように、私も思い切る時なんでしょうか。

待っているという言葉に背中を押してもらえる今この時に。

68: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:44:08 ID:???00
「ハトってどこにでもいるよね、なんでなんだろ」

なぜそんなことを疑問に思うのかのほうが私は気になりますが。

こないだの彼女とは似ても似つかない様子に、ほんとうとはどこにあるのだろうという疑問が湧いてきます。

「でーでーぽっぽーでーでーぽっぽー」

あまり似ていない鳴き真似で勝手に楽しそうにしているので放っておきましょう。

「まあどこにでもいるから伝書に使うのかな」

突然戻ってこないでください。

もうしばらくハトでいてくださって構わなかったのですが。

69: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:44:44 ID:???00
「……人間もどこにでもいますよね、という話ですか」

不自然に話を振られるということはなにか言いにくいことでも言おうとしているのでしょう。

「いくらでも替えのきく人間……」

「そうじゃないけど。キミはよく悲観的にすぎるよね」

「慈さんが、伝令ならハトでもできると言ったのではないですか」

「言ってない」

70: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:45:29 ID:???00
「私は誰でもいいなんて思ってない」

少し先をいっていた慈さんが立ち止まり振り返ります。

「私は、キミがほしい」

「なぜ……、ですか」

急に予想もしていないことを言われて、一言返すだけでせいいっぱいです。

「いちばん、ちゃんと、純粋に、すべての人の声が届く世界を望んでるから。キミはそういう子だから。それがひとつ」

一歩こちらに踏み込まれます。

「ふたつ、私がキミのこと気に入ってるから」

71: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:46:36 ID:???00
「それでこう、包囲を狭めていったんですか、うちの。かすみさんにまで手をかけて」

「もうひとりの子に関しては悪いようにはしてないのと、ほとんど花帆ちゃんの独断」

花帆さん、おそらくあの時の伝令の子ですよね。やはりつながっていましたか。

「では私は悪いようにされるんですか」

「まあ、めぐちゃん次第かな」

「では悪いようにされるということですね」

「信用ないなー私」

72: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:47:17 ID:???00
「ほんとうに、追い込むのがうまいと言いますか……」

「めぐちゃんは、勝てる戦いしかしないんだぞ☆」

「そのために、必要なことならなんでもやる」

その覚悟は先ほどから感じています。

「ですが局を捨てろというのは……」

自分がどうしたいのか、それとは別にしなければならないことというものがあります。

73: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:47:54 ID:???00
「捨てなくても、いながらにして協力してくれれば十分だよ。いっしょに戦ってほしい」

手を差し出されます。

これをつかめばきっと、後戻りのできない場所に引きずり込まれるのでしょう。

ですが、今さらひとりで戻ったところでなにになるのでしょう。

ひとり苦々しい安寧に浸るより、みなさんと華やかな苦役をこなすほうが性に合っていると思います。

まだ日は落ちていません。

海岸線の上でまどろむ太陽の光を受けながら、私は彼女の手を取りました。

74: 名無しで叶える物語◆npEr3Q0c★ 2026/03/14(土) 00:48:29 ID:???00
おわり〇
ありがとうございました

引用元: 【SS】地下郵便